12話 猫吸い
「……ん」
スマホの目覚ましがけたたましく泣きだし、それが勝手に止まる。瞼はまだ開ききってないが、意識は徐々に覚醒しだした。胸に圧し掛かる重みは、ルナが俺に身体を預けているからだと、確認もしていないのにわかるほどの毎朝のお決まり。
そして、彼女はもうとっくに起きているはずなのに、起こすわけでもなく、ずっと俺を見つめていることも最近のお決まり。
最近はずっと俺の部屋に入り浸り、もはや自分の部屋のように過ごしている。結果、俺の部屋はどんどん汚くなり、反比例するようにルナの部屋は綺麗になっていく。
掃除しても掃除しても、お菓子を中途半端に残しては部屋に置き、漫画は元に戻さず放り投げる。それを毎回掃除し、小言を言うもどこ吹く風。
もういっそのこと自分の部屋は放棄して、ルナの部屋に変えようかなとも思ったが、それはそれで負けた感じがするので嫌だ。
シングルベッドに二人で寝るのは狭いので、せめて寝るのは自分の部屋でお願いしたのに……。
鼻に感じる微かな柔らかさと、甘い匂い。いつもとは違う感触に思わず瞼を開いた。
ルナの顔が想像以上に近いところにあった。オッドアイの瞳がじっと俺を見つめ、視線がぶつかる。
「おはよう、隆史」
「……おはよう、今鼻になにかした? 柔らかい物が当たったような」
「……いや、なにもしていないぞ」
白々しい態度と言葉に嘘だなと直感的にわかった。しかし、追及してもはぐらかされるだけとわかっているので、あえて問い詰めたりしない。
「はい」
差し出される猫耳。差し出されるというよりも押し付けられるのに近い。グリグリと頬に猫耳が食い込み、なにをして欲しいかがわかった。これを無視し続けると頬を頭突きされるので、仕方なく要求通りにしてあげる。
「……ハム」
「んんっ……」
ルナの身体が軽く痙攣した。
猫耳を甘噛みされるのが癖になったのか、寝る前と起きた直後にしてやるのもお決まりになっている。
「ハムハム」
「ひゃあぁぁ……」
気持ちいいのか、唇で挟んであげるたびにぶるっと身体を震わせ、か細い声がこぼれた。
「ハムハム……なあ、次は猫吸いさせてくれよ」
「ん……それは、いや」
甘噛みは要求してくるのに、吸おうとすると断固して拒否してくる。ハムハムするのも気持ちいいけど、猫吸いもまたしたいのに……。
うーん、こうなったら実力行使するしかないな。
甘噛みするのをやめて、ぎゅっとルナの小さな身体を抱きしめる。
「ち、ちょっと、隆史……っ!?」
困惑する言葉を無視して、頭頂部に鼻先を押し当てる。
行ったり来たり行ったり来たり、頭は決してギコギコしません。鼻先は押し当てるだけ、一度鼻を押し当てたなら……。
「すーーーーーーー!」
「や……っ!」
腕の中では抵抗しようと軽く暴れているが、上手く力が入らないのか、いつものような圧倒的な力は感じられない。
うーん、やっぱり猫吸いは気持ちいい。たぶん、本来の猫吸いとは違う匂いだと思うが、それでも甘い匂いが脳を刺激し、麻薬のような中毒性が感じられる。
もう一度、肺に一杯吸い込むために、身体中の空気を吐き出し、ロナウドのように……。
「すぅぅぅうううう!!」
「ふぁあぁぁ……」
うーん、マーベラス……。
この世にこれほど気持ちいいものがあるとは知らなかった。ずっと吸っていたくなる。なんならこの匂いに包まれて死んでもいいくらい気持ちがいい。
そのあとも、満足するまで猫吸いをさせてもらった。
※ ※ ※
リビングでは満足気な顔をした俺と、不機嫌な顔したルナが肩を並べながら朝食をとる。
ちなみに今日は休日なのだが、希さんは仕事なので、朝食を作り一緒に食事を取っていた。
向かいに座る希さんが、俺たちのようすを見て、なぜかクスクスと笑っている。
「今日のルナちゃんは不機嫌なのね」
「隆史に、エッチなことされた……」
「あら駄目よ隆史君。エッチなことしたいのはわかるけど、無理矢理しちゃ」
少し真面目な顔をした希さんが、咎める口調で俺を叱責した。
「ひ、人聞きの悪いことを言うな! エッチなことなんてしてないだろうが!」
「私はいやだって言ったのに、隆史が何度も何度もエッチなことしてきた」
「隆史君~。男の子だからエッチなことしたいのはわかるけど、それでも相手が嫌がったらやめてあげなきゃいけないでしょ」
「してませんってー!」
猫吸いってエッチなことじゃないよな……?
