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3話 急な訪問

 それからは何事もなく日々は過ぎていく。母親と会ったことも、財布を落としたくらいの感覚で、なるべく気にせずに過ごしていた。変わったことがあるとすれば、落ち込む俺を見かねたのか、外ではあまりくっついてこなくなったルナが、前と同じように側にいてくれるように。それが頼もしく、ありがたかった。

 デートした日からちょうど一週間ほど経った。ご飯を買いにルナと出かけ、家に戻ると、玄関に見知らぬ靴が。

 誰の靴だろう。大きさと種類からして男性のものではない、女性が履くパンプスが置かれていた。誰か家に訪ねに来たのかな。


「ただいまー。希さん、誰か来てるん、です……か……」


 リビングに入ると、予期せぬ来訪者に心臓が跳ねた。

 二度と会うことが無いと思っていた、会いたくないと思っていた人が家に尋ねに来ていた。


「あ、隆史。おかえり」

「かあさん……」


 その人物は、テーブルを挟んで希さんと座っていた。

 なぜこの家にいるのか、どうやって家に来たのか、なぜ家の場所を知っているのか。様々な思いが頭の中をよぎるも、どれもが一瞬で過ぎて行った。なぜなら、それは当然のことだから。離婚してからも引っ越しをせずにずっとここで暮らしているんだから、母が家の場所を知っていても当たり前のことだ。


「隆史君、お母さんに会ったなら教えておいてよ」

「あんたがちゃんと伝えてなかったから、一から説明するハメになったじゃない」

「すみません……」


 なんでこんな大事なことを忘れていたんだ。これならちゃんと希さんに相談しておくべきだった。これだと、会ったことを隠していたのは、後ろめたいからだと勘違いされる。

 ルナが一歩、俺の前に立ってくれた。まるで守ろうとしているように、かあさんとの間に立ちはだかり、壁になってくれる。


「お母さんは、また隆史君と一緒に暮らしたいって言いに来てくれたの」

「……それで希さんはなんて答えたんですか?」

「それは隆史君が決めることだから。私はなにも言ってないわよ」

「……え?」


 ……どうして、どうして断ってくれないんですか。俺がかあさんと暮らしたいって言ったら、希さんはなにも思わないんですか? そんなにすんなりと俺のことを渡すんですか?


「隆史君はどうしたい? 私に気を遣わないでいいから、どっちで暮らしたいか決めて」

「……俺は」

「隆史はあたしと暮らしたくないの?」


 俺は……おれは……。

 かあさんとは暮らしたくない、そんなたった一言がどうしても口から出てくれない。

 暮らしたくないけど、希さんがどう思っているのかが知りたい。

 一言、一言行ってほしくないと言ってくれれば俺は断れる。けど、そんななんでもないような態度を取られたら、実は俺という存在が重荷だったんじゃないかとか、余計な物がいなくなったとか、そんな風に考えちゃうじゃないか……。

 もし希さんが俺を疎ましく思っていたら、かあさんと暮らすのが正解だけど、俺は……かあさんとは暮らしたくない。

 どうしたらいいんだ、一体どうしたら……。


「……隆史君、こんなこといきなり言われても困るよね。今すぐにでも決めなきゃいけないわけじゃないから、ゆっくりでいいから考えておいて。自分の考えが整理できたら教えてね」

「……はい」


 希さんが宥めるように俺の腕をぽんぽんと軽く叩いてくれた。


「すいません、お母さん。いきなりのことですし、隆史君も少し混乱してるようなので、今日はお帰り頂いてもいいですか?」

「いきなりって、あれから一週間も経ってるのよ」

「まだ、一週間ですよ。隆史君にとっては重大な決断なんです。もう少し待ってあげてください」

「隆史はあたしと暮らしたくないの?」

「……あ、う……そ、その……」

「お母さん、隆史君はそんなこと一言も言ってませんよ。ただそちらで暮らすとなると環境も変わりますし、住む場所も変わります。それは隆史君にとっては辛い選択でしょうし、悩みの一つなんです。だからもう少し待ってもらえませんか?」

「そうね。そうするわ」


 席を立ったかあさんが玄関に向かった。


「ほら、隆史君。一緒にお母さんを見送りに行きましょう」

「……はい」


 足がまるで自分のものではないかのように、目の前を歩く人に連れられて一緒に玄関に向かう。


「隆史、また来るから考えておいてね」

「……はい」


 台風のように言いたいことだけ告げて、やっと帰ってくれた。

 希さんはなにも思わないのか。いきなり子供を引き取りたいなんて言われて、俺が勝手に決めて、それで本当にいいのだろうか。


「……希さんは、俺がかあさんと暮らしてもいいと思ってるんですか?」

「もちろん。隆史君がそれを望むなら」


 なんで、そんな簡単に答えるんだ。

 悩んだり悲しんだり、寂しそうにしてくれれば俺だって断れるのに。行ってほしくないって、寂しくないって言ってくれれば……。

 俺が、希さんの本当の子じゃないからですか? だからそんなに簡単に手放したりできるんですか?

 重荷だったら……母親の元に行きます。希さんの負担にはなりたくないです。けど、違うならここで暮らしたいんです……。

 そんなことが言えたらいいのに、確認するのが怖くて、口を噤んでしまう。もし、重荷だったって言われたら……要らない子だったって言われたら……。


「……ルナ」


 小さな両手がそっと俺の手を包み込んでくれる。俺の手に比べて随分小さいけど、とても温かく、とても頼もしい大きな手。


「隆史がどんな選択をしても私はずっとそばにいるから」

「……うん、ありがとう」

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