13 蒼と教授の関係。そして狼が姿を現す。
「うーわー。おっきい家……っていうか、もはやこれ、ちょっとしたお城」
重厚感溢れる、白いレンガ造りのお屋敷。
のしかかってくるような巨大さに圧倒され、蒼の声は上ずった。
見上げると、無理矢理に曲げる羽目になった首が痛い。
見慣れた水路と低木に囲まれた屋敷は三階建てのようだ。
数ある窓は空の色を反射し、周囲をも巻きこんでオレンジ色に染まっている。
「大げさですね。それほど大きくもないでしょうに」
教授は本気でそう思っているらしい。
彼の家も、かなり大きな屋敷だった事を思い出して、蒼はじとりとした目線を送る。
「あー……教授ってさ、値札見ないで買い物するタイプでしょ、絶対。金銭感覚とか、なんか麻痺してそう」
「何を一人でぶつぶつと」
「価値観の違いについての考察を少々」
「そうですか。思考を繰り返すことは大切です。が、時と場合を考えることは、更に大切ですよ」
堪えた風もない教授はそっけなくそれだけ言って、さっさとドアベルを鳴らしてしまう。
蒼は、繰り返しの呼び出し音に何の反応もない屋敷を再度見上げた。
「留守、だね。うーん、困った」
「本気で困ってるようには見えませんが」
蒼は、むっと柳眉を逆立てた。
「困ってるよ。でも、困った仕草したって何も変わらないじゃない。だったら、ポジティブにいかないと損、損」
「お気楽な人ですね、貴女は」
呆れたように言われるが、気にしない。
条件付きではあったが、前向きなのは良いことだと教授に言われたばかりでもあるし、何事も前向きに考えることが出来る自分の思考は、嫌いではない。
きっと記憶をなくす前の『私』も、同じような思考回路の持ち主だったのだろう。
なら、それでいい。それが、いい。
「しかし」教授が屋敷を見上げた。「災種が解放されていたら事態は一刻を争うのに、賢者はどこで何をしているんだか。どこかで新しく現れているかもしれない災種を、把握できない問題もあるというのに」
「その問題って、記述書が使えないせい?」
「そう。現れた場所がわからなければ、早い段階で消滅させることができませんから、色々と面倒なんですよ」
教授が苛立たしそうに足元の小石を蹴った。
石が描いた灰色の軌跡を目で追いながら、蒼は「でも」と呟く。
「ここまで災種は見かけなかったし、そんな慎重にならなくてもいいんじゃない?」
「いいえ。災種に関しては慎重になりすぎるくらいが丁度いい。……それが、オレ達に課せられた〈約束〉であり、責任だから」
言いながら教授がどこか苦しそうに表情を歪めて、蒼は首を傾けた。
責任。
この単語を、確か以前にも聞いたことがある。
「責任、ってどういう意味?」
「……貴女には、関係のないことです」
教授は短く言って言葉を切った。
それは明らかな拒絶。
そうわかってしまったから、蒼は何も言えなかった。
微かにちくりと痛んだ胸元を、彼に気付かれぬように押さえる。
(関係ない、かぁ。それはそうなのかもしれないけど……)
関係。
教授と自分の関係はなんなのだろう、と考えてみる。
今一緒に行動しているのは、お互いに『賢者に会いに行く』という目的が一致しているからだ。
教授は記述書の件を確認するために。
蒼は導きを受けるために。
けれど、それぞの目的が済んだあとは?
教授は賢者と一緒に、黒く染まった記述書を調べようとするかもしれない。
では、自分は?
賢者のもとで何か分かればいい。
けれど、何もわからなかったら?
「蒼」
地面を睨みつけていた蒼は、どこか緊張を含んだ教授の声に顔を上げた。
「あ、何?」
「動かないで下さい」
「え?」
「何か……います」
すぐそばの低木が、がさりと音を立てた。
教授が、蒼を庇うように一歩前に出る。
姿を現したモノを見て、蒼は悲鳴と息を飲みこんだ。
それは教授の屋敷で見た、藍色の狼だった。