18話 希さんの手料理
かあさんのところに行くことが決定し、諸々の手続きなどは後にすることになり、先に一緒に暮らすことになった。
そして、俺が引っ越す日の前日の晩。
「今日は私がご飯を作っていいかな?」
希さんが急にそう提案してきた。
「……え、希さんが作るんですか?」
「隆史君、その反応はどういうことかなー?」
「いえ、別に……」
まさか最終日に希さんの手料理を食べることになるとは。
「ふむ、希のご飯は初めてだな。料理はできるのか?」
「自慢じゃないけど、全然上手じゃないわよ」
「本当に自慢じゃないな」
「あんまりレパートリーがないから、うどんとかになっちゃうけど」
うどんか……。
希さんのうどんを食べるのは風邪を引いたとき以来だな。楽しみでもあり不安でもある。あの形容しがたい見た目を一度でも見てしまったら、頭から離れることはない。
「実はね、もう食材とかは買って来てるから二人は座ってて」
「うん、わかった。楽しみにしてる」
「ルナちゃんは素直ね。ほら、隆史君も座って座って」
背中を押されて無理矢理座らされる。
腹をくくるしかないな……。
「希の手料理はまずいのか?」
こそっと、キッチンで料理をしている希さんには聞こえないようにルナが耳打ちしてきた。
「まあ、楽しみにしてろよ」
「む、不安を煽るようなことを……」
言ってしまうとサプライズにならないからな。ルナにもあのインパクトの強いうどんを先入観なしで見てほしい。
キッチンから料理を作ってるとは思えない擬音が飛び交う。
少し心配だったけど、うどんくらいなら誰でも作れるだろう。
「いったー! 指切ったー!」
……大丈夫だよな? 行く前日に指を切り落とすなんて、流血沙汰はやめてほしい。
うどんを作るだけなのに、それから一時間もかかってテーブルに器が並んだ。
「これは……墨汁でも入れたのか?」
ルナが真っ黒に染まったつゆを見て、忖度なしで率直な意見を言ってしまっている。
わかる、わかるぞその気持ち。こんな真っ黒になった汁なんて、普通に生きてたら見る機会なんてないからな。
「ルナちゃんー、そんなの入れるわけないでしょ」
「しかし……人間の食べるものなのか?」
素直に言い過ぎだろう、もう少し配慮した言い方はできないのか。
「見た目より味だから。ほら食べて食べて」
希さんに促されて、俺とルナはうどんをすする。
うん、やっぱりまずい。まずいんだけど……。
「不味い」
ルナが正直に感想を伝える。
「がーん!」
「あ、いや……その、不味いんだけど……美味しい」
「不味いけど美味しい?」
「……私は自分の気持ちを人に伝えるのが苦手で、上手く言えないんだが、このうどんは美味しい」
「ほ、本当に!?」
「うん。つゆは濃すぎて辛いし、うどんは伸びきってしまって、まるで病院食のような……いや、病院食のほうがまし」
「あの、そろそろ褒めるターンが欲しいな」
「けど……美味しいんだ」
前置きは長かったが、ルナの言ってることはわかる。希さんの作ったご飯は不味いんだけど美味しい。
「なんだろう、食べていると心が温かくなるというか……これが愛情なのかもしれない」
初めて食べたとき、俺は美味しいと呟いた。
あれは別に気を遣って言ったわけじゃない。本当に美味しかったんだ。
「ほっとする味というか……これが母の味というやつなのかも」
「ルナちゃん……」
「あの、希さん……おかわり貰っていいですか?」
ルナが言ってくれた、あのとき言えなかったことを、俺の代わりに全部。
子供のときは愛情とか恥ずかしくて言えなかった俺の気持ち。それを代弁するように伝えてくれた。
「うん、食べて食べて!」
「希、私にもおかわり貰っていいか。あと、つゆは水で薄めてくれ」
おかわりするほど美味しいけど、不味いのは不味いんだから仕方ない。




