母
愛が私にとってどんな存在かって言うと……そうね。唯一の愛する存在というか。
愛を産んだのは私が十八の時のことだった。
私が十歳の時、両親は離婚して、でもママはその三ヶ月後には再婚したの。その時私がどう思ってたのかっていうと、パパがかわいそうだなぁ、って。パパはスラァっと背の高い、イケメンのパパだった。優しくって、声も低くって。でも、ママはパパのどんなとこが気に入らなかったのか、わかんないし、聞けなかったし、もう二度と聞くことはできないけど……別れちゃって。しかも、その再婚相手がもうサイアクで。ママより背の低い、お腹の出っ張ったオジさんだったの。明らかにパパより歳上で――いくつ上なのかは聞いてないけどね。でも、お金は持ってたみたい。でも、私からしたら、もうイミわかんなかった。あんなカッコいいパパ捨てて、どうしてそんなデブオヤジと結婚したの? ってね。……私はスネたわ。そりゃもうハデにね。ママとは口もう聞かなくなって、「新しいパパよ」なんて、デブを紹介したんだけど、私はソイツを『パパ』だなんて、呼ぶ気はなかった。ニコニコしたソイツの顔はテカってて、ブランド物のチェックのスーツもパツパツで、(なんてイヤらしいヤツ!)って。思った。一ヶ月に一回会えるホントのパパに、「私、パパと一緒に住みたい」って。何度も言ったわ。泣きながら言ったこともあった。でも、そんな時パパは困ったような、悲しい顔をしてこう言うの。「ゴメンな……」って。それだけ。それ以上は言わないの。ママの悪口なんかもね。
でも、私が一番ショックだったのは、そんなパパが一年後に再婚して、子どももできたことだった。最後にパパに会った日、そこには、パパの結婚相手と、その赤ちゃんがいたの。赤ちゃんを抱いたパパは嬉しそうに、「ほら、かわいいだろう」って。見せてきたわ。
赤ちゃんは確かにかわいかった。だって、パパの新しい結婚相手の人も優しそうな、キレイな人でね。そりゃあ赤ちゃんだってかわいく生まれてくるでしょうよ、って。でも、私がその時何を思っていたのかというとね――自慢されてるような気分だった。大好きなパパから、「ほぅら。この二人が俺の新しい家族なんだよ。かわいいだろう? キレイだろう? 幸せそうだろう?」……って。もう、ホントに、まぶしかった。見てられなかった。自分がみじめで、たまらなかったわ。カッコイイパパ。その新しい結婚相手、キレイな人。かわいい赤ちゃん。三人は新しい、幸せそうな家族だった。それにひきかえ、金持ちのブサイクオヤジと再婚したママ。……そこに引き取られた私。心が破裂しそうだった。私、我慢したんだけど、泣いたわ。身体の震えが、涙が止まらなかったわ。パパは心配そうに「どうした?」なんて言うんだけど、私は(なんでわかってくれないの⁉︎)って気持ちになって、黙ってその場から、逃げたわ。ファミリーレストラン。そこがいつもパパと待ち合わせてた場所だった。ママとパパが離婚する前、家族三人で一緒に行ったこともあった場所だった。扉を押し開けて――そこは下一面が駐車場になってて、二階にあるんだけれどね。階段を降りきった時、一度だけ振り返ったの。……パパの姿は、そこには無かった。私、そこからは歩いて帰ったんだけど、結局パパは追いかけてきてはくれなかった。涙を流しながら、ひとり、歩いて帰ったわ。それが、最後にパパに会った日の事だった。冬の寒い日だった。マフラーを置いてきてしまっていた。パパに貰った、赤いマフラー……。何日か後に家に戻ってきてたんだけど、それはすぐに、ゴミ箱に捨てちゃった。
中学に入ってからは、いわゆる非行少女、って感じで。友達の家に泊まったり、ってことが多かった。夜通し公園で遊んで、そこで寝てから学校に行くなんて日もあったわ。先生に怒られることはしょっちゅうで、はたかれても、叫ばれても、慣れっこでなんにも感じなくなっていってた。ママはオジサンと、新しい赤ちゃんにつきっきりでね。なんだか幸せそうだった。私としては、まぁ良かったね、ってカンジ。
