オッサン Ⅴ
オレは慌ててドルデスに問い掛けた。
「そ、その配達屋に会う事はできますか!?」
「ああ。三日に一度は店に来るぞ。時間は昼の客がみんな帰った後ぐらいだな。だがら次は、明後日の午後だな」
「明後日か……」
今のオレにはたったの二日がとても長く感じる。
「もしぐは、直接会いに行っでみだらどうだ?」
「会えるんですか!?」
「ああ。これがら行ぐなら、暗ぐなる前には戻れるだろ。うぢの従業員に案内さぜるぞ?」
オレは慌ててミュルの顔を見る。まだ回収したゴミを運び終わっていないからだ。
「行って来な。そっちの方が優先に決まってるだろ」
ミュルは微笑みながらそう言ってくれた。
「よし、決まりだな。んじゃ、早いこど食っで行った方がいい!」
ドルデスはそう言うと、厨房へ向かって野太い声で叫んだ。
「おーい! ボルヂィー! いるがぁー!」
「へーい!」
すると、奥の方から小柄なオークが駆け付けた。そして、オレを見るなり茶色い瞳を大きく開いて、仰天の表情を浮かべながらオレを指さした。言いたい事は解る。
「お、親方、コイツはあの時の!?」
「馬鹿野郎! 倅の命の恩人に向がっでコイツどはなんだ!」「ゴツッ!」
「いってぇー!」
ドルデスが岩のように大きな拳を振り下ろすと、ポルチの頭蓋骨が鈍い音を上げる。
「ずまねえな。ゴイツは育ちが悪いもんで行儀が悪ぐでいけねえ」
いやいや。アンタも十分に育ちは悪そうだよ。オレはそんな事を思うが、もちろん口には出さない。
「ボルヂ、お前ごれがらサトウを案内しで、ゴボルドのラオフェンがやっでる配達屋へ行っで来い」
「え! オイラが? 今からっスか?」
「つべこべ言わねーで早ぐ行げ!」「ゴツッ!」
「いっでぇーー!!」
再び鈍い音が辺りに響き、ポルチは急いで頭を摩る。オレは少しポルチの事を不憫に思いながら、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「向ごうに着いだら、店主のラオフェンを訪ねな。困っだ事があればオレの名前をだすどいい」
「ドルデスさん、ありがとうございます」
「ああ。気を付げでな」
『ぐれぐれもサトウの事を頼んだぞ!』そう言ってドルデスが背中をドンッと叩くと、ポルチが咽ながら『へい。大丈夫っス』と答える。
それからすぐにオレはドルデスに果物と干し肉を持たせてもらい、水筒にはたっぷり水を入れてもらう。更に、途中で服屋に寄って600オーロンで、ステテコの様な膝丈の半ズボンを買った。流石に体に布切れを巻き付けるだけでは動き辛い。
そして、オレはポルチに案内されて、意気揚々とラオフェンの配達屋へと向かった。
ラオフェンの配達屋は、街から山を一つ越えた農村地帯の入口にある。そこで採れる野菜や果物、家畜の肉やミルクなどを街まで配達するのが彼らの仕事だ。
オレとポルチはひたすら目標に向かって歩き続けた。しかし、それは最初の20分だけだ。すぐにポルチは『喉が渇いた』と言っては休憩し、『足が痛い』と言っては休憩し、『腹が減った』と言っては休憩し、終いには途中にある滝の傍で水浴びを始める始末だ。しびれを切らしたオレが『暗くなるまでに戻らないと、ドルデスさんがげんこつ食らわすって言ってましたよ?』と軽い嘘をつくと、ポルチは途端に足早に歩き出し『さあ、ぐずぐずしてないで先を急ぐっスよ!』とほざいた。
そして、予定よりだいぶ掛かって山を越えると、ようやく麓に農村地帯が見えて来た。
「見えて来たっスよ!」
「おぉ!」
