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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

とある公爵令嬢の話

作者: むぎしゅ
掲載日:2026/02/07

薬物描写あり注意。

 フィオナ・イザベラ・ラッセル公爵令嬢の母は「社交界の白薔薇」と呼ばれるほど美しい人だった。


「えぇ。白薔薇を手折り愛でるのは私だけの特権です」


 しかしラッセル公爵は外では妻を大切にするフリをしながら、常に彼女を支配していた。

 母は何を言われても「かしこまりました」としか言わず、叩かれても無視されても、ただうつむき耐えるだけ。まるで意思のない人形だった。

 弱々しい彼女は若くして病気により儚くなってしまった。


(私はあんな風にはならない。誰かの奴隷になるなんて絶対に嫌。お父様みたいに強くなってやる)


 フィオナは幼くして他者を支配する事と支配される側の惨めさを学んだ。

 



 十歳の時、フィオナはライアン第一王子の婚約者に選ばれた。

 王妃という言葉。それはフィオナにとって輝かしいもので、権力の象徴だった。

 だが婚約の次の日からは家庭教師が派遣された。完璧な礼儀作法、隣国三ヶ国の公用語と歴史や文化を学び、護身術も覚えた。


「そんな事もできないようでは第一王子の隣に立つ資格はありませんよ」


 家庭教師は冷酷だったが、王妃になるためなら馬上鞭でうたれるのも耐えられた。しかしフィオナの内心は怒りで煮えたぎっていた。


(覚えてなさいよ。名前も顔も忘れない。惨めに這いつくばらせてやる)



 

 月日は流れ、王立学園で行われた恒例の年度末のパーティー。

 フィオナはライアンから婚約破棄をされた。彼の腕に巻き付いているサラ・ホワイト男爵令嬢は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「私は真実の愛を見つけた。フィオナ、ご苦労だったな」


 フィオナは少し悲しそうな顔を見せた後、お辞儀をし「愛する殿下のお心のままに」と呟いた。ざわめいていた参加者たちもその美しい瞬間だけは息を飲んだ。

 その場にいた国王は特に諫めることもせず側近に耳打ちをする。しばらく生徒やその親たちは困惑していたが、学園長が慌ててパーティーの終わりを告げると各々会場をあとにした。

 

 パーティーの次の日、国王はラッセル公爵とフィオナを王宮に呼んだ。表向きは婚約破棄の件の話し合いだが実際は違う。


「ラッセル公爵、フィオナ嬢。改めてこの度の息子の無礼極まりない行為申し訳なく思う」

「お止めください陛下。それよりもこれからの事です。ライアン殿下派の目をかいくぐって、どうにかしてサイラス王弟殿下を王太子に推さねばなりません」

「私もできる限りの事はいたします」

「ありがたい。二人ともよろしく頼む」


 国王が頭を下げ、それを見つめるラッセル公爵がわずかに口角を上げたのをフィオナは見ていた。

 フィオナとラッセル公爵は婚約破棄を予期していた。そしてそれを利用する事に決めていた。


 


 帰りの馬車のなかでフィオナは王弟サイラスのことを思い出していた。

 王宮の庭園を共に散歩した記憶。サイラスは本を片手に草花一つ一つを指さし説明をしていた。


「これは煎じると頭痛に効く。この花は美しいが根に毒があって栽培が難しい。これは傷に効く……あっ!申し訳ないフィオナ嬢。つまらなかったかい」

「勉強になりますわ。サイラス様は草花にお詳しいのですね」

「自然には魔法のような力がある。将来は薬学を学び、民の苦痛や悲しみを減らしたいと思っているんだ」

「素晴らしいですわ」

「自分にできることはこれくらいだから」


 この時は「何だか甘ったるい人だわ」と思った。しかしその言葉通りサイラスは王立学園在学中に国に自生する草から安価な鎮痛剤を作り出すという快挙を成し遂げた。卒業後は国の研究機関で働いているが、その活躍は他国にも届いている。


(あら意外。ライアン様よりずっと王族らしいじゃない、サイラス様は)


 婚約者のライアンはたった一人の王子という事で王妃をはじめとした周囲に甘やかされ、不真面目で努力を厭い、居丈高な性格となった。フィオナはそんなライアンが大嫌いだった。

 極めつけはライアンが王立学園に入学してすぐにサラと付き合うようになった事。

 次の王妃はサラではないかと噂が出る度、フィオナの内心は穏やかではなかった。


(ライアン殿下もあのサラって女も許せない。絶対に引きずり下ろしてやる。王妃になるのは私よ)


「おい、何を考えている?」


 隣りにいたラッセル公爵に話しかけられ、フィオナは現実に戻った。


「ぼんやりするな。ラッセル家が国を治める日も近い。失敗は許されないぞ」

「……もちろんですわ」


 フィオナは自身の白い手を握りしめた。


(王妃になったら、あんたも壊してやるから)