初めてカレシができたのはその頃でね。初めてキスしたとか、初めてエッチしたとかの日は、覚えてないんだ。お酒も飲んでたし、なんだかいっつも眠かったんだもの。だから細かいことは覚えてないね。でも、ちゃんとすき、って気持ちはあったよ。でも、まぁ中学生同士のカップルなんて、今でこそわかるけど、ただの大人の真似事してるだけみたいなものだからね。男の子はエッチのことばっか考えてるし。ホント、今思うとバカみたい。何にもわかってないの。昔の自分たちのことを思い出して、客観的に見てみるとね。ホント、自己嫌悪、ってカンジよ。醜いサル、ってカンジかな。
高校の時にできたカレ。その人と初めてあった時のことは、今でも覚えてる。なんだか無性にすきになっちゃってね。なんでだろうって、自分でもフシギだったんだけど、よくよく考えてみたら気付いたわ。顔が、パパに似てたの。それだけ。
すごくすきになって、もう(結婚したい!)ってカンジで。めちゃくちゃ強引なアプローチをかけたの。そしたら、案外アッサリ付き合えた。カレは純粋で、まだドーテイだった。ちょっとジラして、三回目のデートでエッチした。十七の時。そっからはまぁ、普通の高校生カップルって感じでね。彼の前では私もイイコぶって、中学の時ほど悪いことはしないようになってた。昔のことはナイショにしたわ。だって、ひかれちゃうもんね。
十八の時。なんだかずっと吐き気がしてて、風邪かな、なんて思ってたんだけど、マサカネ……なんて思いながら調べてみたらね、『陽性』。その時どう思ったかっていうと、もう純粋にうれしかったわ。(ヤッター!)ってね。先のことはあんまり考えてなかった。だって私はもうカレのことを純粋に愛していたし、カレだって明るいとこでは恥ずかしがって言わないけど、暗いところでは素直に「愛してるよ」って言ってくれてたからね。だから、私は全然疑わなかった。二人の仲についても、これから私達は結婚して家族になるんだ、ってこともね。当たり前のことだと思ってた。あぁ、私これから、幸せになれるんだ! って。……思ってた。
でも、カレの反応は全く真逆のものだったわ。「ハァ⁉︎」なんて言って、眉間にシワ寄せてね。「マジかよ……」なんて。私は全身の血が冷たくなっていくのを感じたわ。パパに見放された時と、同じ感覚。だって、パパみたいな顔で言うんだもの。そして、怒りがこみあげてきた。「マジかよ」じゃねぇわ、ってね。それ相応のことやっといて、「マジかよ」なんてないでしょう。ゴム買ってないけどまぁいいかだなんて、言ったのはアンタでしょ、って。そこからは口論。思い出すのもイヤになるやり合いをしてね。なんとなく想像できるでしょう? でも、私は堕ろすだなんて絶対したくなかった。だって、やっと手に入れた、私の本当の、家族なんだもの。
結局、彼はそのあと私から離れていった。カレは高校卒業後は普通に大学に行って、普通に就職して、普通に結婚したいんだ、って。普通、普通。そんな言葉を聞いてたら、なんだか私も冷めてきちゃってね。なんだコイツ、ツマンナイ。バッカじゃないの、って。もう普通に死ねよとか思って、私も特に引き止めたりもせずに別れた。ママはそんな私を怒ったりはしなくって、しょうがないわね、って感じでサポートしてくれた。お金にも余裕があったのね。オジサンのおかげで。赤ちゃんもいるし、まぁ私のことなんてやっぱり、そんなに大切じゃなかったのよ。そもそもが失敗作だから、もうこれ以上失敗が続いたところで、ってカンジだったのかな。でも、まぁ助かったわ。十ヶ月後、私の赤ちゃんは――私の本当の家族は、私が産んだ。かわいくってシワクチャなその赤ん坊に、私は愛って名前をあげたわ。愛に飢えていた私の手の内に、ようやく収まってくれた愛の暖かみ。そんな思いで、愛って付けたの。……ママはあきれてたけどね。アンタにはわかんないでしょうよ。私の気持ちなんて。そう、思ったわ。