一面に広がる畑と牧場。近くに大きな川も見える。オレは田舎の景色を思い出した。農村地帯の入口には何軒かの配達屋が軒を連ねている。その中の一番大きい店の前でポルチが足を止めた。
「ここがラオフェンさんの配達屋っス」
小柄だが筋肉質な身体つきで、黒緑色の肌に漆黒の髪の、人間と獣ともつかない生物が、店の周りを忙しそうに動き回っている。コボルトだ。掘りの深い顔立ちに血走った瞳と大きな鼻、先の尖った耳、顎まで開いた大きな口には細かい牙が見え隠れする。ホビットやオークを見た後で無ければ、とてもこちらから近寄る事など考えられない様相だ。しかし、今はオレが元の世界に帰れるかどうかの瀬戸際だ。
「すんませーん。店主のラオフェンさんはいるっスか?」
ポルチは持ち前の無神経ぷりを発揮して、忙しそうなコボルトたちにお構い無しに緩い雰囲気で問い掛けた。するとコボルトの一人が作業の手を止めてポルチの方を向いた。
「よう! ドルデスさんとこのポルチじゃねーか!」
「ういっス! オベールさん、ラオフェンさんはいるっスか?」
「ああ。裏にいると思うよ」
「ありがとうっス」
モヒカン刈りの筋肉の発達したコボルトが親しそうにポルチに話し掛ける。コイツこんなに軽い感じだが、けっこう顔は広いのか。それとも取引先だから偶然知っていただけか。よく解らん。オレのそんな思いも知らずに、ポルチはどんどんと店の奥へと進む。そして、突き当たりにある木の扉を開けると、店の裏手へと出た。そこは荷物置き場と厩舎になっており、何人かの従業員が動物たちの世話をしている。
木で仕切られた枠の中には、四頭のラプトルタスクという巨大な動物と、一匹のレザーデクトというロバくらいの大きさの動物がいた。ラプトルタスクは、大きな猪とサイを足して二で割った様なものにゴワゴワした長い毛を生やし、サイの角の代わりに下顎から二本の牙を突き出した動物だ。素早い動きは得意ではないが、力が強く荷車などを牽くのに適している。レザーデクトは、大型の爬虫類の中では最も性格が温厚な一種で、動きが俊敏で砂漠でも生存可能なほどの環境適応能力がある。乗用や急ぎの軽い荷物を運ぶのに適した使役動物だ。いずれもラオフェンの配達屋には欠かせない動物たちだ。
「ラオフェンさーん!いるっスかぁ?」
「んあ? 誰だ?」
ポルチの呼び掛けに奥の方から答える声が聞こえる。
「お? ドルデスとこのポルチじゃねーか。どうした?」
その声と共に厩舎の横に積まれた荷物の陰から、ラオフェンが姿を現した。彼は他のコボルトと同じように黒緑色の肌をしているが、ひと際、筋肉が隆起し、漆黒の長髪の一部に一筋の白髪が混じり、全身から独特な雰囲気を醸し出していた。
「ども。ラオフェンさんと話したい方がいるんスよ」
「ん? オレと話したい?」
「はい。人間のサトウっす」
「人間のサトウ?」
ラオフェンはそう言いながら銀色のゴーグルを外すと、オレを目踏みする様に見る。
「はじめまして。ラオフェンさん。サトウと申します」
「おぉ。よろしくな、サトウ」
「じつは、昨日のドルデスさんのお店への配達の事でお聞きしたい事があるんです」
「ほう──。まあ、立ち話も何だ。中に入りな」
ラオフェンはそう言うと他の従業員たちに、ラプトルタスクとレザーデクトの世話をしっかりしておくように指示して、オレとポルチを店の中へと案内した。そして、テーブルの席にオレたちを座らせると、少し待ってくれと告げて奥の部屋へと入っていった。しばらくすると、ラオフェン自らお茶を運んで来てくれた。
