10話 どっちが美味しかった?
家の中ではこんなにベッタリなくせに、外ではベッタリどころか触れることすら、話すことさえもあまりしなくなった。
登校は同じ家なのでさすがに一緒にしているが、校舎に入ると他人のように俺と接してくる。隣で机に鞄を置いたルナが、真っ先に莉子たちの元へと向かった。前までなら俺の手を引っ張って、無理矢理彼女たちのところに連れていったのに。
希さんは俺たちを見てラブラブと形容したが、これのどこがラブラブなのか。
ルナの考えていることがよくわからない。
その日の休み時間、学校にこっそりお菓子持って来ていた紬が、ポリポリとポッキーを齧っていた。
「美味そうなの食ってるな、俺にも一つくれよ」
「いいよ、はい」
差し出された一本のポッキー。チョコレートがコーティングされていない部分は紬が摘まんでいるので、仕方なくそのままポッキーに齧りついた。そのまま口に咥えながら離れる。
「久しぶりに食ったけど、美味いな」
「それ口止め料ね。あと、共犯ね。バレたらあんたも道連れだから」
素直にくれるなとは思ったけど、狡猾な考えをしていた。
「もう一本くれよ。さっきの口止め料で、これは共犯料ってことで」
「えー、もうしょうがないな。はい、あーん」
さっきとは違い、口に押し込められる形でポッキーを咥えさせられた。
うん、やっぱり美味い。リスのように先端からポリポリと食べていく。
「……イデデデデッ!」
脇腹に強烈な痛みが走った。音もなく現れたルナが俺の脇腹を抓っていた。
「こら、なにするんだよ!」
「…………」
半目で睨むように強い視線を送るだけで、彼女は何も答えない。俺を虐めるだけ虐めてそのまま立ち去ってしまった。
「……なんだったんだ」
「鈍いなー、隆史は。あれだけで怒っちゃうルナっちも、ちょっと恐ろしいけど」
なぜルナが怒っていたかの理由を紬は察していたみたいだが、聞いても教えてくれなかった。
もしかしたらポッキーを学校で食べたことに対して怒ったのかもしれない。
でも、そんなクラス委員長みたいなことをするようなやつだったか?
「あ、紬ちゃんポッキー食べてる。私にもちょうだい」
「いいよ。あ、岡田っちにもあげるね」
「あ、ありがとうございます……」
莉子と岡田の口にもそれぞれポッキーを咥えさせていく。それなのにルナは脇腹を抓らない。
紬は彼女たちにも同じことをしている。なのに、どうして俺だけ怒られたんだ。
しかし、ルナの奇行はこれだけではなかった。
※ ※ ※
授業が終わり、教室には莉子たちしかいなかった。彼女たちは会話に花を咲かせているようで、どうやらまだ帰らないようだ。
俺は鞄を引っ掴み、一人で帰ろうと立ち上がったとき。
「みんなにクッキー焼いてきたんだ。食べて食べて」
莉子が鞄から取り出したのは、透明な袋に入った綺麗にラッピングされているクッキー。リボンの形といい、袋の素材といい、ルナが食べさせてくれたのと同じのだ。
違うところは、ルナのは形が歪だったが、莉子のは形が綺麗なこと。それを三つ分取り出し、それぞれに配っていく。
俺もちょっと小腹が空いたし、一つ貰おうかな。
「莉子、俺の分はないのか?」
「え……あー、ごめんね。隆史君の分は作って来てないんだ」
まじか、なんかスネ夫に意地悪されているのび太の気持ちだ。
「紬のを少し分けてくれよ」
「え、ダメダメ。これは私のだから、隆史は大人しく帰ってなよ」
「……わかったよ。大人しく帰ってるよ」
「そうそう。お腹が空いたなら、買い食いでもしてきなよ」
「……隙あり!」
「あっ!?」
隙をついて紬の持っているクッキーをつまみ食いした。
うん、美味い。
「…………」
ただクッキーを頂戴しただけなのに、なんだこの重たい空気は。そんなに俺がクッキーを食べたことは悪いことなのか?
