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「ねえ、ぜっったい良いからシカディアンにいこうよ。」
と、友達に誘われたのは四月十二日の事である。その頃の私はあまり忙しくなかったので気軽にシカディアンを何かも深く考えず、何かのパーティだと思って「うん」と答えた。
シカディアンはカリヒアという組織の本部として使われている建物の名前である。ビルに囲まれたこの建物の、入り口の自動ドアの上に「シカディアン」と太いゴシック体で書かれた看板がかかっていた。その入り口を抜けるとロビーがある。ロビーは床と壁もこげ茶色だ。入り口から左側に階段、右側に受付があった。階段はなぜか立ち入り禁止の札があり、受付には奇妙な絵が飾られていた。それは顔だった。蒼白な肌、一つ目、頬まで裂けた牙の並んだ口。これは何だろうか。
受付に「ここ、初めてなんです」とか言いながら私は名簿に自分の名前「青谷 永」と書いた。
受付の向こうに「集いの部屋」という部屋に通じるドアがあったので中に入ると、円形に並べられた椅子に三十人もの人々が座って、わさわさと雑談していた。ふと、部屋の隅で人々を傍観している一人の女性を発見した。係員かなと思ったが、表情がやや暗く、そうには思えなかった。
「ちょっと、新人さんかい?ここに座んなよ」
と椅子に座っているある男が私に呼びかけた。私は彼に従い座って、質問した。
「あの・・・ちょっと気になったんで・・・隅っこで見つめている女性って、何者ですか・・・?」
「ああ、あれは瑠田竜子という名前の人で、もともとは我らの仲間だったんだ。だがある日我らの輪から離れて、以来、あのままさ。原因は分からない。我らから離れるつもりなら、なぜあそこにいるのかも分からない。とりあえずアヌタ様は彼女を無視している。」
「アヌタ様?」
奇妙な名前だ。
「ここの会長、阿奴多利光の事だよ。偉大なる我々の指導者だ。あ、来たぞ。」
「集いの部屋」に、その阿奴多が来たので静かになった。大通りに近い建物なのに車などの周りの騒音が聞こえなかった。
阿奴多は白いスーツ姿で超然とした顔つきと雰囲気をしていた。彼はゆっくり話し始めた。
「皆さん、今晩は。来てくれてありがとう。まず、始めの一言・・・と言いたいところだが、今日は新たな人が我々の仲間に加わった。青谷永さんだ。」
阿奴多は私を指し、皆が祝福の拍手をした。私はとりあえず一礼した。
「さて、早速キリーヒムをしよう。まず、皆さん、隣の人と手を繋いで。」
そして皆が手を繋いだ。これから何をするか私は戸惑った。
「そう、そう。そして、目を閉じて瞑想し、カリュドゥスの言葉をセプレツタムを通じて感じましょう!」
「あのう・・・・」
分からない事だらけだったので私は手を挙げて大きめの声で質問した。
「さっきキリーヒムとか、カリュドゥスとか、セプレツタムとか言っていたんですが、それってどういう意味ですか?」
「おっと、失礼、では説明します。カリュドゥスはこの世界を司る神の名前です。ロビーの受付にその御顔が描かれた絵があります。さてカリュドゥスは太古の昔にその姿を現していたのですが、人間達の調和が乱れ、仲が分裂したので姿を隠してしまったのです。しかし、我らの神は今が人類の大変革期と考え、素敵な石を私に授け、私達に語りかけてくださったのです。この石こそセプレツタムです。」
そう言って阿奴多は乳白色の石を取り出して見せた。
「セプレツタムから語りかけるメッセージは複雑ですが、大きな特徴が一つ。それは背後に合唱のような音が聞こえるのです。それがキリーヒムでございます。では、始めましょう。皆さん目を閉じて、耳を澄まして。キリーヒムを聴くのです。この部屋は、周りの音が聞こえないように設計されていますから静かに聴けますよ。では始め!」
最初目を閉じたときには当然ながら真っ暗であった。だが何か光景が浮かび上がり、最初それは緑、青とぼんやりしていたが、突然はっきりした。草原に青空。皆が円に並び、中央に阿奴多がいた。皆が喜びの表情で阿奴多を見ていた。阿奴多の顔が徐々に崩れ、肌は蒼白になり、目は一つ、口は頬まで裂け牙が並んだ。それはロビーで見たカリュドゥスの顔であった。もはや思考する必要も無い、永久的な至上の歓喜と、幸福の光に包まれ、私自身も光を発し、何もかも、喜び以外の現実は捨て去られた。いつのまにか背後に合唱のような音、キリーヒムが聞こえた。それは聞こえると同時に私の口からも発せられていた。
Re―――――――――――――――――――――
「はい、止め!」
風景が弾けた。最初ここはどこかと思ったが、すぐにここはシカディアンの「集いの部屋」であることを思い出した。咽喉の感じから実際に歌ったらしい。現実に引き戻され、虚脱感がした。もう一度あの世界に生きたいと思った。「キリーヒム」の最中にいつのまにか二時間がたっていた。
集いが終わるとき、瑠田は静かに帰って行くのを見た。私も家に帰った。
家であの体験を思い出してみたが、素晴らしい体験と感じていたのに、その記憶は言語化できず、曖昧になっていった。もう一度シカディアンに行きたくなった。
シカディアンに通い始めて二日目にもやはり瑠田がいた。彼女はいつも通り傍観していた。
集会の始めに阿奴多が来て言った。
