2話 嫌われてるかもしれない
体育祭以降、ルナとはあまり一緒に帰らなくなった。彼女は莉子たちと遊ぶようになり、下校は一人で帰ることに。欲しかったお一人様の時間も、こうなってくると寂しく感じる。
いつものようにスーパーに立ち寄り、献立考えながら食品コーナーを漁っていく。
今日はなにを作ろうかな……。
ズボンのポケットに入れられてあるスマホが震え、確認すると、希さんからのメッセージが届いていた。内容は、今日は早めに帰れるとのこと。このメッセージが届いたときは、一緒にご飯を食べられるから、自分の分のご飯もお願いという意味が込められている。
久しぶりに三人で食べられる気がする。胸が高鳴るのを抑えつつ、改めて食材を吟味していく。
目に入ったのはピーマン。以前ルナに食べさせたら、毒が入ってると騒ぎ、全然口にしてくれなかった。身体に良いので食べさせたいが、たぶん、このままだと食べてくれないだろう。なにかしら工夫して食べさせないと。
「うーん……」
顎に手を添え考えた。
ようはピーマンの苦味が駄目なんだと思う。ということは、その苦味を消してあげれば、ルナも食べてくれるはず。ピーマンの味や苦味をなにかの味で上書きしてあげればいいのだ。
かごに入った卵が目に入った。
……あ、オムライスにしよう。ご飯はチキンライスにするから、ピーマンの味や苦味を上手く誤魔化してくれるはず。
そうと決まれば、後は玉ねぎと鶏肉だな。ケチャップってまだ残ってたっけ? 一応買っておくか。これでケチャップが無かったら、ルナにピーマンを食べさせる作戦が台無しになってしまうからな。
三人分の食材を買い込み、家路を辿る。
※ ※ ※
「ただいまー」
玄関を開けて声をかけてみる。返ってくる声はなく、しんと静まり返っていた。ルナが先に帰っていたら、おかえりと返事がするのだが、たぶん、まだ莉子たちと遊んでいるのだろう。
買ってきた食材を冷蔵庫に入れ、ご飯を研いで予約炊きしておく。
次はお風呂を洗ってしまおう。
部屋着に着替え、服の袖と裾を捲りお風呂を洗った。中腰になりながら、浴槽を隅々までスポンジでごしごしと拭いていく。これが意外としんどい。しかも俺は浴槽に浸からない。いつもシャワーで済ませるので、自分のためではなく、ルナと希さんのために洗っている。
シャワーでさっと泡や汚れを落とし、終わったころに服を脱いで、ついでに自分の身体も洗っておく。
身体を洗い終わった後は、少し休憩時間。リビングでゆっくりと見たくもないテレビを流し見しつつ、時間が流れるのを待った。
「ただいまー」
ルナの声が玄関から聞こえてきた。
おかえりー、と声をかけながら迎えに行くと、彼女はなぜかソワソワしながら俺とは視線を合わせず、そのまま二階に向かい自室に入っていった。
うーん、まだちょっとギクシャクしてるな……なにが彼女の機嫌を損ねたのかわからないので、謝ろうにも謝れないし、どうしたらいいのか。
そのあとも、テレビをぼーっと見ていると、ご飯を作る時間になった。
……あ、タオル忘れた。手が濡れたときや、汚れたときのタオル準備してなかった。
洗面所に入ると、そこには先客がいた。
銀髪の髪を濡らし、みずみずしい肌を曝け出している。ちょうど髪を拭いていたのか、タオルを頭に乗せ、その隙間からオッドアイの瞳を向けていた。
「……あ、ああ……あわわわわ……」
タオル、タオル、と。
洗面所に入り、タオルを取ろうと手を伸ばしたとき。
「い……いやぁ……っ」
ルナが背中を向けしゃがみ込み始めた。腕で胸を隠し、身体を縮こまらせるようすは、まるで見られるのが恥ずかしくしているように見えた。
今までに何回もこんな風に鉢合わせたことはある。今までのルナなら気にすることもなく、俺も気にしたことはなかった。しかし、今のルナは全くの正反対の態度を取っている。
「す、すまない隆史……で、出て行って、欲しい……」
震える声で、震える身体で、精一杯の勇気を振り絞るようにそう呟いた。
「あ、ああ……」
ルナの急激な変化に、思わず頭が真っ白になる。
早く出て行かないと……でもタオルは欲しいので、それは取らないと。
引っ掴むようにタオルを手繰り寄せ、慌てて洗面所から出て行った。
「…………」
リビングで頭を抱える。今までのことを思い返すと、ある一点のことが頭をよぎった。それはルナの急激な変化に説明がつき、そして俺をどん底に陥れる。
俺は……ルナに嫌われてるかもしれない。
下着を洗われたくない、身体を見られるのがいやになった。つまりそういうことだ。
……なんてことだ、全然心当たりがない。
とりあえず謝っておくか? わけもわからないけど謝っておく? こんな気まずくなったまま、一緒に暮らすのはいやだから土下座しておく?
「……隆史」
背中に降り注ぐルナの声。
よし、とりあず開口一番謝っておこう。よくわからないけど、謝ろう!
