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鉄道連絡船 ⑥

 今回は「洞爺丸」事故に触れていますが、この件に関しては多くの著作が出ていることやこのシリーズでは青函連絡船の歴史の概史を説明する性格から、沈没原因や沈没状況などは比較的簡単に説明するに留めています。

「9月26日は、前に近鉄の時に話した伊勢湾台風が来襲した日だけど、その5年前の1954年には青函連絡船の本拠地である函館にも台風15号、後に洞爺丸台風と呼ばれる台風が来襲した日でもあるんだ」


「なんか因果を感じますね」


 桜の言葉に、木藤は頷く。


「嫌な意味でね。この台風15号にはマリーて言う呼称が与えられていたけど、とても聖母のような存在じゃなくて、逆に堕天使と言ってもいいよ」


「確かに」


 聖母の名前なのに、とてつもない被害を与えた台風。名前と中身の差に、桜も木藤の言葉に頷く。


「それはともかくとして、台風の名前にもなった「洞爺丸」はさっきも話したけど、戦争中に喪われた船の代船として戦後すぐに建造された船で、「洞爺丸」型のネームシップだったんだ。戦後の物資不足の中でも造船所の関係者が全国を駆け回って必要な資材を集めて、さらに当時の持てる技術の粋を注ぎ込んだ最新型の連絡船だったんだ。写真がこれね」


 木藤が桜に見せた写真には、4本煙突のスマートな船影が映っていた。


「綺麗な船ですね」


「でしょ。戦後すぐの建造だったけど、この船にかけた技術者や国鉄関係者の心意気が伝わってくるね。そして「洞爺丸」は1947年11月に、戦後建造の新型船の一番船として竣工した。戦争が終わって青函連絡船もズタボロだったけど、北海道と本州を行き来する旅客や貨物は右肩上がりだったから、「洞爺丸」型と貨物船の「北見丸」型の登場は、青函航路が待ち望んだものだったろうね」


「空襲で沈められた船の代わりが出来たんですからね」


「そう言うこと。続々完成する新船に加えて、1949年には出港時の見送り用のリボンも復活したし、船内の食堂も営業再開。占領下でGHQや占領軍の指示に振り回された時代でもあったけど、平和が到来して明るい話題がどんどん増えて行った時代でもあるね。その極めつけが、昭和29年8月の昭和天皇の「洞爺丸」への乗船だね」


「天皇が乗ったんですか?」


「そう。北海道で行われる国体のためにね。そのお召し船になったのが「洞爺丸」だったんだ。船にはお召し船の証である赤地に金の菊の御紋章入りの天皇旗がマストに掲げられて、天皇皇后両陛下を乗せて青森から函館まで運行されたんだ。お召し列車の運転士は名誉あることとされるけど、きっとこの時のY船長以下の「洞爺丸」乗員たちも同じ気持ちだったろうね」


「う~ん、ちょっとわかんないです」


 と素直な気持ちを口にする桜に苦笑いしつつ、木藤は話を続けた。


「この航海中、天皇皇后両陛下は「洞爺丸」のブッリジに上がられたんだけど、この時はマスコミは完全シャットアウト。だから本来だったら記録は残らない筈だったんだけど、乗員の一人が持ち込んだカメラで撮影して、海峡を臨まれる天皇陛下の姿を写真に収めたんだ。もちろん、この写真は貴重な記録になったよ」


「微笑ましい話ですね」


「そうだね。でも「洞爺丸」を函館で待っていたのは大漁旗で飾った漁船軍団と、汽笛を一斉にならした汽船集団の派手な出迎えだったらしいよ。まあ、華々しい光景には変わりないけど。このお召し船になったことで、「洞爺丸」は『海峡の女王』という異名でさえ呼ばれたんだ。ただこのお召し船になったのが8月7日のことだったから、本当に1カ月半後に一転して悲劇の船になってしまったんだね」


「・・・「洞爺丸」はどうして沈んじゃったんですか?」


「それについてはいくつか理由があるけど。悪いことが重なったってのも大きいね」


「どういうことですか?」


「うん。実は同型船の「大雪丸」は、難航はしたけど木古内沖に退避して、なんとか台風をやり過ごせたんだね。ところが、「洞爺丸」は本来積む予定のなかった貨物列車や乗客を積み込んでいたんだ。この内貨物が曲者だったんだよ」


「貨物列車がですか?」


「貨物列車は一応船内で固定されてはいたけど、万が一船が波で傾いて繋ぎとめている緊締具が切れると、その貨物列車は横倒しになるから、当然余計に船は傾いちゃう。しかも、貨物列車は喫水線より高い位置に止めるから、当然重心は上がる。つまり船のバランスが悪くなってたんだ。さらに、貨物列車は船尾にある開口部から船内に入れていたんだけど、当時の青函連絡船にはこの開口部に扉がなかったんだ。だから・・・」


「水が入って来ちゃう・・・」


「そう。実際、この日沈んだのは全部で5隻だけど、他の4隻は全て貨車だけ運ぶ貨物船だったんだ。「洞爺丸」は本来14時40分発で、このタイミングでなら気象条件から見ても、出港しても問題なかったとも言われているね。ところが、別の船から貨物列車と乗客を受け入れたのと、岸壁と開口部を繋ぐ可動橋が故障で上がらなかったのと、さらには他に入港してきた船に邪魔されたりして、出港が遅れに遅れたんだ。結果「洞爺丸」は18時39分にようやく出港したけど、4時間遅れと貨物列車を搭載した代償は大きかったんだ。防波堤を越えた途端に台風が襲い掛かって、「洞爺丸」は大きく揺さぶられて大浸水。そしてエンジンが停止して航行不能になったんだ」

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