「……隆史」
盗み食いしたことで、ルナにまた抓られるのかと思って少し身構えたが、どうやら違った。
「そのクッキーと私が作ったクッキー、どっちが美味しかった?」
「…………」
なにその質問。
こんなのどっちが美味しいかなんて答えたら、どっちかに角が立つじゃないか。
なので、もちろん俺が答えられるのは一つしかない。
「どっちも美味しかったよ」
こう答えるしかなかった。
「…………」
なのに、なんでそんな泣きそうな顔をするんだよ。だって、こう答えるしかなくないか。それに嘘でもないし、莉子のクッキーもルナのクッキーも美味しかった。だから俺は嘘偽りなく答えたのに。
「……ばか」
それだけの言葉を呟いて、去って行ってしまった。
ルナの反応からして、俺は答え方を間違えてしまったようだ。
「あーあ、だから隆史には食べさせたくなかったのに」
「なんだよ、どういうことなんだよ」
「ルナさんは……宇上くんのために……一生懸命、クッキーを作ってました。だから……自分のほうが、美味しいって……言ってほしかったんです……」
「それは、無理じゃないか? だってクッキー作りは莉子に教えてもらったんだろう、だったら莉子のほうが美味しいに決まってるし。俺的には最大限気を遣って両方美味しいって言ったのに」
「そうなんだけど、そこは美味しいって言ってあげなよ」
「隆史君。今度は私に気を遣わなくていいから、ルナちゃんのが美味しいって言ってあげて」
なんだよ、まるで俺が悪いみたいに責め立ててくるじゃないか。
居た堪れなくなって、俺もその場を後にした。
※ ※ ※
家に帰ると、先に帰っていたルナがなにやらメモ用紙を必死に見つめていた。
「なに見てるんだ?」
「……なんでもない」
「今日は悪かったな。ルナのクッキーも美味しかったぞ」
なにを不機嫌になっているかわからないが、宥めようと頭を撫でてあげようとした手を払われた。
うーん、ルナの機嫌が治るまで、今日はどうやら放っておいた方がいいかもな。
けど、キッチンから聞こえてくる奇妙な音が、俺を大人しくさせてはくれなかった。ルナがキッチンに立って、なにか作業をしている。そのせいでご飯の準備ができなくて困っているのだが、近くに行くと睨まれるのでなにもできずにいた。
「ルナ、なにを作ってるかはわからないが手伝おうか?」
「いらない」
手伝おうと申しても素っ気ない返事しかない。
しょうがない、終わるまで待っていよう。
リビングまで届く甘い匂い。たぶん、ルナはクッキーを作ってるのだろう。俺を見返そうとして、一生懸命お菓子作りを始めたのはわかったが……。
ギュィーンとかズガガガガってお菓子作ってて聞こえてくるか? お菓子作りじゃなくて、機械でも作ってそうな音が鳴り響いてるんだけど。
そろそろご飯を作らないとまずい時間になってきた。ルナがキッチンを占領してから一時間以上、そのあいだなにも準備ができていない。せめてご飯を炊くだけでもやらせてはくれないだろうか。
「できた! 隆史、食べて食べて!」
ウッキウキでお皿に乗ったお菓子を持って来る。
出来立てなのか、少し熱の籠ったクッキー。それを食べると、甘くて上品な味が口に広がり、以前に比べて数段上手くなっているのが感じられた。
「美味しいよ、ルナの作ったクッキーはいつ食べても美味しい。俺以外に食べてほしくないくらい美味しいよ」
「えへ、えへへ……」
よし、来い! あの質問よ、来い! 今度こそ言ってやるから、ルナの作ったクッキーの方が美味しいって言ってやるから!
待っている間もずっと頭の中で反芻していた言葉。もう反射的に答えられるんじゃないかと思うほど、繰り返したはずなのに、いつまで経ってもあの質問は来ない。
だらしなく微笑むだけで、俺の反応にもう満足したのか、自分で作ったクッキーを俺と一緒に食べている。
もうほんとこいつの考えてることがわからない……。
「じゃあ、ご飯の準備をするか。そのまえに……」
「そのまえに?」
「一緒にキッチンを片付けような」
お菓子作りでぐっちゃぐちゃになったキッチン。まずはこれを掃除しないと。