 フィオナは学園の寮には戻らず休暇を取っていた。表向きは傷心を癒やすためだ。

 パーティーから五日後、サイラスがラッセル公爵邸にやって来た。婚約破棄により悪化した王家とラッセル公爵との仲を修復するため、公爵と親交のあるサイラスが国王に命じられて橋渡しに来たのだ。

 

 何も知らない温和な彼はフィオナに心配そうな目を向ける。フィオナは最初婚約破棄に傷ついた少女を演じる。


「今回は、大変だったね」

「いえ。私の努力が足りなかったのです」 

「そんな事はないさ……件の男爵令嬢に王命で教育係がつけられたそうだが、うまくいっていないと聞いている。しかし兄上も何を」


そう言ってサイラスは黙ってしまった。普段彼は迂闊な言葉を使う人物ではない。


「その、貴方のように賢く気高い女性こそ国母としてふさわしいと安心していたのだが」

「サイラス様?」

「あ、いや、大げさに聞こえたかもしれないが僕はそう思っていてね」


 サイラスの言葉は本心だ。その証拠にうっすらとだが顔を赤らめていた。わかりやすい人だとフィオナもラッセル公爵も思った。

 しかしそれはおくびにも出さず、二人は沈痛な顔を作った。


「国のため努力する事は当然の事。ですが、叶うならサイラス様のように優秀で誠実な殿方がともに歩んで下さったならと思っていました。いえ今もです」

「え?」

「私も娘と同様仕えるのならばあなたのような方に仕えたいと思っております」


 突然の言葉に困惑したサイラスは二人を交互に見るが、フィオナもラッセル公爵も真剣な眼差しをサイラスに向けていた。


「実のところ私もフィオナもライアン殿下を見限っているのです。国を背負う覚悟がない」

「公爵!気持ちは分かりますがこれ以上は」

「私は娘を傷つけられたから言っているのではありません。国の未来を憂いているのです。それは国王陛下も同じ」

「何を……どういう事……いやそれより順序を違えれば国が」

「多少の混乱は起こるでしょう。しかし覚悟のない者が玉座に座れば国は何十年も渦中に沈む。どちらが国民を苦しめる事になるか」

 

 毅然と言われたサイラスは俯き黙る。迷っているのだ。今までならすぐに忠義を口にして話を無理にでも終わりにしていただろう。だがそれをしないという事は心が傾きかけている証拠だ。フィオナはすかさず立ち上がり頭を下げた。


「どうかこの国のために、どうか」


 甘い彼なら断らない。

 フィオナは心のなかで嘲笑った。




 婚約破棄から約三ヶ月後。

 突如サイラスが王太子に、フィオナが彼の婚約者に指名された。同時にライアンは廃嫡となった。

 混乱はさほど起きなかった。国王とラッセル公爵が入念に根回しをしたおかげでもある。

 半年後に二人は結婚。翌年には息子のレオニードが産まれた。そしてさらに七年後に国王が病で亡くなり、サイラスが国王、フィオナが王妃となった。

 その後二つの家が消えた。一つは馬上鞭でフィオナを叩いた家庭教師の実家、更に一つはホワイト男爵家だった。




 王妃となって三年が経過した。


「君か。薬草園に火を放ったのは」

「わざわざそんな話をしにきたのですか?」


 侍女とともにお茶を飲んでいるとサイラスが現れた。春の和やかな庭園の空気が一変する。侍女たちは慌てて立ち上がり挨拶をするが、フィオナはあきれ顔で紅茶を飲む。

 フィオナとサイラスの対立は静かに、しかし日に日に激化していった。

 

「あの研究が進めば、もっと安価で安全な薬を流通させることができたのに」

「安価な薬なら既にあるじゃないですか」

「あれは薬ではない、人の精神を破壊する毒薬だ」


 フィオナはこれみよがしにため息をつく。

 サイラスはわかっていない。

 毒薬のもととなる植物を栽培しているのはラッセル公爵家と緊密な関係がある伯爵家。新たな薬が完成すれば伯爵家が困る事になる。ラッセル公爵家に支えられた国王ならそれくらい理解してほしい。民に優しくしたところで利益などない。時間も金も無駄なのだ。

 フィオナは扇で口元を隠し、サイラスの耳元に近づくとこう言った。


「民が数十人消えた所で国は傾きません。それよりもあなた様が誰に支えられているか、しっかり理解してくださいまし」


 サイラスは何か言いたげだったが、諦めたような顔をすると去って行った。

 

 


 冬の半ばにサイラスが病気で倒れた。原因は不明。あの穏やかで理知的な顔立ちが生気のないものになり、頬はこけている。


(ちょうど良く口うるさいのが二人もいなくなったわ。今年はいい年ね)

 

 サイラスは民のため民のためとうるさい。これなら、おだてればいいだけのライアンの方がマシだったかもしれない。

 彼に輪をかけて口うるさく目障りなラッセル公爵は年明け早々亡くなった。ほとんど計画通りだった。新しく公爵となった兄のレイモンドは気が弱いから簡単に御せる。後は「こいつ」だけだ。

 息子のレオニードは自分に従順。サイラスを遠ざけ甘やかし、知恵をつけないようにした。レオニードの摂政となれば、ようやく権力をフィオナの意のままにできるのだ。


(いっそ私のために今すぐ死んでくれない?)


