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賢者のイシ  作者: 駿河甲斐
act4 導き
13/98

12 ありがとう。どういたしまして。

イリアスは、全てが夕日色に染まっていた。

水の町と謳われるこの町は、怜悧な水を湛えた水路が町中に張り巡らされていて、さらさらと流れる音が絶え間ない。

人や荷物を乗せた細長い形の船が、火色の水面をゆっくりと行き交う光景が、そこかしこで見られた。

その光景の一部を、水路に面した宿の窓に張り付き眺めていた蒼は、「賢者がいない?」という教授の声に、髪を揺らして振り向いた。

受付で教授と会話をしている恰幅の良い宿の主人が、背後の棚から部屋の鍵を取り出し「そうなんだよ」と頷く。

拍子に、茶色い巻き毛に埋もれるようにしてついている白い犬耳が、ひょこんと揺れた。

顔の横にある筈の一対の耳は、彼にはない。

一見、とても可愛いらしいのだけれど。

「何度見ても非常識……」

けれどそれが、ここ(アストリア)では常識なのだ。

常識って遊園地のチケットみたいだ、と蒼は思う。

特定の範囲内では絶対的な効力を発揮するくせに、一歩外に出ればたちまち役立たずに早変わりだ。

一体どこの誰が、こんな厄介な変化の魔法をかけたのだろう。

「ラティちゃん――じゃない、賢者様は数日前にお出かけになって、まだ戻られてないよ」

ラティというのが賢者の名なのだろうか。

蒼は二人の会話に混ざろうと、近寄った。

「いつ戻るかわからないんですか?」

「ああ、そうなんだよ……ん?」

教授の後ろから顔を覗かせた蒼を見て、主人が驚いたように唇をひん曲げた。

「あれれ。お嬢ちゃん、旅人さんか?」

「ええと、はい」

なんだか前にも同じような質問をされたな、と頭の片隅で思いながら、蒼は頷く。

首を捻る主人に、教授が反応した。

「もしかして、こいつのこと知ってますか? 記憶喪失の迷子なんですが」

「記憶喪失? そりゃ可哀想に」

主人の白い耳が、ぺたんと垂れた。

「いや、ごめんよ。お嬢ちゃんにそっくりな方がいてさ。それで、驚いただけなんだ」

「私に」

「そっくり?」

蒼と教授は顔を見合わせる。

なぜか蒼の左腕にちらりと目線を投げてから、犬耳の主人はまじまじと蒼の顔を見る。

「髪の色も目の色も全然違うから、昼間なら絶対に間違えないだろうけど、夜道でお嬢ちゃんに会ったら、俺は間違いなくこう言うね」

主人は、芝居がかった動作でお辞儀をし、不器用に片目をつぶってウインクを一つ。

「『こんばんは、賢者様』」


        *


荷物を宿の部屋に置いた後、二人は賢者の屋敷へ続く道を歩いていた。

白い石畳は、夕方の朱色に染まり仄かに煌めいている。

一定の間隔を置いて設置された街灯にはめ込まれた灯石は、もう少し暗くなってから光をともしだすだろう。

行き交うヒトの姿は、形も数もまばらだった。

「私が賢者に似てるって、どういう事だと思う?」

蒼が聞けば、隣を外套の裾をひるがえして歩く教授は「どうもこうも」とそっけない。

「鎖がないんですから、貴女は賢者本人ではありえない。だから、他人の空似なんでしょうよ。そもそも、本当に似ているのか、わかったものではありません。

主人は似ていると言いましたが、それは一個人の主観的な偏見に過ぎないんですから」

「しゅかんてきなへんけん」

どうしてこう彼の説明は分かりにくいのか。

蒼は「主観的」と繰り返し呟きながら考える。

「あー、つまり、似てるっていうのは、あの人のただの思い込みにすぎないってこと?」

「簡単に言えばね」

「じゃあ、教授は似てるって思う?」

「さあ。会ったことがないので分かりません」

「えぇっ。会ったことないの?」

てっきり二人は顔見知りなのだと思っていた蒼は、ぐっと眉根を寄せた。

災種(カリク)の管理、七人で分担してるんでしょ。その分担決めた時とか、会わなかったの?」

「会ってませんね。確か、自然とこういう分担になったんです」

「そんなので、いいんだ」

なんていい加減なと、蒼は呆れた。

それとも、長く生きているが故の余裕なのだろうか。

始まりの七人。

アレフも、それからあの後出会ったリーネ村の人々も、大妖精と勘違いした蒼に対する以上に、教授のことを神聖視していた、と思う。

災種(カリク)を消し去る力を持つのが、彼ら。

しかしそれ以上のことは、この大地(アストリア)の一般常識や生活習慣を頭に詰め込むのに精一杯で、まだ把握していない。

前を見る。

賢者の屋敷は、まだ見えない。

横を見る。

とても暇そうな教授が一人。

