はじめてのまほうしょうじょ ~1~
魔法少女になるための課題は案外あっさりと終わった。
大熊の申し入れを承諾し、魔法少女として働くことを決めたまひるは、まず両親の許可をもらうために、父と母が帰宅する夜になるまで家の家事をこなしながら学校の勉強をして待った。そして夜になり、父と母が二人とも居間にそろっている状態を狙って、事情や経緯、動機などは一切語らずに、アルバイトをしたいからサインがほしいという旨を、職種をぼかしながら両親に伝えた。母は初め――まひるの想像していた通りに――いい顔はしなかった。しかし父が、「まひるさんも十分大人ですし、いいんじゃないでしょうか?」と朗らかな顔で言うと、母も不本意ながらも納得したようであった。結局その一言が決め手となり、彼女は、両親の同意と履歴書への署名を得るに至った。
もう一つの問題事項である学校側に関しては、担任の教師に聞いたところ、問題事を起こさないことと試験で赤点を取らなければ、こちらとしては構わない、とのことだった。まひるは進学高なのに随分緩いなあと思ったが、そのおかげで迅速に事が運んだのだから、まあラッキーだったのかな、となんとなく思った(積極的にやりたかったわけでもなかったが)。
そんなこんなで、正式にアルバイトの魔法少女となったまひるの目の前に、おもちゃの――どう見ても玩具にしか見えない、槌部分が赤色で柄部分が黄色のピコピコハンマーが、彼女の手に握られながら在った。
今、まひるがいる場所は、彼女の家にある小さな庭の中である。かたわらには宇宙人姿の大熊勇介もいた。住宅街のため周りには大小色とりどりの西洋風の家屋(日本家屋を思わせるような家は全くない)があったが、人の往来は見えなかった。
なぜまひると大熊が、土曜の真昼に、そんな所で二人きりでいるのか。それを説明するには時を少し遡る。
まひるが土曜の授業(半休)をこなし、アルバイトについての事前確認を経て、学校から自宅に帰ってくると、家の前で大熊が、長方形の小型の機械を持ちながらそれを熱心に凝視し、指のない手を使って、その機械をカチャカチャといじっていた。大熊はその行為に夢中になっているのか、にやにやと笑みを浮かべつつ、時々「ふひひ」と気味の悪い声をあげて、目つきの悪い顔をいかがわしい顔に変化させていた。
その光景を目にしたまひるは、
(……うわぁ)
と、引く思いであった。
とはいえ、無視して通り過ぎるわけにもいかなかったし、そもそも、まひるは彼に用事があったので、
「……勤務中に遊んでていいんですか」
と、真面目な顔つきで、彼にそう言った。
大熊がここに居る理由は、『仕事』に関することであろう。しかしそれならば、彼は職務中のはずである。まひるは大熊の仕事に対する態度が気になった。
「い、嫌でござるなー。これも仕事の一環でござるよ?」
と言う彼の態度は、明らかに不審であった。大熊はまひると目を合わせようとせず、あさっての方向を向きながら、肩をすくめるような動作をとった。
まひるはその言動に関心を示さずに「まあ、いいですけど」と言って、その話題を打ち切った。真偽を追及する気もなかった。気になったからといってあれこれ干渉するほど彼女はお節介でもなければ、人の不真面目をとがめるほど生真面目でもなかった。
今のまひるの関心は、彼ではなく自身の『仕事』にあった。そのため、
「えっと、昨日の件、ですよね?」
と、まひるは確認も兼ねて、とぼけた風に尋ねた。
すると大熊は、
「そうでござるな」
と、普通な――特別変わった様子のない状態で、そう答えた。
このときまひるは彼の言動に違和感を覚えた。なぜなら彼女の脳裏には、昨日見た大熊の必死な振る舞いが、まだ印象深く残っていたからだ。まひるは大熊に結果――仕事の許可を貰えたことをまだ報告してはいない。それならば大熊は、もっと焦燥しているべきではないか。なのに今の彼からは、焦りなどは一切見受けられない。
