6 約束。始まりの七人。そして、覚えた感情は。
※ご注意※
この回には、少しですが地震の描写があります。苦手な方・不快に思われる方はご注意ください。
「で、他に聞きたいことは?」
「じゃあ、えっとね」
蒼は、開いた本のページの一文を指差す。
「これ。マナっていうのが、約束って意味なのは分かった。それはいいとして、じゃあ誰と誰の約束なの?」
すると教授は目を丸くした。
「おかしな処に目をつけますね、貴女は。今更そんな事、大地のヒトは気にしませんよ」
今度は目を細めた教授に、蒼はちちちと舌を鳴らして指を振る。
「私、日本人だから」
「ああ……そうでしたね」
忘れていたと言わんばかりの口振りだ。
蒼が彼を軽く睨めば、涼しい顔で受け流された。
「約束とは、大地と大地に生きるヒトとの間で交わされたもの、です」
「アストリア? って大地の事だよね」突拍子も無い答えに、蒼の声は裏返る。「それってなんだか、大地が生きてるように聞こえるんだけど……?」
「そうですよ。今は諸事情で眠っていますけど大地は生きている。意思を持ってるんです。……何、変な顔で床を見つめてるんですか」
「や……。それは、なんていうか、ほんとに?」
「必要ない場合に、嘘は吐かない主義です」
教授は机に両肘を乗せ、合わせた両手を口の前に持っていくと、声のトーンを落とした。
「この大地に生まれたヒトは、〈約束〉から逃れる事はできません。
大地とヒトの間にある〈約束〉は、一種の束縛でもある。そうだな、詳しく説明すると長くなりますが……」
教授は逡巡し、僅かに目線を落とした。
「600年ほど昔に、大地の生き物が死に絶えた時期がありまして。それも、ヒトが原因でね」
「なに、それ」
淡々と説明するには何とも穏やかでない内容に、蒼は眉根を寄せる。
「混沌時代。オレ達はそう呼んでいます。その時代、ヒトは今より長い寿命と繁殖力、そして様々な技術を持っていました。
同時に、生きる事に非常に貪欲でもあった。虐殺、略奪、破壊といった行為を躊躇わずに実行できる程度にね。その結果大地の空気や水は汚れきり、ヒト以外の生物のほとんどは、死に絶えてしまったんです」
「…………」
似た話を知っている。
そんな風に、蒼は思ってしまった。
様々な技術。
求められたのは延命、長寿――生への執着。
自然破壊。
そして起こる大地の異変。
それは蒼が知っている地球の姿。
(もしかしてここ、未来の地球……とか?)
異世界説の次は時間旅行説?
くらくらする。
蒼は目眩をこらえようと、背筋に力をいれた。
教授の説明は、淡々と続けられる。
「先ほども言いましたが、大地は生きています。
そして、ヒトが己の欲望のままに破壊し尽くした木々や水、空気は大地の一部なんです。もし貴女が、己の四肢や臓器を好き勝手にいじられたとしたら、笑って許せますか?」
「ぞ、臓器っ? む、むりむり。絶対。っていうか、死んじゃうよ」
ぎゅっと体を抱きしめて、蒼は必死に首を振る。鳥肌がたっている。
「でしょうね。大地もそう考えたんです。このままではヒトの手によって滅ぼされしまう、どうにかしなければならない、と。
ヒトの横暴に激怒した大地は、大きすぎる技術や寿命をヒトから取り上げることで、己を守る方法を思いつき、実行した」
「えーっと……つまり?」
「大地は、ヒトの行き過ぎた技術や寿命、己を脅かすそれらを封印させろ、とヒトに対して要求したんです。要求を受け入れなければ、大地の灼熱で全てのヒトを焼き滅ぼす、とね」
「うわー……選択の余地無しだよね、それ」
「問答無用で焼却処分させられなかっただけ、マシでしょう。もっとも大地としては、ヒトを全て滅ぼそうとすれば他の生物も同様に滅ぼす恐れがあったのと、ヒトが大地の脅しに怯え絶望し泣きながら謝罪する姿を見ることで鬱憤を晴らしたかったから問答無用は避けた、というだけの話で、そこには恩情など欠片もなかったでしょうが」
「こわー……。あ、じゃあ〈約束〉っていうのは、ヒトが大地に生かしておいて貰う為に受け入れた、条件、ってこと?」
「そう。大地が提示したいくつもの条件を、保身のためにヒトが受け入れた時、彼らの間に生まれたのが〈約束〉であり、その証が鎖となって現れた」
だから〈約束〉は絶対で、鎖はヒトへの束縛。
蒼は教授の袖口から覗く、戒めとは思えぬほど純粋な煌きに視線を向けた。
大地が生きているとは信じ難いが、否定できるだけの知識を、蒼はまだ持っていない。
