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13話 隆史の過去(8)

 ある日を境に、一人でいるのに抵抗を感じなくなり、わがままを言うのも止めた。

 それは俺が誕生日での一日。

 期待に胸を膨らませ、わくわくしながら過ごした記憶がある。

 いつもは仕事で帰りが遅い希さんだが、もしかしたら誕生日ということで早めに帰って来てくれると思った。

 学校の帰りに寄ったスーパーで、楽しく二人でお祝いするのを想像しながら色々買い込んだ。

 自分の誕生日だけど、クラッカーでも買おうかな……でも、やっぱり恥ずかしいな……。


『ふ、ふふ……』


 思わず笑ってしまった。

 これから訪れるであろう楽しい未来。それを考えただけで、自然と頬が緩み、心が躍る。

 なに作ろうかな、ちょっと贅沢して高めのカレーでも作っちゃおうかな。

 やっぱり……ハンバーグにしよ。希さんはハンバーグが好きだから、みんなで楽しく過ごしたいし、俺の好物じゃないほうがいいな。

 あとは、なにが必要かな。クラッカーを自分で用意するのはさすがに恥ずかしいのはやめて、三角帽子とか? うーん、それもちょっと恥ずかしい。


『……あ』


 一番大事なのを忘れてた。

 ケーキだ……。

 誕生日に一番大事って言えば、ケーキに決まってる。

 スーパーのスイーツコーナーに向かうと、色とりどりのケーキが並んでいた。誕生日にしては少し安っぽいような気がしないでもないけど、ないよりはまし。

 希さんはなんのケーキが好きかな……。

 あ、でも……もしかしたら買って来てくれるかも。ホールケーキなんて買ってくれてたら二人じゃ食べきれないかもしれない、そしたら俺が買った分が勿体ない。

 うん、やっぱり買うのはやめよう。スーパーのケーキよりも豪華だろうし、なによりそっちのほうがきっと美味しいに決まってる。


 ――――楽しみだな。


     ※ ※ ※


 家に帰宅すると、少し豪勢なハンバーグを作り、今か今かと希さんが帰ってくるのを待った。


『早く帰ってこないかな……』


 時刻は午後七時。

 こんな早い時間に帰って来たことなんて一度もないので、期待なんてしていない。それでも、わかっているんだけど、もしかしたら、息を切らしながら玄関を開ける希さんをつい想像してしまう。

 テーブルの上にはハンバーグが二つ。

 気が早いのはわかっている、帰ってこないのも。それでも、そわそわして落ち着かなくて、つい用意をしてしまった。

 希さんがクラッカーを買って来てくれてたら驚いたふりでもしてあげよう。それで二人で笑いながらハンバーグを食べて、美味しいねって言ってくれて、ロウソクが付いたケーキを吹き消して、誕生日を祝うんだ。


『遅いな……』


 あれから一時間経った。いまだに希さんは帰ってこない。

 テーブルに用意したハンバーグは冷めてしまい、ちょっと奮発して買った柔らかい肉は固くなってしまっている。

 テレビを見ながら時間を潰すも、足音や車の音が外から聞こえるたびに、窓に張り付いて確認し、希さんじゃないとわかるとがっくりと肩を落とすのを繰り返している。

 まだ八時だ。

 八時ならたまに帰ってくることもあるが、それは月に一回あるかないか。

 そう、まだまだ。きっと仕事で遅くなっているだけに違いない。


『…………』


 そして、さらに一時間。

 とうとう九時になってしまった。いつもならとっくにご飯を食べ終え、お風呂に入り、就寝の準備をしている時間帯。

 でも、俺の目の前には手付かずのハンバーグが。

 ご飯も食べ終えてないし、お風呂にも入っていない、寝る準備なんてこれっぽっちもしていない。

 そうだ、ハンバーグ温めておこう。そろそろ帰ってきてもおかしくないし、冷めきったご飯なんて食べたくないもんな。

 もうケーキもいらない、クラッカーで祝ってくれなくてもいい。誕生日プレゼントなんて贅沢言わない。

 ただ一緒にご飯を食べてくれるだけでいい。

 だから希さん……早く帰って来てよ……。


『……うぐ……ひぐ……』


 頬がどんどん濡れていく。ぽろぽろと涙が溢れ、テーブルに染みを作っていく。

 時間は午後から午前に変わってしまってる。

 俺の誕生日は終わってしまった。

 あれからどれだけ希さんを待っても帰ってこなかった。止めどなく流れる涙を拭うことなく、冷めたハンバーグを頬張り、ケーキなんて食べることなく、お祝いなんてあるはずもなく、一人で食事を済ませた。


『……ぅぅ……っ……ぐす……』


 ……一緒にご飯を食べるってそんなに贅沢なのか。たったそれだけのことでも、俺には身に余るご褒美なのか。

 プレゼントなんていらない、祝ってくれなくてもいい。それすら叶わないのは、本当の子供じゃないからなのか。

 ああ、駄目だ……わがままなんて言っちゃ。

 そんなこと言ったら捨てられるかもしれない。

 そうだよ、こんな風にご飯を食べられるだけ贅沢じゃないか。希さんは血が繋がっていない俺をこうして養ってくれている、それだけでも幸せじゃないか。


『……くっ……ん……』


 なのに、どうしてこんなにも涙が止まらないんだろう。


     ※ ※ ※


 翌朝、目を覚ましてリビングに入ると、テーブルには紙が置いてあった。

 そこには「昨日は一緒に祝えなくてごめんね。ケーキを冷蔵庫に入れておいたから食べて。お誕生日おめでとう」と書かれてある。どうやら今日も仕事で忙しく、希さんはもう仕事に向かったらしい。

 冷蔵庫を開けると、確かにそこにはケーキが入っていた。


『…………』


 中身を開けると、チョコレートプレートにお誕生日おめでとうとメッセージが書かれたホールケーキが。

 それを見て、また涙が頬を伝う。


『……えぐ……ぐす……』


 俺が泣いているのは嬉しかったからじゃない、悲しかったからだ。


 ――――酷い、酷いよ希さん……。


 なぜこんな酷いことをするのか。

 これを俺一人で食べろっていうのか? また一人で寂しく誕生日祝わないといけないのか? あれだけ辛くて寂しい誕生日を、また味わわないといけないのか?

 違う、違うんだよ希さん……。

 ケーキなんていらない、誕生日プレゼントもいらない、ただ一緒にいてくれるだけでいいのに。


『寂しい……寂しいよ、希さん……』


 俺の胸に残る寂寥感。


 それからの希さんは仕事が多忙になったのか、深夜に帰ることが多くなり、俺はいつも一人寂しくご飯を食べるようになった。

 リビングに響く食器の音。ただ黙々と咀嚼し、作業のようにご飯を食べる日々。

 それがルナと会う前の俺の毎日だった。

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