この状態の変化に、まひるは何かあったのだろうかと疑問を抱いた。
まひるは知る由もなかったが、昨夜のうちに、大熊の中のまひるを"魔法少女"にするという熱意は薄くかすんだものになっていた。もともと仕事に積極的ではなく、『給料を下げる』という脅しがあればこそ必死に勧誘をおこなっていたわけなのだが、日本の法律では、労働者の合意のない給与の引き下げは原則として禁止されている――ただし今回の場合は、人事権を用いた降格、それにともなう給与の減少であるため、妥当性を欠いた権利の行使でなければ違法とは言えない。また懲戒処分として賃金を減らすことも、就業規則に記載されていて、かつそのことを十分に伝達しており、そのうえで客観性を帯びた理由がきちんとあるならば可能である(金額に上限はある)――ということを惑星間インターネット(宇宙人達が利用する、独自の通信規約を用いた遅延耐性のあるコンピュータネットワーク。光より速い物質が発見されていないため遠い場所ではタイムラグが起こる)で知り、それならば法の盾を使えば、上司のこの攻撃も完全に無効化され、なんなくクリアできるのではないかと、彼は考えた。その結果大熊はステータス異常が回復したかのように、無責任で自由奔放な、普段の悠々とした状態に戻った。
しかし、それは大熊の都合であり、まひるにはなんの関係もないことであった。まひるからすれば、最終的に自分の意思で決めたこととはいえ、彼から懇願されて仕方なく引き受けた案件であるというのに、その厄介事をたずさえてきた当の本人が、真摯さも勤勉さも感じられないだらけた状態でいたため、出鼻をくじかれたような思いであった。とはいえ、そんなことで、一度決断したことをくつがえす気はさらさらなかったが。
「それで、どうだったでござるか?」
まひるは未熟な敬語で、けれどもすらすらと答えた。
「えっと、結論から言いますと特に問題はありませんでした、今日からでも働けます。ただ学校の成績次第ではすぐに辞めることになるかもしれませんが」
「ふむふむ、親御さんは問題なし、と」
「あとは書類の手続きでござるが、履歴書のほうはもう完成してるでござる?」
と大熊は、気さくな感じに、さらりと尋ねた。
すると彼女は、どこか無機的な顔をして、
「それがまだ――写真の撮影を忘れていたので」
と、返事をした。
その言葉は事実である。が、そこには『嘘』があった。
彼女は履歴書に貼るための証明写真を用意していなかった――それは間違いない。けれども写真の調達を、失念していたわけではなかった。今も頭の中に、抜け落ちることなく、記憶として保管されていた。
なのに彼女はそれをしなかった。いや、することができなかった。
なぜなら、彼女は、証明写真を撮る場所も、そのときに必要な服装も、それにかかる費用や時間なども、その行為に関する決まりごとを、なにも、知らなかったのだから……。そのことに気がついたのは校舎を出て、その用事を済ませようとしたときで、今の自分の力ではいかんともしがたく、時刻も時刻であったため、一度帰宅することにした。帰路の途中、昨日のうちに聞いておけばよかったとぼんやりと考えたが、あとの祭りである。
そのため「忘れていた」と言うよりは、「撮れなかった」と言うほうが正しいであろう。
彼女が意識的に誤った印象を与える言葉を彼に使用した理由は、それは――彼女自身にもよくわからなかった。
羞恥心、自尊心、虚栄心。原因の目星はいくつかあったが、そのいずれかを「犯人」と見なし、とらえるのは、適切だとは思えない。むしろその中の全て、複数の感情が、脳内で生成、体内に内包されたことにより自己防衛本能が働き、結果として、自我を守るために外に責任を求めたのではないか。姑息だと認めながら『建前』で取り繕ったのではないか。自分の意思で本能という無意識に従ったのではないか?