――もしかして、地球にも意思があったりするのだろうか。
(温暖化とか突発的な自然災害って、地球の……えーっと、自己防衛機能? や、それは考えすぎか……でも、うーん)
母なる地球。
数え切れない生命を誕生させ育んでいる『彼女』が命を持っているという幻想は、もしかしたらロマンティックで終わらせてはいけないのかもしれない。
「大地が眠っているっていうのは?」
「混沌時代にヒトから受けた傷を癒すために、永い眠りについているんですよ。勿論その間も〈約束〉は有効ですから、大地が眠っているからといって、それから逃れることはできません。
ここまでは理解できましたか」
「とりあえず〈約束〉の意味は理解した……と思う」
ちょっと、いや、かなり頭が痛いけれど。
「〈約束〉って、たくさんあるの?」
「まあ、細かいものもあわせると、かなりの量になるかと。寿命を短くとか、元々持っていた様々な技術を使えなくする、とか。後は、例えばカリクを……」
教授は、台詞途中でハタと口を閉じた。
「というか、その辺りの事は本を読んで下さい。口頭では、説明が非常にめんどくさい」
教授が本の山から一冊を放ってよこして、蒼は両腕を使って受け止めた。
ずしりとした重みに、危うく床に落としかける。
「お、重っ! しかも、すごい分厚いっ!」
厚さが握りこぶし二個分はある。
読破に何日かかるのかと項垂れた蒼を、教授は片手で頬杖をついて眺めた。
「しかし本当に常識知らずですね、貴女は」
「だーかーらー。この世界の人間じゃないんだってば。諦めて」
「ヒトではなくて、人間、ね」
「あ、それ。良く分かんないんだけど、ヒトと人間って、どこか違うの?」
人も人間も、同じ対象を示すのではないのか。ところが教授は「まるきり違いますよ」と、蒼の考えをざっくりと切った。
「『ヒト』は実在しますが『人間』は架空の生き物です。〈約束〉という鎖に縛られず、機械や電気といった夢の力を操る夢の様な生き物。『ヒト』に比べると容姿が非常に単調だという特徴もありますね」
「単調って……そう、かな。結構色んな人達、いるよ。住んでる場所によって、顔とか髪とか、肌とかの色も全然違うし」
「それは表面上の差異でしかないでしょう。ヒトには三つ目の者もいるし、緑や青色の肌をした者もいます。角や尻尾を生やした者も珍しくはない。それと比べたら単調では?」
「つの……に、しっぽっ?」
驚く蒼の顔がおかしかったのか、教授は初めて、嫌味も呆れもない笑顔を見せた。
ほんの僅かな時間だったけれど、それに蒼は目を奪われた。
「実際に見れば納得するでしょう。百聞は一見にしかずといいますし。質問は以上で?」
「あ……。ま、まだある、まだある!」
じゃオレはこれで、と席をたった教授のシャツの裾を、蒼はすかさずひっつかむ。
知りたい事はまだ山ほどあるし、一人で黙々と分厚い辞書を読んで落ち込むよりは、話し相手がいたほうがよっぽどいい。
教授の寝不足の件は気になるが、聞けばくどいと言われそうだし、平気だと言った彼の言葉を信じて、もう少しだけ付き合ってもらおう。
「はいはい。何ですか?」
教授は嫌な顔をせず、律儀に腰を下ろしてくれた。
毒舌だけれど、面倒見は良いのかもしれない。
「ほら。きのう教授さ、自分の事をヒトじゃないみたいに言ってたけど、ヒトじゃないなら、何?」
「ですから、何度も言うようにオレは教授で……そうか。どんなに初歩的な常識であっても、貴女にとっては非常識なんでしたっけ」
「…………」
なんだか馬鹿にされている様な気もしたが、蒼は無言で呪うだけに止め、先を促した。
「つまり、教授というのが『ヒト』のような種族名なんです。ヒトが集団で形成されているのに対して、教授はオレ一人だけですが」
「職業じゃなかったんだ……」
言葉を選ぶようにゆっくりとされた説明を、蒼は信じられないと思いながら理解する。
だが、教授の左腕にある銀色の煌きを見て、その理解は早くもぼやけた。
「ヒトじゃないのに鎖があるのはなんで? 鎖って、ヒトと大地との約束の証なんでしょ?」
「大まかに言えば、ね」
何か言いにくいことがあるのか、教授の視線が床の上を泳いだ。
「……ヒト以外にも、大地と約束を交わした者達がいる、という事です。
それが始まりの七人と呼ばれる不老不死の存在――教授、つまりオレはその中の一人なんですよ」
「ふ……ふろうふしぃっ?」
蒼は驚いて、椅子から半分立ち上がる。
つまり彼は、年を取らないということ?