ちょっと髪の毛に顔を埋めて匂いを嗅ぐってエッチなことじゃないはず……。
「ルナちゃんは優しくエッチなことして欲しいんだもんね」
「うん、優しいのが好きだ。あんな強引にされると、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうになる……」
そこでポッと顔を赤らめるなー! 余計に勘違いされるだろうがー!!
「あらあらまあまあ。朝からお盛んなことはいいけど、食事中にはやめてほしいかな。それと隆史君、次に強引にエッチなことしたら本当に怒るからね?」
「……はい」
エッチなことはしてないけど、確かに強引に吸ったのは間違いないので甘んじてお説教は受けよう。
「ルナちゃんは、なにか隆史君にお詫びしてもらわなきゃね」
「お詫び……?」
「うん。隆史君には、ルナちゃんがしてほしいことしてもらおう」
「隆史が私になんでもしてくれるのか……?」
「なんでも好きなこと要求していいのよ。買ってほしい物とか、してもらいたいこととか」
「……なんでも」
俺は一言も喋っていないのに、次々と物事が決まっていく。もちろん俺に拒否権なんてない。希さんが白と言えば、黒であってもそれは白になってしまうくらい絶対的だからだ。
なんだろう、なにを要求されるんだろう。顔の原型が留められないくらい殴らせろとか言われたらどうしよう。それか両手足をロープで縛られて、千切れるまで引っ張られる八つ裂きの刑か?
様々な拷問を考えたが、ルナが要求したのは想像の斜め上の内容だった。
「……で、デートがしたい」
「あらあらまあまあ。いいわね、せっかく仲良くなったのにデートを一回もしていないのは寂しいわよね」
「デートというのは仲の良い男女がするって聞いたから、隆史としてみたい……」
「うんうん。ラブラブな二人がデートしたら、もっと距離が縮まるしもっとラブラブになるわよ」
「えへへ、もっとラブラブ……」
デートという単語に、思わず顔をしかめたくなった。顔に出ないように必死にトーストに齧りつき、お茶を飲みながら誤魔化す。
別にルナと出かけるのは嫌じゃないんだが、妹みたいに思っている相手からデートって言われてもな……。
「今日は二人とも学校休みなんだし、天気もいいからデートに行って来たら?」
特別今日はなにもないし、ルナと遊んで過ごすのも悪くないかな。
了承しようとしたのに。
「今日じゃなくて、明日がいい」
なのに、デートをしたいと言った本人が明日がいいと言ってきた。
今日は土曜日なので、明日は日曜日だから、一応遊びに出かけることはできるのだが……。
「別に今日でよくないか?」
「色々と準備とか相談がしたい……」
「クスクス……そうよね、どこ遊びに行くかとか計画したいもんね。隆史君に任せると適当なところに連れていかれそうだし」
適当なところって……まあ、男女で遊べるところとか全然知らないし。そのまえに、誰かと遊びに行った経験自体無いから、どこに行けばいいとか知らないけど。
「明日は楽しみね、ルナちゃん」
「うん、楽しみだ」
なにを準備するのか知らないが、希さんとルナは通じ合ってるようで楽しそうに会話していた。
そのあとは、誰に相談しに行ったかは教えてくれなかったが、ルナは出かけてしまう。まあ十中八九、莉子たちに相談しに行ったんだろうな。