まひるは追究するのをやめ、大熊の反応をじっとうかがった。緊張などはない。履歴書に関してはまた明日に回すだろうと思っていた。しかし、返ってきたのは予期せぬ言葉であった。
「ああ、それなら問題ないでござるよ。こっちのほうで適当に処理しておくでござる」
その彼の反応に、まひるは一瞬とまどった。けれどその申し出を断る理由もなかったので、素直に従うことにした。
履歴書は手持ちの鞄の中にある。そのためまひるは、手間をかけることなくそこからさっと自身の履歴書を取り出すと、不完全で稚拙な、証明写真の欠けた手書きのそれを、彼に手渡した。
「これでまひる殿は正式に魔法少女でござるな。拙者がパートナーとして担当することになるでござろうから、これからよろしくでござるよ」
大熊はそう言うと、まひるに向かって右手(上肢だと思われる部位)をすっと差し出した。まひるはすぐさま、その行為の意味と相手の意図を察した。彼は親睦のために握手を求めているのではないか、と。まひるは自身の利き手をそっと突き出し、気取らぬたたずまいで、大熊と握手をする形をとった。すると見た目以上にもふもふとした触感が、彼女の手に張り巡らされた神経を刺激し、神経伝達物質を通じて、瞬く間に脳へ伝達された。彼の手は、とても柔らかい感触であった。
このときまひるは彼のこの行為を不思議がることはしなかった。地球以外の星でも、互いの好意を示すために、手を軽く握りあう慣習が存在する、などとも思わなかった。ならなぜ彼女は地球外生命体と手をつなぐことに、なんのためらいも見せなかったのか。それは彼女の考え方と歴史的事実に起因する。
彼女の考え方とはこうである。『郷に入っては郷に従え』という言葉があるように、余所から来た者が現地の風習に倣うのは、別段奇怪なことではない、と――たとえそれが地球の外であろうとも――。また自国の首相が彼らと親しげに挨拶し、そのあと友好的な会談をおこなったというテレビ越しの事実が、彼女の――いや、日本国民全体の、彼らに対する脅威や恐怖、不安に嫌悪、先入観に偏見などを、取り払う後押しとなったことは確かであろう。それに日本語を――少し特殊な喋り方ではあるが――流暢に話すことに比べたら、宇宙人が握手を求めてくることなぞ些細なことではないか。
彼女からすればそんなことよりも"パートナー"という言葉が気にかかった。
"パートナー"。それは英語であり、外来語でもある。いつ日本にやって来て、定着したかは定かではない。が、その言葉を――もちろん、記憶をつかさどる海馬が十分に発達していない赤ん坊や、健忘におちいった老人などを除いて――日本で知らぬ者はほとんどいないであろう。それぐらいごくありふれた言葉である。日本語で言うならば、相棒、相方、配偶者など。つまり"魔法少女"の仕事は二人一組のペアで行われ(魔法少女に関するニュースで宇宙人達が画面に映るところを見たことはなかったが)、仕事の間はずっと大熊と行動を共にすることになると推測できる。そう考えると、まひるは――仕事を始める前から――げんなりした。
余談だが、全ての英語が日本に浸透しているわけではない。広く普及しているのは、一部の簡単な英単語か日本で常用されている用語だけであり、大半の日本人はまともに英語を喋れないであろう。それに日本人が使用する英語は、日本語化された英語でしかないのだから。
フレンドリーな――それこそ本当に気心の知れた仲であるかのような――笑顔を見せていた大熊は、表情を多少かしこまったものに変えると、こう訊いた。
「さて、それじゃあまずは仕事の説明をしたほうがいいでござるかね?」
この質問に対し、まひるは思い悩むようなことはしなかった。彼女の中ではすでに回答が用意されていたのだから。
まひるは小さく挙手すると、
「その前に、先に昼食を済ませておきたいのですが」
と答えた。
その言葉はうそ偽りのない本心であり、彼女の願望であった。彼女のおなかは、長時間の「お預け」で、しきりに低い雄たけびをあげていた。「待て」と命令したところで、その行為を抑えることも、胃の収縮による空腹感を消し去ることもできないであろう。この食欲を取り除くには、脳の視床下部にある満腹中枢を刺激して、摂食行動を命じる信号を止めるしかない。そのため、彼女は食事を求めた。
さらに本音を言えば、家の前で人目も気にせず醜態をさらしながら人を待つのは、迷惑このうえないのでやめてほしい、と彼に言い聞かせたかったが、そのことを直接口に出すのははばかられたので、心の中で思うだけにした。
「把握したでござる。それなら拙者はエロ……『ギャルゲー』! をして待ってるでござるよ」
そう言うと大熊は、へらへらした笑みを浮かべた。
(……ギャルゲー?)
初めて聞く単語にまひるはどう反応したものかと少し困った。――もしかしたら業界用語かもしれない。それとも宇宙人達しか知らない異星の言葉? こういう時は質問するべきなのかな、といった様々な考えが、頭に浮かんでは整理されずにどんどん積み重ねられていった。まひるはそれらを片隅に追いやると、その中から瞬時に『最適解』を選び出し、普段通りの顔つきで、「わかりました」とだけ大熊にはっきりと伝えた。
"ギャルゲー" が何なのかはわからなかったが。