『ちょうど若い者が何人か休んでてな』照れ隠しのようにそう言いながら、オレたちの前に香ばしい湯気が漂うお茶の入った器を置いた。
「何かあったっスか?」
「おお。ちょっと大変だったんだ」ラオフェンはそう言ってお茶を啜ると、話を続ける。
「一昨日の夕刻、街からこっちに戻る途中の山中で、突然、ラプトルタスクが暴走しちまって三人が大怪我さ」
「それは大変だったっスね!」
「ああ。おかげで急きょ新人を二人も雇ったぜ。お陰でお茶くみも、オレが自分でしなくちゃいけねえって訳よ」
オレは差し出されたお茶を頂きながら、ラオフェンとポルチの話しに聞き入った。よく解らないが、あんな大きな動物が暴走したのであれば現場は騒然としたに違い無い。むしろよく怪我だけで済んだものだ。
「それで聞きたい事ってのは何だ?」
「じつは──」
オレはここに辿り着くまでの経緯を全て話した。マーゲンという飯屋の厨房で食材に紛れて意識を取り戻したオレが、そこが地獄で店主のドルデスを鬼か悪魔だと思い込み、とりあえずその場から全力で逃げ去ったこと。その後に、ヴォーツェルと出会い、地獄や鬼や悪魔がオレの勘違いだった事に気付いたが、その時点ではまだドルデスがオレを食おうとしていると信じ続けていたこと。街中は危険だと考えて外周を歩いてヴォーツェルに紹介されてミュルを尋ねる途中で、偶然にもドルデスの息子のボルスに出会ったこと。この時点でオレはボルスとドルデスが親子だと言う事を知らなかったこと。ボルスたちがギガタスクルという巨大甲虫の幼虫を捕まえようとして、逆にギガタスクルの成虫に襲われているところを、結果的にオレが助ける事となったこと。そして、その後にようやくミュルと出会い、紹介してもらった働き口が、偶然に偶然が重なって、最初にオレがいたドルデスの飯屋『マーゲン』だったこと。そして、最後にドルデスがオレを食おうとしていたと思ったのは、オレの勘違いだったことにようやく気付いたこと。
ラオフェンは話しの途中で何度か驚いた表情を浮かべ、度々、細かい牙を豪快に見せて大笑いした。確かにオレがここに行き着くまでの経緯はまるで喜劇だ。でも、それは当事者からすれは悲劇そのものだ。
「お前、サトウって言ったか。面白いヤツだな」
「はは。どうも……」
「要するにここへ来たのは、ドルデスの店にうちの従業員が食材を運んだ時の事を聞くためって訳だな」
「はい」
「解った。ちょっと待っててく──」
そう言い掛けたラオフェンの表情が険しくなる。
「今、何か聞こえなかったか?」
「え? とくに聞こえなかったっスけど? サトウ聞こえた?」
「いえ──」
その刹那、オレは股関に何かを感じ取り、咄嗟にラオフェンの顔を見る。これは『危険』を知らせる合図だ。ラオフェンは何かを確信したように、オレに頷くと厩舎のある店の裏手と向かった。オレも横で鼻をほじっているポルチをほっといて、ラオフェンの後を追う。
「ラオフェンさん! 大変です!」
その時、裏口の扉から従業員の一人が泡を食って飛び込んで来た。
「ラプトルタスクたちが大暴れしています!」
裏口の扉の向こうには、ほんの15分前にオレたちがここを訪れた時に見たものとは、大きく様変わりした光景が広がっていた。やがて騒ぎに気付いたオベールたちも店の正面から駆け付けた。
四頭のラプトルタスクたちが四方で大暴れし、厩舎の柱はへし折られ、屋根が半分ずり落ちている。従業員たちは荷車の陰に隠れてラプトルタスクの様子を窺い、逃げ出したレザーデクトが、敷地の隅に置かれた荷物の陰で、警戒する様な声を上げて身を縮こまらせている。
そこはまさに修羅場だった。