 フィオナはサイラスに仄暗い笑いを向けた。




 サイラスはほとんど目を覚ます事なく、季節が変わる前に亡くなった。

 



「そんな、何故ですか?母である私が幼いレオを支えるのは当然でしょう?」


 フィオナは当然レオニードが王になり、彼女が彼を支えるものと思っていた。

 しかし会議では異論が出た。


「レオニード様の摂政は、隣国との関係も深く、国王陛下も信頼されていたゴドルフィン公爵がよろしいかと」

「そんなっ!」

「ゴドルフィン公爵なら信頼できると、ここにいる皆が賛成したのです。陛下も常々公爵なら何かあっても大丈夫だと仰っておりました」

「でも、私は」


 次の言葉を言いかけフィオナは言葉を飲み込んだ。貴族たち、特にゴドルフィン公爵は彼女を冷たい目で見ていたのだ。その場には兄の姿も、伯爵家を始めとした自分に友好的な人物は誰もいない。

 フィオナは困惑した。確かにゴドルフィン公爵はサイラスの友人であったが、それほどの力はなかったはずだ。何故皆が支持しているのか。何故誰も味方がいないのか。


(陛下が亡くなる前から決まっていたかのような……まさかゴドルフィン公爵が陛下に毒でも盛ったのでは?そうよ、きっと後ろめたい事があるに決まってる)


 だが証拠はない。ここで下手な事を言えば追い詰められる可能性もある。


「わかり……ました。レオを、新たな国王陛下をよろしくお願いいたします」


(まずはレイモンドに連絡を。それからゴドルフィン公爵の周辺を調べなくては。絶対に尻尾をつかんでやるから)


 涙を流しながら頭を下げる姿とは裏腹にフィオナは内心非常に苛立っていた。しかしそれでもまだこの時は勝算があると思っていた。

 



「知っているよ。アレックスを推したのはサイラス様だ。僕も異論はない。それにしてもまさかこんなに早く……」


 レイモンドから聞いたのはまさかの言葉だった。フィオナは絶句する。


「異論がないですって!?」

「お前や前公爵は全くサイラス様にも貴族たちにも信頼されてなかった」

「噓よ」

「あまりにも他人を蔑ろにしすぎたんだよ、お前も前公爵も」


 フィオナにはわからない。

 他人とは蹴落とし利用するもので、才能に恵まれた自分は欲望を享受できる立場のはずだ。

 レイモンドはそんな妹を憐れむ。


「お前は前公爵に似ている。人の気持ちや苦しみを蔑ろにして、自分の欲を押し通そうとする。だからあちこちで敵を作る。まるでライアンやあの男爵令嬢と同じだ」

「ふざけないで!あの馬鹿王子や脳なしと私が同じですって!?」

「権力だけを手に入れようとする点では同じだ」


 フィオナは激昂し兄の頬を叩いた。乾いた音が部屋に鳴り響いたが、レイモンドは無表情のままだ。


「わからないのか?傷つく人の気持ちを考えない。そんな奴らに誰が付いていくものか。蹴落とし優越に浸るだけの者を誰が心から信じる?」

「嫌、嫌よ!ふざけないで!もういいわ!話にならないっ!!」

 

 フィオナは声を荒らげ怒りのままラッセル邸をあとにした。

 馬車の中で彼女は爪どころか指の肉を噛んだ。血や痛みよりも屈辱と恐怖が彼女を支配した。

 

(誰が、誰が、誰が下に……絶対、絶対、落ちてはいけない、落ちられない、更に上に、上に!?)


 フィオナはわからなかった。

 どこまで行けば満たされるのかを。




 ラッセル家は政治から離れ、歴史の表舞台からは去る事となる。

 一方、フィオナはゴドルフィン公爵と敵対する貴族に接触し彼を追い落とそうとしたが失敗に終わった。失意のまま修道院に入った、隣国に逃げた、怪しい宗教に傾倒したなど真偽不明の記録が多くその後の行方は不明である。




「その、あの叫び声……あの人?」

「仕方ないわよ。この国には今、薬があれしかないんだもの」 

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