「じゃあ、教授って何歳なのっ?」
どう見ても20歳そこそこにしか見えない彼は、蒼の問いに、どこか遠くを見るようにした。
「忘れましたよ、そんなもの。数えるのもめんどくさい」
「…………」
それ程の時とは、一体どの程度の長さなのか。
教授の外見も口調も、全く年寄り臭くないので見当すらつかない。
羨ましいような怖いような。未知が服を着ているような教授に、蒼は少し複雑だ。
教授は変わらず遠くを見たまま、言った。
「もう少し詳しく言えば、鎖を持つけれどヒトではない存在は、オレを含めて七人います。
賢者と魔術師、医師、将軍に城主――」
六人目で教授は唐突に口をつぐみ、素早く周囲を見回した。
厳しく細められている銀色の瞳を見た途端、蒼の全身に鳥肌が立つ。
――あの目を、見たことがある?
唐突に沸いた、懐かしい感覚。
それを感じた瞬間、蒼の体は大きく揺らいだ。
「ぅわっ」
違う。
自分が揺れているのではない。
信じられないほど大きな地震だ。
「蒼! こっちに!」
机の下に潜り込もうとしてよろけた蒼は、教授に腕を捕まれた。その場にしゃがみこむ。
本が床に叩きつけられる音と地鳴りが響く。
伏せている頭のすぐ横を、何かが掠めた。
揺れは、十数秒後にようやくおさまった。
そろりと頭を起こす。
棚という棚から本という本が飛び出し、床に酷いありさまで散らばっている。
部屋中がそんな様子だった。
「かなり大きかったな……大丈夫ですか?」
「……なんとか」
上からの声に顔を上げれば、すぐそばに銀色があった。
教授に覆い被さられるようにして、座り込んでいるのに気がつく。
息がかかりそうなほど近い場所に教授の端正な顔を見て、蒼は顔を火照らせた。
(お、落ちてくる本から守ってくれた……?)
それならお礼を言うべきだろうが、この距離ではまともに口を開けない。近すぎる。
しかし教授は、険しい表情で様子を覗っていて、蒼の動揺にまるで気付いてくれない。
蒼は教授から離れようと彼の腕に手を添え。
視界に入った色で一気に顔の熱を冷ました。
「きょ、教授! 腕、怪我……っ!」
彼の右肘の服が裂け、赤い血が滲んでいる。
「ああ、本が当たっただけです」
かすり傷には見えないのに、教授はなんでもないことのように言った。
「金属で加工してある本もあり――蒼っ?」
蒼がワンピースの袖口で傷を押さえれば、教授が驚いた声をあげた。
じわり、と白い布地に赤が染みた。
「ごめんなさい」
蒼は、なんとかその六文字を搾り出した。
喉の奥が痛い。
涙で視界がにじみ、歯を食いしばる。
教授が戸惑った様に身じろいだ。
「なぜ、貴女が謝るんです」
「だって、これ、私を庇ったから……っ」
金属で加工されていた本は、彼ではなく蒼のそばの棚にあった。
間違いない。きっと彼が庇ってくれたら、蒼は無事でいられたのだ。
「お気になさらず。たいした怪我じゃない」
やんわりと蒼の手を外そうとする教授を、蒼は頭を激しく振って拒んだ。
「たいした怪我だよっ。怪我したら……傷つけば、誰だって痛いっ」
「窓ガラスを素手で殴って、怪我した人がよく言いますね」
「あれとは違うっ。私のは自業自得だから、大丈夫、我慢できる。でも、教授は私のせいで……こんなのは、やだ。見たくない」
胸の奥が痛い。
なんだろう、こんな痛みを、知っている気がする。
いつ、どこで? わからない。
ああ。少しは冷静になれたと思ったのに、全然だめだ。
「――本当、おかしな人だな、貴女は」
唇をかみ締めていた蒼は、教授がほんの少し切なそうな表情をした事に、気付かなかった。
*
泣き出しそうな蒼に、誰かの姿が重なった。
――私は大丈夫。我慢できる。だけど、私のせいで人が傷つくのは、絶対にいやだよ。
そう言って最後まで泣かなかった人が、ごく身近にいたような気がする。
けれどそれが誰だったのか、一体どこでその台詞を聞いたのか思い出せない。
思い出すなと、誰かが叫んでいるような気がして、頭痛がした。
(貴女は誰だ……?)