得意コース
田辺が蹴ったボールは、吸い込まれるように桜井が空けていた左側へと飛んでいった。
『どーだコノヤロー! 取れるもんなら取って見やがれ!』と言わんばかりの、サイドネットギリギリの中段コース。田辺がPKで得意なコースの一つだ。もう一つはゴール右下。上の方を狙うのは得意じゃないと本人が言っていた。いつも中段の左端のコースか、右下のコース。知っている人間なら止められるが、初見であのコースを止められるのは少数だと思う。
しかし桜井は、田辺が蹴る前から動き出していて、蹴った時にはすでに中央寄りにステップを踏んでいた。そしてその移動の勢いをそのままに、空けていた左側へと足を伸ばし、飛んできた田辺のボールに触れた。
触れたのは実際に掠った程度だったが、ゴールラインよりも前に足の伸ばすことによって、その掠っただけのボールがゴールから逸れる角度が大きくなった。よって、田辺が蹴ったサイドネットギリギリのボールはポストに当たり、向こう側へと飛んでいった。
その一連の動きは本当に一瞬で、あっという間の出来事だった。先輩を含め、見ていた俺たちは、呆然とあっけにとられていた。
一番驚いていたのは、キッカーである田辺かもしれない。
「さて。次は俺の番だな」
「ちょっ、ぐっ……止めてやる」
田辺は言いたいことをグッとこらえたようだ。確かに言いたいことはあるだろうが、PKは結果としてゴールラインを越えなければキッカーの負けである。だからこそ、次を止めてからが本番だ。
田辺はすれ違いざまに桜井に敵意を向けるが、桜井は何もなかったかのようにペナルティマークにボールを置き、数歩だけ後ろに下がった。田辺は桜井とは違って、ど真ん中で手を広げて守る。
「かかってこいやぁ!」
先ほどの桜井の知能的頭脳的な守りを見てしまうと、田辺の小物臭が半端ない。
「望み通り、一撃で仕留めてやる」
穏やかじゃない台詞を言った桜井は、改めて助走をとるようで、大股でさらに数歩下がった。まるでフリーキックを蹴るかのような下がり方だった。歩幅を確かめ、得意なタイミングと距離で蹴れるように歩幅を調節するような下がり方。
そして振り返って仁王立ちでゴールを見据えた桜井。一つ深呼吸をすると、ボールに向かって真っすぐに走り出す。
普通、PKやフリーキックなどのセットプレイは、ボールまで斜めに走って行くのが普通だが、桜井は一直線だった。ブラジルのロベカルを思い出すような助走だった。
そしてそのイメージはキックまでピタリと当てはまり、深めに踏み込んだ右足。遅れてやってくる振りかぶった左足。まさにロベカルだった。
ドカッというPKでは聞きなれない大きな音を出し、左足に当たったボールはまっすぐに田辺が守るゴールの右側へと吸い込まれていく。
桜井のシュートの速さに一瞬ビビったのか、田辺の反応は少し遅れ、ボールに向かって手を伸ばしたがそれも掠ることなく、ボールがゴールネットを豪快に揺らした。
「おぉ」
先輩の中の誰かから、そんな感嘆の声が聞こえた。
綺麗だった。なんかすごかった。キーパーとしての守りから助走をつけてのシュートまでが、すべてが計算しつくされていたかのような動きだった。
「くっそー!」
田辺はネットに当たって戻ってきたボールをゴールネットに向かって蹴り返し、負けたことの苛立ちをぶつけていた。
そんな田辺の元に桜井が近づいて声をかけた。
「いい勝負だった。ありがとう」
「……ふんっ」
桜井が差しのべた手を田辺が乱暴に掴んで握手をする。
そんな二人の姿を見て、先輩たちから拍手が沸き起こる。
……なんだこれ。
そんな先輩たちに向かって、桜井が言う。
「先輩。一応確認しますが、俺がキャプテンでも問題ないですか?」
桜井の言葉に、忘れてたとでも言わんばかりの慌てようをみせる先輩方。そして小声での短い議論のあとコクコクと頷いて、石見先輩が代表して返す。
「桜井君。今日から君が名波坂高校のキャプテンだ!」
妙に熱血感を出して言う石見先輩。
……これでいいのか?
桜井の後ろでは、田辺が腰に手を当てて満足そうに笑顔でうなずいていた。
俺は西岡に向かって肩を竦めると、西岡も困ったような顔をして肩を竦め返した。