17話 愛されてた実感が欲しい
大事な人が倒れてようやく決断することが出来た。
これ以上ここにいたら希さんに迷惑をかけることになる。だから俺は、かあさんのところに行く決意をする。
今日は希さんが退院する日。
病院まで迎えに行こうかと提案したが、断られてしまった。
「…………」
もうしばらくしたらこの家から出ていくんだなと思うと、ふと寂しさが込み上げた。
リビングを見回し、希さんと過ごした足跡を辿る。
テーブルで一緒にご飯を過ごした時間。
食卓を囲んだのは、三桁もいかないと思う。
十年間も共に過ごしたはずなのに、たったの二桁くらい。それだけの時間を俺は一人で過ごしてきた。そう考えると、希さんが俺を愛してなかったかもと思うのは当然なのかもしれない。
誕生日も一人で過ごし、希さんの誕生日も祝うこともなく、ただいつもの日常を過ごした。
小さい頃はそれが寂しくて、悲しくて、テーブルをよく濡らした。
どれだけご飯を上手に作れたとしても、美味しくできたとしても、その反応を見ることなんて滅多になく、自画自賛をする毎日。
でも、たまに一緒にご飯を食べれたときは、凄く嬉しかったな……。
顔を綻ばせて、俺の手料理を絶賛しながら食べてくれて、よくおかわりしてくれていた。
「…………」
次に目を向けたのはテレビ……の前のゲーム機。
当日祝うことができなかったとしても、欠かさず誕生日プレゼントをくれた。このゲーム機も希さんが買ってくれたやつだ。
『隆史君、いつも寂しくさせてごめんね。これ、ゲーム機があれば楽しく遊べるでしょ! 友達とか呼んで一緒に遊んだりしててもいいのよ』
なんて言って、当時の最新ゲーム機買ってくれったっけ。
希さんはゲームなんてしないので、ソフトが必要なことも知らなかったみたいで、慌ててソフトも買ってくれた。
ルナと一緒にやったスマブラは、そのとき買ってくれたやつだ。
初めてのゲームで俺もよくわからなくて、コンピューター相手に倒されたとき、左右にステップしていることを不思議に思って調べてみたら、それが実は煽り行動だと知ったときはめちゃくちゃムカついたのを覚えている。
『コンピューターのくせに煽ってくるのかよ!』
それでガムシャラに練習して倒せたときは、お返しに煽ったんだけど、コンピューター相手になにやってるんだろって虚しく思えたな。
友達と遊んでほしかっただろうに、俺には友達を作る勇気なんてなくて、ルナとやったときが初めて人と遊んだときだった。
次にどこに向かおうかと思ったが……特に何も思い付かなかった。
「はは……」
なんだこりゃ……なにも思い出なんてないじゃないか。
そりゃそうだ、十年間以上過ごして希さんとよく顔を合わせられるのは、出勤前の朝ごはんくらい。そんな僅かな時間しか話すことがないのに、思い出もくそもない。
捨てられて当然だな……。
※ ※ ※
「ルナちゃん、隆史君、心配をかけてごめんね」
疲れが取れたのか、それともまた誤魔化しているのか、すっきりとした顔で希さんが家に帰ってきた。
「希はもう大丈夫なのか?」
「うん。ルナちゃんも心配してくれてありがとう」
「本当に心配したぞ。これからはあまり無理をするな」
「クスクス……肝に銘じておきます」
「…………」
希さん、ありがとうございます。
今まで本当にお世話になりました。
「希さん、大事な話があります」
「隆史君、どうしたの?」
もう俺は迷惑をかけません。
こんな疫病神を育ててくれて、ボロボロになるまで働いてくれて感謝しています。
「俺、かあさんのところに行きます」
「…………」
希さんは俺がいて迷惑でしたか、かあさんのところに行って寂しくないですか?
どうして、そんなに笑顔なんですか。俺がいなくなるのに、どうして何も言ってくれないんですか。
わからない、希さんがなにを考えているのかわからない。
「うん、わかった」
せめて一言、いなくなるのは寂しいとか、行ってほしくないとか言ってください。
俺と希さんが過ごした十年以上の日々は、そんな一言もないほどちっぽけな時間だったんですか。
行きたくないのに、そんな風に笑顔でいられたら、勘ぐってしまう。本当に俺は、国次さんの言うとおりの存在だったのかと。
※ ※ ※
「隆史は本当にそれでいいのか?」
部屋に戻ると、ルナが追いかけてくるように飛び込んできた。
「本当にあっちに行っていいのか? あんなに嫌がっていたのに、希から離れることになってもいいのか?」
珍しく怒るような口調。
俺の過去を知っているだけに、その答えがどれほど馬鹿げたことだと責めるように質問してくる。
「俺だって……」
わかっている、かあさんのところに行くのがどれだけ愚かなことだって。
俺だってどれだけ悩んだか。けど、このまま一緒にいると希さんを不幸にしてしまうのも事実。
「俺だって行きたくないよ!」
「じゃあ素直にそう言ったほうがいい。希だってきっと行ってほしくないはずだ」
「そんなことわからないじゃんか」
だってなにも言ってくれないじゃん、行ってほしくないとか、寂しいとかそんな一言もない。
それってそういうことだろ。これで厄介者がいなくなるとか思ってるんだよ。
「なんで一言もないんだよ。寂しくなるねの一言もないんだぞ! きっと俺のこと愛してくれてないんだよ!」
「希は倒れてしまうほど、隆史のために働いていたんだ。それがなによりの証拠じゃないか」
「…………」
「お互いに本音を言い合った方がいい。そしたらきっといい方向に進むはずだから」
「無理だよ、そんなわがまま言えるかよ」
そんなわがままなんか言ったら、困らせるだけじゃん。
もしそんなこと言って希さんに迷惑をかけたらと思ったら……わがままなんか言えない。
「なんだったんだろう、一緒に過ごした十年間以上の日々は。寂しいとかそんな一言もないほどちっぽけだったのかな」
「希もきっとそう思ってる。隆史がなにも言わないから」
「はは……」
思わず、自嘲するような笑みが零れた。
「俺から言えってか……もっと迷惑をかけさせてくださいって、そんなこと言えってか」
「ああ、言うんだ」
「そんなこと言えるかよ」
「希は倒れるほど隆史と離れたくないんだ。それだけ傍にいたいと思ってる証拠じゃないか。あとは隆史が素直に本音を言えばいいだけなんだ」
「……怖いんだよ」
「怖い?」
もし、そんなこと言ったら……。
「そんなわがまま言って、また捨てられたらって思うと……怖いんだよ」
「希はきっと捨てない」
「わかんないじゃん……もし愛されてなかったら……そう考えたら、言えないよ……」
一言行ってほしくないって言ってくれれば、愛されてたんだなって実感できる。そしたら、俺はわがままだって言えるはずなんだ。
愛されてた実感が欲しい……。