よし。

「教授、教授」

ちょいちょいと手招きすると、彼は何かを察したのか嫌そうに顔をしかめた。

「何です」

「始まりの七人について、詳しく教えてほしいなぁと」

「オレは考え事で非常にいそがし――」

「暇でしょ。ぼんやり景色見てたもの」

図星だったらしく、教授は返事をしない。

じっと見つめ続ければ、根負けしたらしく、ややあってお手上げのポーズを取った。

「はいはい、わかりましたよ。で、始まりの七人の、何が聞きたいんです」

「色々あるけど、そうだなぁ。……とりあえず、どうやって災種(カリク)を消滅させるのか、とかかな」

「どうやって、ですか。またおかしな点に着目しますね、貴女は。貴女だって災種(カリク)を消してみせたでしょうに」

「あれは無我夢中だったから」

蒼が災種(カリク)を消した一件は、〈約束〉(マナ)に縛られていない人間であるが故に、始まりの七人にしか消せないという〈約束〉(マナ)の範囲外の芸当ができたのだろう、という意見に落ち着いている。

ただしそれが正解かはわからないし、どうすればその芸当ができるかもわからない。

(自分のことなのに、ほんとに何もわからないなぁ……)

再確認して、難しい顔で黙り込んだ蒼は、仕方ないなというように吐かれた教授のため息に気付かなかった。

「以前、賢者は生きる存在を導く力を持つ、導きし存在(もの)だと説明しましたよね」

問いかけるような彼の言葉に、蒼は眉間に寄せていたしわを慌てて消した。

「え? うん。で、予言者リテルでもあるんだよね」

予言者(リテル)

それは未来を夢に視る事が出来る者。

必ずしも、願った時に願った未来が視られる訳ではないようだが、その能力は努力で得られるのではなく、生まれつきの特殊な才能であるために、重宝されている存在らしい。

夢には映像で未来を視る絵視(ヤール)と、文字で視る字視(ゼルス)の二種があるという。

「そう。そして教授であるオレは、命あるものに様々なモノを授ける力を持つ『授けし存在(もの)』なんです。そうだな……例えば」

教授は辺りを見回すと、すぐそばの街路樹に近寄った。

熟していない、小さな緑色の実が生っている。彼はその実に左手をかざした。

「『成熟の時を授ける』」

静かな、けれどどこか力強さを感じる、声。

瞬きの合間に、青々としていた実は、鮮やかな赤に染まっていた。

「こういうことが出来ます。災種(カリク)を消すには、滅びを授けるだけでいい」

「……ほんっと、奇跡の大バーゲンだね」

放られた実をキャッチした蒼はふと閃いた。

「じゃあ、私の記憶も授けて貰えるんじゃ」

「無理ですね。できたらとっととやってます」

「あ……そりゃそうだ、ね」

ちょっと期待しただけに、蒼は項垂れる。

教授が、自分の額を指で叩きながら言った。

「もともと、記憶を授けるというのは、非常に危険な行為なんです。下手をすれば、元々ある記憶と授けた記憶が混じりあって、それを処理しきれなくなった脳が壊れますから」

「壊れ……?」

「音で表現するなら、ばーん、ですか」

「なにそれなにそれうわー……!」

蒼は、腕中に現れた鳥肌を服の上から必死になってさすった。

ばーんって。なんだか弾けてはいけないところが弾けてしまう音の様ではないか!

それは絶対、遠慮したい。

「うー。あ、でも私、記憶喪失なんだし。記憶が混じっちゃう心配はないんじゃない?」

「記憶を取り戻した時にどうなるか、保証できません。それにオレは、貴女が忘れている記憶がどんなものか知らない。授けられるのは、オレが理解している事象だけなんですよ」

教授は紅色の空を仰ぎ、眩しそうに目を細めた。

その姿は、何かを懐かしんでいる様に見える。

〈約束〉(マナ)で力を制限されていなければ、貴女の記憶も簡単に戻せたんでしょうけど……。今は使える力はほんの僅かですが、制限される前は、もっと色々出来ましたから」

「あ……。前に言ってた制限って、〈約束〉(マナ)で制限されてる……ってことだったんだ」

「ええ、そうですが」

「そっか。どういう意味だろうと思ってたんだけど……。じゃあ、例えば……空飛べたり?」

「やろうと思えば」

教授は、視線を空から蒼に移すと頷いた。

蒼は目を輝かせ、胸の前で両手を組む。

「うわー、いいな。それ、すごく羨ましい。いいなぁ。始まりの七人って、魔法使いみたいだね」

「――遠い過去の話ですよ」

ほめたのに、彼は照れもせず淡々と答えた。

「というか、魔法使いは人間同様、架空の生き物ですよ。神や幽霊なんかもね。ああ……『時の扉』の中でアレスタ氏が、当時のオレ達を、その神のモデルとしたって書いてますけど」

