9 乗馬と落馬とそして覗き見えたもの。
――寂しくなぁい? あたしはとっても寂しいわ。ねぇ、だから……。
***
気合で乗り越えられない壁もある。
たった数十分で、蒼はそれを嫌というほど実感した。
とにかく、痛い。体中が痛い。
特にお尻と両腕は悲鳴を上げすぎて、もはや虫の息だ。
助けてと、そう言うことすら辛くて、できることと言えばぐったりとと黙り込むしかない。
「慣れていない者が馬に乗れば、まあ、こなるでしょうね」
「うぅ……一人で乗ったわけじゃないのに」
蒼は教授の後ろに跨って、ただ馬の背に揺られていただけなのに、この有様だ。
呆れたような教授の両腕につかまり、更には彼に全身ですがってようやく、馬の背から地面に降りる。
蒼は余り背が高くない。
だから馬の背に乗った時は、見晴らしの素晴らしさにうきうきと周囲を見回したものだが、栗毛の彼が走り出した途端、様子は一変した。
思ってもいない、激しい上下左右の揺れ。
何度舌を噛み、落ちそうになったか。
実際、走り出してすぐの時、一度ぽとりと落下した。
まだあまりスピードが出ていなかったおかげで、背中とお尻を打っただけで済んだのだが、それでも痛いものは痛い。
そして痛みは現在進行形で続いていて。
「つ……疲れた。それで色々痛い……」
「大した距離を走ったわけではないんですけどね。仕方ない、貴女はここで待っていてください」
ここ、とは空を覆うように枝葉を付けた巨木の下だ。何の木かはわからない。
のろのろと顔を上げれば、背の低い柵で囲まれた、いくつかの家が見える。
「もしかして、あそこ、リーネ村?」
「そう。その、入口です。もう少し奥に行けばヒトが集まる界隈がありますから、ちょっとそこまで行って、貴女の情報がないか、オレ一人で確認してきます。
本当なら、貴女自身が出向いた方が、正確な情報が得られる可能性が高いんですが」
ぐったりしている蒼を見て、教授は小さく首を振る。
「無理ですね、その様子じゃ」
「うー……ごめんなさい」
「予想の範疇ですからお気になさらず。では行ってきますから、おとなしく待っていてください。馬を頼みます」
「いってらっしゃい」
小さく手を振って、見送る。
緑青色の外套が建物の陰に消えて見えなくなってから、蒼は巨木にずるずると背中を預けた。
マントの上から座れば、血を洗い落として白一色に戻ったワンピースが汚れる事もないだろう。
けれどやはりお尻が痛くて、何度も体制を変えなければならなかった。
少しだけ太陽を眩しく感じて、マントについたフードを目深にかぶる。
車が恋しい。
そんな風に思いながら、見上げた空は快晴だった。
葉の隙間から零れる太陽の光は優しく、うとうととした眠りを誘ってくる。
目を閉じてしまうまで、時間はかからなかった。
これからどうなる、とか。
これからどうする、とか。
やっぱり体中痛い、とか。
そんな思いが、ぼんやりと霞む頭をぐるぐると廻る。
――なんだか疲れた。
外だけど。
知らない場所だけど。
教授が戻ってくるまで、このまま寝てしまおうかな。
***
「助けてくれっ……!」
蒼は飛び起きた。
いや、起きようとした。
けれど体が動かない。
(な、なに。悲鳴?)
指先すら動かなかったが、どうやら目は開けられる。
「……え?」
飛び込んできた風景を、蒼は信じられない思いで見つめた。
いつの間にか、夜だった。
真っ黒なはずの夜空が、茜色のグラデーションに染まっている。
村が、燃えている。
「た、助けてぇっ」
「早く逃げろ! 逃げるんだ!」
「どうしてっ? どうしてここから先に進めないのっ。逃げられないわ! 誰か、誰か!」
「ママ……ママぁ。痛いよぉ」
家が燃えていて。
柱が崩れて。
割れた窓から炎が揺らめいて。
悲鳴を上げた人々が、逃げ惑っては倒れる。
火の手のない村の外に必死に逃げ出そうとしているが、なぜか彼らは一定の場所まで来ると、そろって足を止めた。
違う。
止めたのではなくて、見えない壁のようなものに遮られて、迫りくる炎から遠ざかることが出来ないでいる。
必死に叫びながら、見えない壁を拳で叩く。
体当たりをする者は、みな激しく弾き返されて、地面に倒れると動かなくなった。
こんなの、酷い。だめだ。助けなきゃ。
でも、体が動かない……!
――くすくす。
背中の方から、笑い声が聞こえた。
――助けたい? あなたの大切なヒト達を。
くすくすと、再び誰かは笑った。
――助けてあげる。だから、かわりにあたしのお願いをきいてちょうだい?