7話 隆史の過去(2)
頭の怪我がきっかけで夫婦の仲は収拾不能に。
より一層激しさを増した言い合いは、いつもは部屋でうずくまり震えてた俺でさえ心配で様子を伺うレベルに。
『頭から血が出るほど怒るのは虐待だろう!』
『あたしだってそこまでするつまりはなかったわよ!』
両親の周りでは皿の破片や壊れたスマホが辺りに散乱している。
これ自体は特別なことではない。しかし、仕事から帰ってきて、頭にネット包帯を巻いた俺を見て青ざめた父親は、さすがに我慢の限界がきたのか、今までは言わなかった、冷え切った夫婦関係にピリオドを打つセリフを漏らした。
『もう限界だ……お前とはやっていけない、離婚しよう……』
『そうね、あたしももう耐えられないわ。あんたの顔を見るだけではらわたが煮えくり返りそう』
『隆史の親権は俺が貰うからな。お前に任せてなんかおけない』
『あんなどんくさい子、こっちから願い下げよ。こぶ付きなんかいたら、再婚しずらいしせいせいするわ』
――――え?
当時はこぶ付きの意味が分からなかったが、会話の流れ的に俺が鬱陶しいと思われたのだと察することができた。
母親に捨てられる。
もしかしたら悪いことしてしまったのか、良い子ではなかったのが原因なのか。わかっていることは、二人の仲に亀裂が入ったのは自分のせいだということ。
喧嘩をするたびに言っていた、あたしとずっと暮らすのよ、という言葉は嘘だったのか。
『息子より娘だったらよかったのに。子供が男の子だと、敬遠されちゃうからよかったわ』
『……お前、自分の子供によくそんなこと言えるな』
『だって現実問題そうだもの。今の彼だって、男の子が付いてくるなら別れるなんて言われちゃったし』
――――ママは僕がいらないの?
『……ママぁ』
よせばいいのに、耐えきれなくなった俺は、リビングで喧嘩する母親に声をかける。
『……隆史、お父さんたちはちょっと大事な話をしてるから、あっちで大人しく寝てような』
『ママ……どっか行っちゃうの?』
俺の質問に口を噤む両親。
――――そうか、僕が良い子にしてないから悪いのか。
良い子にすれば捨てられないと思い、辺りに散らばった皿の破片などを片付け始めた。
頓珍漢も甚だしいが、このときの俺は大真面目だった。どうしたら捨てられないか、どうしたら振り向いてもらえるか、それしか考えられなかった。
『ママ、ほら見てみて。僕ちゃんと良い子にしてるよ』
『…………』
『お片付けもちゃんとできるし、ちゃんとママの言うこと聞くよ?』
『…………』
『ねえ、ママ……ママ、ママ……』
『ママ、ママって、そういうところが鬱陶しいのよ!』
俺の頬を鋭い痛みが走り、慌てて父親が間に入った。
そんなことをしても母親の怒りを買うだけなのに。それで喧嘩は激化するなんて、火を見るよりも明らかだったのに。
※ ※ ※
それからしばらくして母親は家から出ていき、父親との二人暮らしが始まった。
父は母と違い、良くできた人だった。仕事で忙しいのにも関わらず、朝食を作り、弁当を持たせてくれ、保育園まで送り迎えをしてくれていた。
当時のことを思い返すと父には頭が上がらない。
けど、その頃の俺はとにかく寂しかった。
今となっては仕事の合間を縫って迎えに来てくれる父の凄さやありがたさがわかるが、そのときの俺はそんな大変さなんて露ほども知らないので、孤独感で胸が締め付けられる思いで一杯だった。
保育園で父親が迎えに来るのを今か今かとひたすら待ち続ける毎日。
教室の扉が開くたびに迎えに来たのではと、顔を綻ばせて視線を向けるも、それは別の子供の親。
それを何回も何回も繰り返し、最終的に俺は一人で教室に残る。
―――――今日も僕一人。
それが寂しくてたまらなかった。
一人で教室でお絵かきしながら、涙が出そうになるのを必死になって堪えていた。
たまに早くに父親が迎えに来てくれた日など、嬉しくて、心底喜んだのを今でも思い出す。
たぶん、父親もそんな俺の寂しさをわかっていたのだろう。
一年ほどそんな毎日が続いた我が家に、希さんがやってきたのは。




