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賢者のイシ  作者: 駿河甲斐
act1 蒼
3/98

2 知らない人は『教授』を名乗り。そして喧嘩勃発。

名前はわからない。

どうしてここにいて、家主のベッドで寝ていたのかもわからない。

わかるのは、自分は日本人だということ。それから日本でのごく簡単な常識。

それ以外は、まるで思い出せない。

ソファに腰掛けた銀髪の青年にそう告げれば、彼は考え込む様に黙ってしまった。

青年の正面のソファに腰を落ち着けた彼女は、その隙に室内をそっと観察する。

とりあえず、泥棒ではないと納得してくれたのか、別室で話を、と案内されたこの部屋は豪華な洋室だ。

綺麗に磨かれた鏡みたいな窓も、本が乱雑に積み重なったテーブルも大きい。

そのテーブルを囲むソファの座り心地は抜群だ。

ふと、視界の隅に動くものをとらえて視線を移す。

青年の背後にある、外との境の窓ガラス。

そこに映っている、不安そうな顔をした黒髪黒目の10代後半くらいの少女と目が合った。

(あれが、私……?)

知らない。実感がわかない。

ガラスの中の少女の顔が情けなく歪む。

息苦しい沈黙に不安があおられ、彼女は堪え切れずに口を開いた。

「あ、あの!」

「何です」

青年は考え込んでいた割に、テンポ良く反応した。

宝物のように綺麗な銀の瞳を真正面から受け、彼女は少しどぎまぎしてしまう。

「えっと……あ、あなたの名前は?」

「オレは教授です」

「え……と? きょうじゅ、さん? それ、本名?」

「は? 違うに決まっているでしょう。真名(ほんみょう)は別にありますよ」

馬鹿にするような物言いに、この人顔はいいけど性格悪そう、とこっそり思う。

「なら、最初から本名を教えてくれればいいのに」

「オレがヒトだったなら教えても構わないんでしょうが、教授である以上、真名(ほんみょう)を教える訳にはいきません。そのくらい常識でしょう」

「え、や、きっぱり言われても、わけわかんないんだけど。人だったならって、なに言ってるの? あなたも私と同じ人間じゃない」

「人間? 貴女こそ何を言っているんです」

青年が猫っ毛らしい銀の前髪をかきあげると、苛ついたような表情が見て取れた。

「アストリア暦1125年、ケイン・アレスタ著、『時の扉』」

「はぃ……?」

唐突な話題の変更についていけない。

青年はそんなこちらの構うことなく、続ける。

「さっき貴女が言った、人間という種族が出てくる物語ですよ。アレスタ氏の代表作で、今から200年ほど昔に書かれた大作。

ああ、そうか、思い出した。確か日本とは、その中にでてくる国の中の一つでしたね。……ふぅん、なるほど。貴女が陥っている状況は、なんとなく理解しました」

理解したといいながら少しも嬉しそうでない。

彼は胡散臭そうに目を細めた。

「何らかの原因での記憶喪失。さらには、その穴が開いた部分に、空想上の生き物でしかない人間だという妄想がはまってしまって、記憶の混乱が生じているんでしょう」

「ちょ、ちょっと待って。人間が、空想上の生き物……妄想って、ほんとにさっきから何言ってるの?」

「真実を。いいですか。この大地の名前はアストリア。地方は五つ。春の世界(フェリア)夏の世界(メイラン)秋の世界(チャコフ)冬の世界(ミスティス)

そしてそれらに囲まれた位置にあり、今この場所である四季の世界(リングランド)。日本なんていう場所はどこにもない」

「日本が、ない?」

ああ、ほんとうに意味がわからない。

頭の中がぐるぐると渦巻いているようで、泣きそうだ。目と鼻の奥が痛い。

ややあってから搾り出した声は、自分でも驚くくらい掠れて震えた。

「ここが外国だっていう意味? 日本がどこにあるか知らないの?」

「知ってますよ。日本は物語の中にある国です。ここにも本がありますが、読みますか?」

彼女は、黒い瞳を限界まで見開いた。

「変なこと言わないで! 私は確かに記憶喪失みたい、だけど、日本が実在する国だってことくらい覚えてる! な、名前はわかんないけど、人間で日本人だってことも……!」

「うるさい。そんなに大きな声を出さなくても、聞こえます」

不快だと顔中に書いた青年に怯み、彼女は先の言葉を飲み込んだ。指先が震える。

青年はソファに深く背中を預けると、面倒くさそうな表情で続けた。

「繰り返しますが、いいですか。人間も日本も架空の存在です。寝ている間に、人間になった夢でも見たのでは?」

「夢? そんなわけない。夢だっていうなら、今の方が夢だよ!」

「今の貴女は寝ているようには見えませんが。なんなら、鏡を持ってきましょうか?」

「目を開けてたって夢くらい見れる!」

「それは素晴らしい特技をお持ちで。ですが貴女がなんと言おうと、ここは現実です」

「違う!」

彼女はソファを蹴り倒す勢いで立ち上がった。

混乱と不安が頭の中で渦を巻いている。

体は、熱いのか冷たいのかわからない。

「水掛け論になりそうだな……面倒くさい」

時間の無駄だ、と彼は吐き捨てた。

「わかりましたよ。では貴女の見ている夢という事にしておきます。それで満足ですか?」

その投げやりな言い方に、かっとなった。

「夢だったら、私、こんなに困ってない!」

「支離滅裂ですね。夢だと言ったり、違うと言ったり。面倒くさい」

「うるっさいっ。わけがわからないんだから、しょうがないじゃない!」

呆れを含ませた彼に、更に腹立たしくなる。

そして急に、怖くなった。どうして怖いのか分からない。

けれど怒鳴っていないと、うずくまって泣き出してしまいそうな恐怖がある。

視線を上げると、こちらを冷酷に見やる青年が見えた。そこで、ふつりと何かが切れた。

目の前で、蒼い光が瞬いた気がした。

「――夢なら」

「なんです」

怒鳴りつけられたのが不愉快だったのか、顔をしかめた青年に、彼女は低い声で告げた。

「この部屋、目茶苦茶にしても構わないよね」

ガラス張りの窓に一気に歩み寄る。

そしてためらいなく振り上げた拳を、光を反射する平面に力の限り叩き付けた。

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