「我々の仲間でない、すなわち外の者達である、すなわちノディスは我々カリヒアを中傷します。頭がおかしい、怪しい、危険だ、など等。それらは皆無知から出たたわ言です。人間は知らないものに無責任な批判をするものです。しかし、かの日が訪れれば、我らは一つになり、無知なノディスに我々カリヒアの偉大さが分かり、我らの神カリュドゥスに付き従っていくでしょう。そして我々の勝利です。希望を持ちましょう。では『聞き』の時間です・・・」
Re―――――――――――――――――――――
二日目の夜も記憶が曖昧で再びあのもどかしい気分が押し寄せた。もう一度あの世界に生きたいと思った。現実なんかどうでもよくなった。
そして三日目、四日目とシカディアンに通いつめていた。そのうち部屋は汚れて、ある日自分の状態を振り返ってこれはおかしいんじゃないかと思い始めた。考えてみれば彼らカリヒアのやっている事は何も意味の無い事だ。実際にカリュドゥスは何だか分からないし、謎が多く、悩みの種となった。
そして、ある日集いの帰りに瑠田に相談する事にした。彼女も同じ悩みを抱えてカリヒアから離れているのかもしれないと思ったからだ。
「瑠田、竜子さん・・・ですか?」
「そうだけど。」
「ちょっと相談したいことがあって・・・」
「そうだん?」
「あの・・・カリヒアって、何なのか分からないんです・・・何と言うかアレは・・・」
「胡散臭い?」
「そうです。ですから他の人ではなくあなたに相談したいのですが・・・。」
「あれの正体知りたい?」
突然の問いに驚いたが。私がやはりと思い「はいっ」と答えた。
「そうか・・・確かにあれは明らかにインチキな集団なんだけど、何と言えばいいのかな・・・青谷くん・・・だよね。忍び込む勇気ある?」
「まあ、多分」
「夜になれば二階に阿奴多が、三階にあれの秘密が眠っている。私が話すより実際に見たほうがいいと思う。とにかく、あれはインチキであることはたしか。どうインチキか確信を持ちたければ夜、やるんだよ。彼に気付かれないように注意して。」
そして私はその翌日の夜、決行した。入り口の「シカディアン」という特太のゴシック体の看板が暗闇で脅迫的にも見えた。
二階は阿奴多の部屋であった。彼はベッドに寝ていた。部屋が非常に汚れていた。
三階は物置であった。複数のダンボール箱に本や紙が入っていた。そのうち一つに「巨神カリュドゥス」という題のノートが詰まっているのを発見した。題名の下には「相田 小見郎」と書かれていた。それらを一瞥するだけでカリヒアが何かが分かった。あれは少年相田の作り出した物語の世界で、阿奴多に改名して実現させようとしているだけなのだ。もしかしたら「阿奴多」の名もあの「巨神~」に載っているのかもしれないが、とりあえず他を探してみた。
阿奴多には妻がいたらしい。というのも妻の写真があったからだ。全く見かけないが、いつからいなくなったのだろう。どこか印象的な笑顔をしていた。
「セプレツタムについて 相田小見郎」という文章を発見した。何だろうと概略を見ると以下のように書かれていた・・・。
「人間には微弱ながらテレパシーを持つ。場の空気を読む、気の合う人が分かる、などはこれが関係している。もし同じ思いの者が同じ場にいると、互いのテレパシーの波動が共鳴し、共感し、その思いが一層強くなる。これが大勢になれば、俗に集団心理と呼ばれる現象が起き、これによりもともと共感していない者も共感させたりする。また、多くの造形芸術に見られるように、思いを形に、つまり実現化すれば共感は非常に強まる。
これらに注目し、さまざまな試行錯誤を行い、私はセプレツタムを作り出した、これは外殻はF1物質とF2物質と言うテレパシーを感知して発信する2種類の物質で、中身はテレパシー波を受け実際に形作る、いわば媒体の役目をするS物質で出来ている。
まず何らかの思いを外殻のF1物質が受け、それをS物質に伝える。そしてS物質が風景を形作り、その強力化した内容をF2物質が発信する。そして他の人にその強力なテレパシーを送る。こうして自分の思いを自分自身で共感するだけでなく、相手を共感させることもできる。」
あまりにも信じ難い内容であったが納得できた。シカディアンで得た不自然な感動は、やはり「素敵な白い石」によって共感させられた物だったのだ。あれさえあれば並なカルトでも政治家でも信奉者が簡単に増やせるに違いない。この機械で現実から逃げる事ができる。
その文章の下に「十月十三日 〇〇広場にて実行。我らは一つになり、ノディスはそれに屈服するであろう」という紙を発見した。はたして何を行うのか。私はなんだか不気味な予感がした。
とにかくカリヒアの集いに何か良くない陰謀らしきものを感じた私は、次の日からカリヒア達を説得しようとしたが、不可能であった。阿奴多の巧みな洗脳のおかげか、「そんな事言って、いずれあなたにも分かりますよ。」としか言われなかったし、下手に阿奴多の正体をばらしたら彼の耳に入る危険もあったからだ。
結局は瑠田みたいに立って相談されるのを待つしかなかった。カリヒア、カリュドゥス、阿奴多利光に対し本人が疑問を持たない限り説得は不可能な気がしたからだ。
Re―――――――――――――――――――――
「はい、止め!皆さん、いよいよ明日が本番です。かの日が訪れるのも明日です。その日は我々にとって勝利の日となるでしょう。ノディスらを屈服させ、我々に従わせるのです。我らは一つ!」
「我らは一つ!」
阿奴多の言葉に応じてカリヒア達が叫び、最後のカリヒアの集いが終わった。私と瑠田は顔を見合わせ、頷いた。
いよいよ明日、何かが起こる。