彼女の秘密
梅雨が明けてから何週間振りかの雨が降った。40%って言ってたから怪しいとは思ってたけどまさか午前中のうちに振りだすとは思っていなくて、つまりは傘を持ってきていない。
敷地内にはあるとはいえ傘もささずに帰れるほど近くはない女子寮。10分くらいで早退してきた部活へ傘を借りに戻るのもなんだか間抜けだ。あー、走っちゃえばなんとかなるかなあ。でも夏風邪とかひいたりしたら面倒臭いよね・・・。世話してくれる人も居ないし。
などということをつらつらと考えていると、背後の下駄箱から物音がした。
「あ、折村さん。どうしたの、そんなところで?」
白いブラウスの肩にかかった髪を揺らして、委員長さんは首を傾げた。
「いや、傘忘れちゃってさ」
「え、だったら入れていってあげようか?私もちょうど帰るところだし」
そういえば委員長さんは部活に入っていなかった。いつも授業が終わればさっさと帰っていた気がする。
―単純に他人の彼氏を奪うのが、趣味・・・みたいな。
不意に昨日の言葉を思い出す。今朝からずっと考えていたけど、やっぱりとてもそんな風には見えないんだけどなあ・・・。
「・・・ねえ、委員長さん」
「なに?」
「・・・今まで、彼氏とかって居たことある?」
他人の彼氏を奪ってきたというのが本当なら、それからそいつらと付き合ったはずだ。
「彼氏は、居たことないよ。この前言ったでしょ?」
・・・あ、そうか。彼氏の話が新鮮だって確か言っていた。
「でもいきなりどうして?」
「いや・・・あのさ」
あたしは昨日聞いたことを彼女に話した。
「・・・そっか。それでみんな避けてたんだ」
委員長さんは妙に納得したように頷くと、目を伏せる。
「・・・なんていうか、うん。それは、事実だよ」
「え・・・?」
あたしは耳を疑った。委員長さんは力なく笑うと、傘を開いた。
「とりあえず・・・話は私の部屋でもいいかな」
「―初めは・・・そう、六年生の時だった。クラスで一番カッコいい男の子と付き合っている友達がいて・・・。その子はそれが自慢で、いつも男の子との話を周りにしてた。みんな興味津々で、私もそれに混じってキャーキャー騒ぎながら話を聞いてたの。でもうらやましいって気持ちが、いつのまにか男の子を好きって気持ちに変わってた。このままじゃいけないって思って、でも止められなくて、好きで好きで仕方がなくなってて・・・気がついたら私は、男の子に告白してしまっていた」
そのときのことを思い出すように紅潮した顔で、委員長さんはそう言った。
「男の子は、私と付き合ってくれるって言ってくれた。でもそう言われた瞬間、私は一気に“冷めて”しまった」
ソックスを履いた爪先をじっと見つめてため息をつく。
「・・・おかしいよね。あんなに好きだったのに・・・その想いが届いたら全てがどうでもよくなるの。どうしてこんな人を好きだなんて思ったんだろうって、不思議に思うくらい」
「中学でも・・・その繰り返しだったってこと?」
「・・・そう。何度も好きになって告白して、そして冷めて・・・いつのまにか私に彼氏の話をする人は誰もいなくなってた。当然、だよね」
あたしは黙り込むしかなかった。
あまりにも歪んでいる。けれどあたしは取られた女でも振られた男でもなく、彼女に同情していた。きっと一番つらいのは、委員長さんだ。
他人のものしか欲しいと思わずに、いざ自分のものになったら興味が失せる、集める行為そのものを楽しむ収集家。
冷めるのはきっと、簡単に手に入ってしまうから。彼女がちゃんと居るのにあっさり自分になびいてしまう事実に落胆するから。期待しては裏切られる、その連続。委員長さんの恋は決して叶わない。叶っては、いけないんだ。
「だから、私に彼氏さんの話をしないで。もう、少しアルトさんが気になりだしてる。もっと話が聞きたいって思っちゃってる。でもそうしたらきっとまた・・・好きに、なっちゃうから」
「―いいよ、好きになっても」
気が付くとそんな言葉が口をついて出ていた。
「アルトはそんなことであたしから離れたりしない」
なに言ってんの、あたし。だって昨日アルトに振られるかもってすごい不安でいたくせに。
「・・・自分に自信・・・あるんだ」
皮肉とも取れる言葉。もう投げやりなのがバレバレだ。
こんなにも彼女は疲れてしまっている。
「・・・ないよ」
あたしに自信なんてない。なのにどうしてこんな言葉がすらすら飛び出るの。
「告白だってちゃんとしたものじゃなかったし、付き合ってからもあんまり態度変わらないし、本当にアルトに好かれてるのかなって、毎日不安だよ」
―“枝葉のことが好きだから、なのか・・・・・・?”
あんな疑問符付きの告白。
「でもアルトのことは誰よりも、自分のことよりも信じてる」
でも、今まで生きてきた中で一番嬉しかった言葉。あたしにとっては、どんなドラマよりも素敵な愛の告白だった。
だってあたしは、アルトが大好きだから。誰よりも大切な人からの言葉だから。
「アルトは一度付き合うって決めたら、ちょっと誘惑されたからってあっさりそれを覆すような男じゃない」
そう、アルトは浮気なんかしない。何も心配する必要なんてなかった。
「矛盾・・・してるよ」
委員長さんはうつむいたまま言った。
「・・・そうだね。あたしはアルトみたいな理屈バカじゃない。筋の通った考え方なんてしないし、出来ない」
「―ただ、あたしは、あなたよりずっとアルトが好き。一生そう居ようって決めてるの、もう十年も前から」
小一の頃、隣の子が描いていた褒められることばっかり意識したセンスの欠片もない絵にムカついて、クレヨンで塗りつぶして、描き直してやったことがある。
その子には泣かれて、先生には怒られて、でもそんなあたしの絵をアルトは褒めてくれた。
―すごいね、上手だね!
瞳をきらきらと輝かせてそんなことを言った。
あの頃のアルト可愛かったなあ、って違う違う。とにかくあの時からずっと、あたしはアルトが好きだ。あたしの絵をちゃんと見てくれる、アルトが。
「だから、たとえ本当にアルトが委員長さんを好きになってあたしを振ったとしても、あたしは一生アルトを愛し続ける」
十年間も思い続けたんだ。それだけの覚悟は出来ている。
・・・なんて、そこまで強くはないけれど。でもアルトが最初で最後の人だって、そう思ってるから。
「・・・それだけ、思える人なんだ。本当に・・・好きになっちゃいそうだよ」
委員長さんはちょっと笑ったけれど、そこに力はなかった。
「なればいい。遠慮なんかいらない。あたしたちは、」
「―友達、なんだから」
自然とそう言えた。
アルトなら大丈夫。冷めさせたりなんかしないで、想いを叶えてくれるから。
「・・・ありがとう」
視線を上げずに言ったその言葉は何に対してのものなのか、あたしにはまだ分からないけれど。それでも委員長さんと仲良くなりたいってそう思うから。
だから。
「・・・ちゃんと、“友達”になろう。―渚ちゃん」
「・・・うん。そうだね―枝葉ちゃん」
本当の意味で、この子と友達になりたい。