「か、神ぃ?」

それって万能って言うんじゃないのか。

ふと見やった教授が後光を帯びている。

そんな錯覚に陥った蒼は、思わず一歩だけ、彼から離れてしまう。

その動きに、教授は気分を害した様だった。

「何ですか。その、化け物を見るような目は」

「そんなんじゃないってば。そうじゃなくて、なんで、そんなすごい力を制限されちゃったのかなと」

ちょっと怖い、と思ったのは事実だったのだが、そんなこと本人を目の前に言えるわけがない。

慌てて言い繕えば、教授が顔を歪めた。

「それはまぁ……話すと長くなるので、後で」

「別に長くなってもいいよ。まだ賢者の屋敷にはつかないんでしょ」

「始まりの七人であるオレや賢者は基本的に食事を必要としない事は、言いましたっけ?」

「えぇっ。そうなのっ?」

さらりと告げられた内容が衝撃的過ぎて、蒼は話をそらされた事に気付けなかった。

素直に目を丸くし、教授を見つめる。

「全然お腹すかないってこと?」

「すきませんね」

「うわー……不思議」

見た目は人間と一緒なのに、始まりの七人の体はどういう造りになっているのか。

驚愕しつつも、だから彼の家の台所は物置と化し、食材も調理器具も整っていなかったのかと納得する。

唯一見つけたのは、何種類かの粉類と缶詰だけだった。

その食材だけでビーカーや試験管を調理器具にし、パンを作ってくれた青年が、教授というより科学者に見えたという事は告げていない。

恐らく小数点以下までレシピ通りだろう発明品は、とてもおいしかったのだけれど。

数少ない記憶を遡った蒼は、そこで矛盾に気が付いた。

「でも教授、私と一緒に食事してたよね、普通に。パン食べたり、果物食べたり」

「食事できないわけじゃありませんから。ヒトが、菓子やデザートを食べるのと同じ感覚ですよ。それに食事というのは、一人より多数でとったほうが、美味しいのでしょう」

つまり、気遣ってくれたということ?

蒼の顔はたちまち綻んだ。

教授が怪訝な顔になる。

「なんです、にやにやと」

「うん、優しいなぁと思って」

蒼は彼の前に出て足を止め、顔を見上げた。

言わなきゃ、とずっと思って言えなかった事。

今なら言える気がして、蒼はお腹に力を入れて、息を吸い込んだ。

「最初に会ったのが教授で良かった。そうじゃなかったら私、不安で動けなかったと思う。リーネ村の時も……庇ってくれて、ありがとう。あの時、教授が来てくれてすごく、ほっとしたの。

そりゃ、今は不安じゃないって言ったら嘘になるけど、でも、教授がいてくれてるから、きっとだいじょうぶだって思うから」

やや呆気にとられたような教授は、しばらくの間、口を開かなかった。

馬鹿にする風でなく、ただ不思議そうに目を細めて蒼を見る。

「……外面だけが優しい魔物もいると、知っていますか?」

「教授は外面だけじゃないよ」

「何故そう言い切れますか」

「だって教授、私が何度馬から落ちたって、ちゃんと助け上げてくれたもの。それに、ね」

いったん言葉を区切って整理して、それから蒼は、自分の胸に手をあてた。

記憶はないけれど、確かにここに存在する気持ちがある。

「私、偶然って一言で納得するのは、事実からも考える事からも逃げるみたいで嫌いみたい。だから最初が教授だったのも偶然じゃなくて、きっと意味があるって思いたい――思う」

「意味……ね。どんな?」

「それは」視線を泳がせ、蒼は口ごもる。「まだわかんないけど……」

「曖昧ですね」

「でも! 最初が教授で良かったって思ったのは、ほんとだよ。曖昧じゃなく、そう思ってる。だから、ありがとう」

教授の服をつかんで訴えるように告げれば、彼は困惑したようだった。

その瞳が、絹布のように揺らいでいる。

ふいっとその目をそらして歩き出した彼を、蒼は早足で追いかけた。

「……数日前までは、不安で不安で仕方ないって顔ばかりだったのに、ずいぶんとふっきれたものですね」

「不安は不安だけど、そればっかりじゃ前に進めないと思って」

「前向きなのは良いですが、突っ走りすぎて一人で勝手に転ぶのだけは勘弁してください。でも……まあ、そうですね。一応言っておきます」

追いついて横に並んだ時、彼は前を向いたまま、ぼそりと言った。

「――どういたしまして」


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