2話 猫吸いしたいなー
あれからどうやって帰ったか覚えていない。どんなご飯を作ったか、なにを会話したのか。気付けば俺はベッドに寝転がっていた。
覚えてるのは、最後に母が言っていた言葉。
『また一緒に暮らさない?』
断ろうとしたが、いつもと同じように俺の言葉を聞かず。
『今すぐ答えを出さなくていいから、また会いに来るから、考えていてちょうだい』
それだけ言い残し、さっさと店を出て行ってしまったので断れなかった。
一緒に住む気なんてこれっぽっちも無い。できればもう二度と会いたくないし、顔も見たくもない。けど、もしまた会ってしまったら、俺はちゃんと断れるのか。自分の意見を言えるのか。
「隆史、大丈夫か?」
一緒のベッドに寝ているルナが、俺の瞳を覗き込んでくる。
「……うん、大丈夫」
「あんまり気にするな。またあの人が来たら私が守ってやるから」
「ありがとう、ルナがいてくれて助かったよ」
本当にルナがいてくれてよかった。あのままタバコの煙を嗅がせられていたらどうなっていたことやら。
「あの人が、隆史の母親なのか?」
「うん、実の母親。十年以上前に離婚したから、今日会ったのも久しぶりだったけど」
「じゃあ、希は母親ではないのか?」
「希さんは父親が再婚してからできた親だから、継母ってことかな」
そうだ、希さんになんて言おう。実の母親に会ったことを相談しておいた方がいいのかな。
けど、なんて言えばいいんだ。また一緒に暮らしたいって言われたなんて相談しても困らせるだけのような……。
「…………」
いや、やっぱり黙っておこう。こんなこと相談されても、希さんだっていい気がしないだろうし。それに、もう二度と会うこともないんだ、このことは俺とルナが黙っていればバレない。
「ルナ。今日かあさんに会ったことは内緒にしておいてくれないか」
「わかった。誰にも喋らなければいいんだな?」
「うん、頼むよ。希さんがもし知ってしまったら、悲しませるだろうし」
今日のことは忘れてしまおう。財布を落としたくらいの気持ちで、ついていない一日だったくらいに思っておけばいいんだ。
「隆史……げ、元気がないなら……耳を、ハムハムするか?」
「……ハムハムかー」
「わ、私は別にハムハムされたいわけじゃないぞ。けど、隆史が元気が出るなら……ハムハムさせてあげてもいいかなって」
「……別に大丈夫かなー」
「そうか……」
落ち込むように、猫耳が垂れさがってしまう。
俺を元気付けようとしてくれてるのは嬉しいけど、今はハムハムしたい気分じゃないんだよな。
「……猫吸いさせてくれたら元気になるかもなー」
「猫吸い……うぅん……うーん……」
「猫吸いしたいなー。そしたら元気出るんだけどなー」
「うーん……隆史が元気出るなら、吸っても……い、いいぞ……」
待ってましたとばかりにルナを抱きしめる。髪に顔を埋め、思いっきり吸い込んだ。
「すぅぅーー……」
「ひゃ……っ」
やっぱりいい匂いがする。こんな甘美な匂いを一度味わってしまったら、もうこの匂い無しじゃ生きていけないかもしれない。
「すぅぅーー、すぅぅーー……」
「ふぁぁ……っ」
ピクピクと猫耳が小刻みに動いている。腕の中では恥ずかしいのか、もぞもぞと少し抵抗する素振りを見せているが、俺を元気付けるために必死に抑えてくれる。
それから思う存分に吸わせてもらい、ルナを解放すると、すっと離れてクレーンゲームで取ったぬいぐるみを抱きしめている。
「うぅ……辱められた……」
「人聞きの悪いことを言うな。でも、ありがとうな。おかげで元気が出たよ」
「隆史が元気が出たならよかった。タカシ、今度はお前が私を癒してくれ」
ルナがぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて、幸せそうに微笑む。
「タカシは本当に可愛いなー。隆史は甘えん坊だけど、タカシも甘えん坊だ」
「同じ名前だとわけがわからなくなるな……」
「隆史、このぬいぐるみを抱きしめてくれ」
「別にいいけど……」
言われるがまま渡されたぬいぐるみを抱きしめる。
「もっとぎゅっとして」
「こう?」
「もっともっと」
「え、もっと? じゃあ、これくらいかな?」
「やりすぎ! タカシを虐めるな、痛がってるだろ!」
「どうしろって言うんだよ……力加減が難しすぎる……」
ぬいぐるみを返すと、また同じようにぎゅっと抱きしめ始める。
「えへへ、いい匂いがついた。この匂いを嗅いでいると幸せな気持ちになれる……」
「……そっか」
もうツッコむ気力も湧かないや。ルナが幸せそうにしてるなら、恥ずかしいけど別に構わないかな。
ぬいぐるみを机の上に置き、ベッドに戻ってきた。
「ぬいぐるみをこの部屋に置いておくのか? ルナの部屋に置けばいいのに」
「うん。この部屋はもう私の部屋だからな、タカシは私と一緒にいなければ」
「……俺の部屋だから」
俺の部屋に、俺の名前が付いたぬいぐるみが置かれてる……なんか凄いナルシストみたい……。