高校は中退した。私立で、校則も結構厳しいところだったのね。自主退学にさせられて。それで、私はアルバイトを始めた。これからは自分一人で、社会で生きていくんだ、って。家を出た。ママは何にも言わなかった。オジサンは私のことはすっかり諦めてたから、無視してた。ママの新しい子は、一応妹になるんでしょうけど、私のことが怖かったみたいなの。なんでかはわかんなかったけど。私も無意識の内に、怖い目でその子のことを見ていたのかしらね。居場所はそこには無かったわ。だから、実家からは離れた場所に住んだ。
でも、母一人で子どもを育てるのって、ホントに大変なんだって。その時初めて思ったわ。家賃、光熱費、オムツ、ミルク。夜泣きがヒドくて眠れないし、バイトしたって身が入らないんだもの。怒られてばっか。ある日、バイト先のスーパーのバックヤードに入ろうとしたらね、中から声が聞こえてきたの。「だから中卒なんてとるな、って言ったんだ」って。私のことかぁ、って。すぐ気付いたけれどね。なんだかあんまり、何も感じなかったわ。眠かったんだもの。思えば、中学生の時くらいから、ずっと眠かった気がするわ。もう、眠たい。寝たい。ぐっすり、ずっと寝てたい。本当は。でも、愛が泣くしね。すぐ起こされちゃうの。だから、寝たい、って欲求が、一番強かったわ。もう、永遠に――寝たい、って。
そんなことを思いながらも――でも、母性が勝ってね。私がかつて苦しんだような思いをね。愛には感じさせるまいと、働いたわ。ひとりぼっちにはしないよ、ってね。私はバイトを転々とした後、とあるスナックで働くようになった。そこのママがまた、優しくってね。愛のことについても、だいぶ助けてもらった。服のおさがりや、愛が小学生に上がる時には、ランドセルもくれて。ホントに、本当のママみたいに私のこと、愛のことを思ってくれてた。
……でも、ママは身体が弱かったみたいでね。ある日、私が店に行くと、姿が見えなくて……。
倒れているところを見つけたのは、私だった。救急車を呼んだのもね。でも、もう間に合わなかった。……辛かったわ。私に優しくしてくれてた、唯一の人だったんだもの。
私はまた、職を探した。……でも、中々次が見つからなくってね。履歴書を書いては、面接。でも、待てども連絡は無く……次を受けては、連絡を待つ。
でも、誰も私のことなんか必要としてないのね。三十以上の、中卒のね、シングルマザーで、それも私みたいなくたびれた女なんて、風俗でも必要とされてないんだって。思ったわ。私が働けるようなところは……私を必要としてくれてる職場なんて、どこにもなかった。露骨に、鼻で笑うような人もいたわ。私なんて、ソイツの鼻息で吹き飛ばされてしまうような、ちっぽけな存在なんだ、って。思ったわ。悲しくって。切なくって。何のために生まれてきたんだろう、って。思ったわ。イラナイ、本当に誰も私なんかイラナカッタんだって。じゃあ、なんで生きてるんだろう、って。……私の存在なんて、無かったら良かったのに。……そんな風に、思った。
もう寝よう。そう思った。――永遠に。
でも、私にとって唯一の心残り。それは、愛だった。私がこの世に生まれてきて、唯一この世に、産んだもの。結局私は、ママ以下だな、って思った。オジサンと再婚したのは、良かったのね。……良かったわね。
あの辛い思いを、この子にもさせてしまうのね……。そう思うと、身を切りつけられるような気持ちになった。この世を一人で生きていくという辛さ。誰にも必要とされてないという絶望を。……せめて。せめて、あなたを産んでしまったという責任を。自分で、とるわ。私はそう、決心した。
私はひとりで死んではゆかない。
あなたを決してひとりぼっちにはしない。
あなたを苦しめずに、殺してあげる。そして、私も死ぬ。