19話 胸を張って言いたい
希さんのうどんを食べ終え、生まれ育った家での最後の就寝。
「……ん」
ふいに目が覚めた。
部屋の中は真っ暗で、怖いくらいに静けさが漂っている。
去年までの俺ならそれはそうだろうと思っていたかもしれないが、今は違う。なぜなら、いつもは同じベッドで眠っているはずの、ルナの寝息が聞こえてこないからだ。
俺の腕を枕代わりにし、すやすやと眠っている人がいない。
途端に寂しさを覚えて、ベッドから起き上がるも、部屋の中にも目当ての人物は見当たらない。
不安に思い、部屋から出てルナを探しに行った。
一階に降りる階段の中ほどで話し声が聞こえた。耳をそばだてて声がするほうを辿ると、どうやらリビングでルナと希さんが仲良く会話してるのがわかった。
「あ、ルナちゃん見てみて」
「可愛い……」
少し隙間が空いた扉から覗くと、テーブルに広げられたアルバムが目に入る。
ルナと希さんは肩を並べて、俺のアルバムをワイワイと見ていた。
「これ隆史君と初めて遊園地行った時のなんだけど、初めてのジェットコースターが怖かったみたいで泣いちゃって」
「こ、これ、可愛いすぎる……」
な、なんて恥ずかしいときの写真を見ているんだ……っ!
子供時代のときとはいえ、自分が泣いている写真を見られるなんて、穴があったら入りたい……。
「ふふ、懐かしいな。最初で最後の家族でお出かけ」
「隆史が凄く小さい」
「このときの隆史君って恥ずかしがりやで、初めて会ったときなんか、お父さんの背中に隠れて全然挨拶してくれなかったの」
希さんと会ったとき、確かに恥ずかしくて挨拶できなかったな。
でもそれは、恥ずかしかったていうのもあるけど、こんな美人な人が、いきなりお母さんだぞって言われて戸惑ったっていうのもあるんだけどな。
「隆史君は全然変わってない。いつもなにかに怯えて、気を遣って……仕事にかまけてないでもっとちゃんと接してあげればよかった」
「希は仕事で忙しいのに、それでもちゃんとしてたと思うぞ。私は知っている、家では疲れた顔を見せないように、無理に明るく振る舞っていることを」
……そうだったのか。そんなことにも気付かないなんて、俺はどれだけ鈍感なんだ。
そりゃそうだ、倒れるほどの疲労が溜まっていたんだ。家に帰ってからも疲れてたはずなのに、それなのにそんな素振りを見せなかったのは、隠してくれていたからに決まっている。
「ちゃんとしてたかな。でも後悔は残っちゃうの、もっと隆史君に愛情を注いであげられてたら、わがままも言えたはず。たぶん、私の愛情が足りなかったんだろうな」
「そんなことはない、あのうどんがなによりの証拠だ」
「ありがとう、ルナちゃん」
「……希は、隆史を引き留めないのか?」
「引き留めないよ」
……ほらな、やっぱり俺はいらない子だったんだ。
もし自分の子供だって思ってたら、行ってほしくないって言うはず。それがないってことは、やっぱり迷惑だったんだよ。
爪が食い込むくらい、拳を痛いほど強く握りしめる。
そんな簡単に手放してしまうほど、希さんと俺との間に愛情なんてなかったと思い知らされたから。
けど、次の希さんの一言で、俺はその考えが大馬鹿だったと知ることが出来た。
「どうして引き留めないんだ?」
「だって、隆史君は私の子供だもん」
なんで、俺は気付かなかったんだよ。
「隆史君はどこに行っても、なにがあっても私の子供だから」
「希のもとから離れても?」
「うん。困ってたら助けてあげるし、寂しくなったらいつでも帰ってきていいと思ってる。
あの子の幸せが、私の幸せ。だから、隆史君がお母さんのところに行きたいって思ったなら、それが一番の幸せ。
でもね、どこに行っても、ずっとずっと私の子供」
「……っ!」
……ああ、俺は大馬鹿だった。
「ルナちゃん、見てみて。これ隆史君の授業参観を見に行った時の写真!」
「隆史、凄い仏頂面してるな」
小学校の授業参観が終わった後に撮った写真。希さんは仕事で忙しい時間の合間を縫って来てくれた。
教室の後ろで、同じように見に来ている父兄と並び、一人だけ明らかに若くて美人で目立っていた希さん。
同級生はそんな彼女を見て、ひそひそと話していたのを覚えている。あれが俺のお母さんなんだぞって自慢したくて、でも恥ずかしくて出来なくて。
写真をそんな同級生の前で撮るのが照れくさくて、ついしかめっ面しちゃったな。
「…………」
……どうして俺は気付かなかったんだ。
「それで、これが中学校の卒業式だね」
「希の目が真っ赤になってる」
「ルナちゃん、そこはあまり見ないでー」
はは、このときも覚えている。
希さんったら、たかが卒業式なのに人目を憚らず泣いちゃって、卒業する本人よりも泣くもんだから、逆に俺は涙なんか引いちゃってさ。
やっぱりどの父兄よりも美人で、良い意味でも悪い意味でも目立ってて、目を真っ赤にしながら俺の卒業式を泣いてくれた。
卒業おめでとうって言ってくれて、卒業証書を今でも大事に飾ってくれてる。
「……っ……」
確かに希さんは一言も無かった。
愛してるなんて言ってくれたことなんてなかった。
「これは最近の隆史だな」
「そうそう、高校入学したときの写真だね」
俺は高校なんか行く気なんてなくて、中学を卒業したら働く予定だった。
それを直前まで隠していたら、さすがに担任が希さんに相談したらしく、家に帰ってきて問い詰められた。
働く気でいるって言ったら、烈火の如く怒られたっけな。
それで仕方なく、慌てて受験勉強して、でもそんな付け焼き刃だから受かるかどうかは微妙なところで、ドキドキしながら一緒に高校まで合格発表を確認しに行ったら、俺より先に番号を見つけて、それで俺以上に喜んでくれた。
両手を上げて「やったー!」なんて言って抱きしめてくれて、自分のことのように喜んでくれた。
「……く……っ……」
顔を両手で覆い、声を出さずに肩を細かく震わせて静かに泣いた。
……ああ……ああ……とんだ大馬鹿だ。
一言も愛してるなんて言ってくれなかったけど、態度や行動で言ってくれてたじゃないか。
「……ん……ぅ……っ……」
一杯一杯言ってくれてたじゃないか、ずっとずっと俺のことを愛してくれてたじゃないか。
嬉しいときは俺以上に喜んでくれて、悲しいときは一緒に悲しんでくれて、悪いことをしたらちゃんと叱ってくれて。
一緒にいる時間はそんなに多くはないかもしれない。でも、大事なときにはちゃんと側にいてくれた。
親として、我が子のようにちゃんと愛情を注いでくれていた。
どうしてこんなことにも気付かなかったんだ。
「……っ……はっ……ん……」
いらない子じゃなかった……俺は希さんの子供だったんだ……。
希さんに、もっとわがまま言いたい……もっと素直に甘えたい……。
俺、希さんから離れたくない。
これからも迷惑をかけると思う。それでも、胸を張って言いたい。
俺は希さんの子供だって。




