15話 いくらでも手を強く握っていいから
「……え?」
不幸なことはどうしてこうも連続で続くのか。
リビングでゆっくりしていたところを、その知らせを受けて、谷底に落ちたかのように足元がぐらりと揺らいだ。受話器から聞こえる低い男性の声が、返事が無くなったことに心配そうにしているのが聞こえた。
心臓が痛いほど早鐘を打っている。
「はあっ、はあっ、はっ……っ!」
なんとか平静を取り戻そうと呼吸を繰り返し、ゆっくりと受話器に耳に当てる。
パニックに陥る俺を心配してか、リビングでテレビを見ていたルナが近寄ってきた。
「……すいません、もう一度お願いします」
まだ信じらない。さっき聞いたばかりのなのに、それでも聞き間違いだと思いたくて、もう一度尋ねる。
嘘だと思いたくて、夢であってくれと願って……。
『落ち着いて聞いてくれ、希さんが倒れたんだ』
けど、それは夢でもなんでもなくて、現実だった。
※ ※ ※
希さんが倒れた。国次さんから連絡を受けたとき、目の前が真っ暗になった。
何度思い返しても、そう言っていたはず。
『入院することになったから、必要な物を持って来てくれ』
そう言っていた気がする。あまりの突然な出来事に思考が纏まらず、なにを返事したかも覚えていない。
最終的にルナが電話を変わってくれ、必要な物なども彼女が用意してくれた。
「…………」
思い出す父の亡くなった日のこと。あのときもこんな風に突然やってきた。俺をかあさんから守ってくれた人が、帰らぬ人となったことがフラッシュバックされる。
いつもと同じように過ごしたい俺を、嘲笑うかのように不幸が襲ってくる。
希さんが、いなくなってしまう……俺を置いて、大事な人が周りから消えていく……。
「……隆史」
ルナが隣で心配そうに俺を見上げる。
その身体をぎゅっと抱きしめる。いなくならないように、離れてしまわないように。
「隆史、落ち着いたら病院に行こう。希はきっと大丈夫だから」
「……希さんが」
「……え?」
「希さんが……死んじゃう……」
「大丈夫、希は死なないから」
「希さん、死なないで……お願い……俺、良い子にしてるから……」
「隆史……?」
「もうわがまま言わないから……」
「…………」
苦しそうな吐息が漏れるのが聞こえた。それでようやく、自分がなにをしているのか、腕の中で顔を歪めているのが誰なのか気付いた。どうして抱きしめているのか、なぜこんなにも強く抱きしめているのか記憶にない。
……今、俺はなにを喋ってた?
ルナと会話をしていたような気もするけど、なにも覚えていない。
「ルナ……? 今、俺は一体なにをしていたんだ?」
「……隆史、手を出して」
「……?」
白魚のような綺麗な指が、俺の手を包んでいく。
「病院に着くまでずっとこうしててあげる。不安になったら、いくらでも手を強く握っていいから」
「……ありがとう」
※ ※ ※
その宣言通り、ルナが俺の手を離すことはなかった。駅に向かってるときも、電車に乗っている間も、ずっと手を繋いでくれる。
それまではなにもなかったし、自分がなぜこうなったかわからない。
いつも通りに電車に乗っただけ。それなのに、どんどん身体が震えていく。
「はっ、はっ……っ!」
まずい、なんだかわからないけど急激に不安が襲ってきた。真夏でもないのに汗が止まらず、シャツがどんどんとそれを吸い込み気持ち悪さに拍車をかける。
怖い……今すぐ叫びながら窓を割って電車から飛び出したい……っ!
かひゅっ、かひゅっ、と呼吸がどんどん荒くなっていき、視界がどんどん狭くなっていくのがわかった。
苦しい……また息が苦しくなってきた……っ!
今俺は立ってる? それとも座り込んでいる?
電車から降りたい……だめだ、希さんが倒れてるのに……一刻も早く向かわないといけないのに……っ!
「……うぐっ!」
喉の奥からこみ上げてくる気持ち悪さを辺りにぶちまけそうになって必死に口を抑えた。
こんな人が密集しているところで吐いてしまったらどれだけ迷惑をかけてしまうか。
違うことを考えよう……着くまでの間、気を紛らわせれば……いつの間にか最寄り駅に着いてるはず……。
ドアの上部に付いているモニター、そこにはテレビで見かける芸能人が商品の宣伝をしていた。いつもなら絶対見ないであろう広告、それでも少しでも気を紛らせられるなら、と食い入るように眺める。
広告が終わり、続いて映るのが次の駅までの到着予定時刻。それを見たのがいけなかった。
十五分という数字、それは俺にとって果てしなく長い時間。
それを認識すると、がくがくと身体が震えだした。
降りたい……降ろしてほしい……今すぐここから出してくれ……。
「……隆史」
ぎゅっと、繋いでた手に力を込められる。
『不安になったら、いくらでも手を強く握っていいから』
襲ってくる不安に耐えられなくて、その小さな手を力いっぱい握りしめる。
……どうしてだろう。さっきまではあんなに怖くて、不安で死にそうになっていたのに、手を握っているだけで落ち着くことができた。ルナがそばにいるってわかっただけで、不思議と心がどんどんと落ち着いていく。
それでも、またさっきの恐怖がやってくると思うと怖くて、電車に乗っている間、強く握ってしまった。