「……さっきは……って、おいっ!」
振り返り、真っ先に謝ろうとしたが、ルナの着ている服を見て思わず突っ込んでしまった。彼女はなにを思ったか、俺の服を着ていた。それは制服の下に着ていたシャツ。一日中学校で着ていた、俺の匂いが染み付いた。
ルナの体格に合っておらず、ぶかぶかになったシャツを着ながら、なぜかご満悦の顔をしている。
「それ俺のシャツだろ、なんで着てるんだよ!」
「うん、借りるぞ」
「だめだめ、さっさと脱げよ!」
「……い、いやだ。このシャツを部屋着にする」
「サイズ、全然合ってないじゃん。そんなぶかぶかになったのを着るより、自分のシャツを着ろよ」
「このぶかぶかがいいの。着ていると落ち着く」
「……わかった。俺のシャツを着るのは百歩譲って許すけど、それはだめ。汚いから、洗ってあるシャツを渡すからそっちを着ろ」
「……これがいい。これが着たい」
シャツを取られまいと、守るように身体をぎゅっと抱きしめる。
ち、ちょっと、ほんとにやめてほしい……そんな匂いが染み付いたシャツを着られるのは、俺が恥ずかしいというか、それを着られているのを見るのも嫌なんだけど。
「…………」
「…………」
二人の視線が交差する、ように見えてしなかった。
勝手に着て申し訳ないのか、ルナはちらちらと俺の様子を窺い、俺はどうやって脱がそうかと目線を床に這わせ画策する。
ついに耐えきれなかったのか、彼女が逃げるようにリビングから出て行ってしまった。俺はシャツを脱がす手立てを思い付かず、無情にも逃がしてしまう。
……しかも、謝るのも忘れてた。
ルナの変化に思わず嘆息する。
これが年頃の娘を持った父親の心境なのか。女の子はよくわからん。
※ ※ ※
「うわー、ふわふわトロトロ! すっごい美味しいね!」
希さんの無理にテンションが上がった感嘆の声が虚しくリビングに響く。
仕事から帰ってきた希さんのために夕飯を用意し、それぞれが席に着いたが、俺たちのようすから喧嘩したのかと一瞬戸惑いを見せた。場を明るくさせようと、空気を読んでくれるのはありがたいのだが。
俺とルナはそんな明るい声に乗ることなく、まるで牽制しあうように、お互いに視線をチラチラと交わし、口を開くけどそこから言葉は紡ぎだされず、気まずい空気が流れた。そんな重くなった場の空気を和ませようと、希さんの口が普段より滑らかに動く。
「ね、ね、ルナちゃん。このオムライス美味しよね!」
「……うん、美味しい。けど、毒が入ってる」
「…………」
ピーマン入れてるのバレてる。
「そ、そうだ。明日、みんなでご飯食べに行きましょ! 明日も早く帰れそうだから、外食しに!」
「外食ですか?」
「そ、外食。久しぶりだよね、外食するの。隆史君も普段は家事で忙しいし、たまには楽をしないと」
外食か……久しぶりだな、希さんと食べに行くの。
「いいですね、行きましょう。ルナは明日なにもないよな?」
「うん、なにもない。希、行くならまぐろとか、牛乳があるところに行きたい」
「クスクス……はいはい、探しておくね。隆史君はなにか食べたいのある?」
「俺は特にないので、合わせますよ」
久しぶりの家族で出かけるイベントに思わず頬が緩んでしまう。
「そういえば、ルナちゃんが着ている服って隆史君のじゃない?」
「そ、そうなんですよ希さん。ルナったら勝手に俺の服を着て、なんとか言ってくださいよ」
「……これが着たい。隆史の着ていたのがいい」
「……あらあらまあまあ、ルナちゃんは隆史君が身につけていたのを着たいのね」
あらあらまあまあじゃないんですよ。なにを納得してるかわからないけど、希さんはクスクス笑うだけ。しっかり叱ってくれるものとばかり思っていたのに、矛先は俺に飛んできた。
「ルナちゃんはこれが着たいって言うなら、貸してあげなきゃ」
「……え」
「ね、隆史君は貸してあげるわよね?」
「……はい」
味方だと思っていた人は実は敵でした。希さんにそう言われたら、俺としては断れないので首を縦に振るしかない。上からの命令には従わなきゃ。
ははは、犬と呼んでください。
「……ん?」
ルナの皿を見ると、端っこの方にかき集められた緑の物体があった。それは食べやすいように細かく刻んだピーマンたち。
「こら、ピーマンだけ残すな。ちゃんと食べろ」
「これは毒だから食べると死んじゃう」
「苦味は毒じゃないから。ピーマンは身体に良いんだから食べなさい」
「苦いのは嫌いだ……」
「チキンライスと一緒に食べたら苦くないから。ほら、口を開けろって」
端っこに除けられたピーマンをスプーンで掬い上げ、チキンライスと混ぜ、ルナの口元に運んであげる。
最初はいやいやと首を横に振るが、頑なに突き出されたスプーンに根負けし、眉間に皺を寄せながら仕方なく口の中に入れる。
「……美味しい。苦くない」
「ほら、美味しいだろ。もっと食べてみろって」
「うん、食べる。あーん……」
それからもルナの口元にスプーンを運んで食べさせあげた。
気付けばさっきまでの重たい空気はどこにやら、いつもと変わらない和やかな空気がリビングを包んだ。




