4話 記憶にない
それからも催促するように何度もかあさんは家を尋ねに来た。もう少し待っていてあげて下さい、という希さんの言葉は聞こえなかったのか、週末、しまいには平日にも来るように。
言葉にはしないが、態度や目で何度も急かしてくる。
まだ決まらないのか、あたしと住むのが嫌なのか、と。
そして、今日もまたやってきたかあさんと、昔よく訪れていたらしい近くの公園に出かけることに。
ルナは一緒にはいない。かあさんとルナは絶望的に相性が悪いのか、一緒にいると険悪な雰囲気になるので、付いて来ようとするのを希さんに止められていた。俺としては、ルナが一緒にいると安心するのでいてほしかったところだが。
「あ、隆史。見てごらん、あんた、あの砂場でよく遊んでたわよね」
はしゃぐ母を横目に、指を差された砂場を見ても懐かしさもなにも込み上げてこない。
……かあさん、俺の記憶には遊んだ記憶はないよ。かあさんにとっては昨日のように思い出されるかもしれないけど、そんな小さいときのことを言われてもまったく覚えてない。
「あのブランコも懐かしいわよね。あんたの背中を押して、一緒に遊んだっけ」
……それも記憶にない。
たぶん、かあさんが懐かしく感じてるのは、俺が三歳以前の頃を言ってるんだと思う。逆に覚えてたほうが凄い。
ベンチに腰かけるかあさんの隣に、俺も少し間を空けて座った。
「あの家だと家事も全部隆史がやってるんでしょ? あたしも隆史の手料理が食べてみたいわ。今度作ってちょうだいよ」
「俺の料理は……そんなに美味しくないですよ」
「謙遜しちゃって! 希さんが言ってたわよ、隆史君の料理は本当に美味しいって。子供の料理を食べれるなんて最大の親孝行だと思わない?」
「そうなん、ですか。今はかあさんが料理とか作ってるんですか?」
「あたしは全然。隆史も知ってるでしょ、あたしが料理全然できないの」
もちろん知ってる。けど、あれから大分時間が経ったんだから、料理の一つくらいできているものかと思ってしまった。
「頭の傷はもう大丈夫なの?」
「……はい、もう大丈夫です」
「見せてみて」
俺の頭を引き寄せ、後頭部を無造作に触り始める。
「あ、もう全然大丈夫ね。傷もわからないし、これなら怪我してたなんて誰も思わないでしょうね」
「そうですね。誰にも気が付かれたことはありません」
「あれは大怪我だったわね。もうあたしったら、気が動転しちゃって」
かあさんが昔を懐かしむように、大口を開けて笑い出した。
凄いな、あれだけの大怪我をこんな風に笑えるのか。年を取ると、こんな風に笑い話に昇華できるものなのか、単にこの人が無神経なのか。
「あの人と離婚してから、隆史のことがずっと気掛かりだったの」
……じゃあなんで俺のことを捨てたんですか。
「あんた、あんまりあの家に馴染めてないんじゃないの?」
「そんなことは……希さんは優しいですし、良くしてくれます」
「じゃあ、どうしていまだに、希さんなんて他人行儀な呼び方してるのよ」
「……それは」
「どう考えても気を遣ってるし、馴染めてない証拠じゃない。それもそうよね、だって血のつながっていない他人だもの。そんな家よりも、本当の家族で一緒に過ごす方が幸せでしょ?」
かあさんの乾いた木の葉のような手が、俺の手を包んだ。昔とは違う、弱々しくなった手に驚いた。あんなにも大きかった手が、今はこんなにもか細くなってしまったことに。
「あたしのことはちゃんとお母さんって呼んでくれてる、希さんなんて他人行儀の呼び方じゃない。あんたもちゃんとわかってるはずよ、どっちが本当のお母さんなのか」
「…………」
「隆史のことを忘れたことは一日もないわ。あんたと別れてからの日々はとても寂しかったの」
「……ありがとうございます」
「もう二度と離れたくないの。だから、ね、また一緒に暮らしましょ」
……つらつらと、どうしてそんなに簡単に嘘を吐けるんだ。
そうやって甘い言葉を並べて、俺を騙そうとしてるのはわかってる。言いくるめて、心を騙して、操ろうとしてくるな。
本当に忘れてなかったなら、もっと早くに迎えるに来ることだってできたじゃないか。それをしなかったのは、あんたが俺のことなんてどうでもよかったからだろうが。
こんな美辞麗句なんて聞きたくない。
早く帰りたい。ルナと希さんに会いたい。




