1話 もう少し女心をわかってあげてね
体育祭で怪我をし、ルナの補助をしてあげながらの生活。
なるべく足を使わないように、おんぶしてあげたり物を取ってあげたり、甲斐甲斐しく世話をしてあげた。
そしてその補助生活も、ようやく終わりが迎える。
松葉杖を保健の先生に返し、元通りの生活に。
そして、お役目御免とばかりに、ルナは俺から離れて行った。あれだけ家でも外でもべったりだった彼女が、外では寄り付かなくなる。
ルナの態度が一変したのだ。
「……隆史も、一緒に食べるのか?」
とある日の、学校での昼休み時間。ご飯を食べようとしていたときのこと。
ルナの一言にみんなが言葉を失う。その中には体育祭がきっかけで仲良くなった岡田も混じっていた。
「え、ルナちゃんどうしたの? 隆史君とも一緒に食べようよ」
「隆史は……一緒に食べてほしくない」
苦しそうにそう呟くルナに、みんなの表情が困惑した。
なぜそんなことを言い出したのか、喧嘩しているのか。俺とルナの顔を見比べて、どうすればいいのかと戸惑っている。
「えっと、隆史はルナっちと喧嘩中、かな?」
「いや、そんなことはないけど……ルナは俺と食べるの嫌なのか?」
「い、いやじゃない……隆史とも一緒に食べたい」
じゃあなんで俺とは食べたくないなんて言うんだ。
俺と食べたいけど一緒には食べたくないなんて、矛盾している発言にどうすればいいのかわからなかった。
「でも、隆史は一緒に食べてほしくない……莉子たちと」
その一言で、みんなの困惑がより一層深くなる。
俺とルナが喧嘩していると思いきや、いきなり矛先が自分たちに向けられてしまったのだから。
「えっと、私たちが隆史君と食べてほしくないってこと?」
「う、うん……隆史と莉子たちがご飯を食べてると、なんかよくわからないけど、嫌なんだ……」
俺と莉子たちが一緒に食べるのがいや?
よくわからないけど、この落ち着かない雰囲気に居た堪れなくなる。喧嘩をしているわけではないけど、それでもこのままここに腰を据えるほどの度胸はない。
空気を読んで立ち去ろうと、腰を上げようとしたとき。
「……でも、私は隆史とも莉子ともご飯を食べたい」
「う~ん、そっか……」
「す、すまない……忘れてくれ、私も自分でなにを言ってるのかわからない……隆史も一緒に食べよう」
と、そんなことがあったり。
廊下でたまたまバッタリ会った白鳥に対していきなり。
「小鳥遊は、映画は好きか?」
「あら、ルナさん。いきなりですわね。ええ、映画は好きですわ。特に海の上のピアニスト、レ・ミゼラブルなど何回も見ましたわ。あとは……」
「そこまで聞いてない。そ、その……隆史も映画が好きなんだが……」
「あら、宇上さんも映画がお好きなんですね」
「嫌いではないかな」
白鳥が上げた映画のタイトル的に、俺とは気が合いそうもないけど。
「隆史の家で……いや、やっぱりなんでもない」
「……? 家で、どうかしました?」
「なんでもない、忘れてくれ」
と、ただただ白鳥を困らせる質問だけして、ルナはその場を後にした。
そんな彼女に慌てて追いかけ、さっきの質問の真意を問い質しても。
「なんでもない」
と一蹴するのみ。ルナの考えていることが、まるでよくわかなかった。
※ ※ ※
外ではこんな風に近づかれるのを嫌がり、よくわからない発言を繰り返す。
家の中でもその奇怪な行動や発言が続き、俺を困らせた。
いつものように休日に洗濯しようとしていたときのこと。
「ルナ―! 洗濯物全部出したかー!?」
「…………」
「ルナ―!! 全部出したのかって聞いてるんだけどー!?」
「……うん。出した出した」
相変わらずの生返事。これは絶対に出してないし、部屋の中が悲惨なことになっているに違いない。
ルナの部屋に入り、下着やら衣服やらかき集めて、洗面所に向かい、洗濯をしようとした。
俺の右手に掲げられているのは、ルナの胸を守るチェストガードこと下着。その大きなブラジャーを舐めまわすように見ながら、人体の神秘について考える。
うーん、なんて大きさなんだ。ブラジャーだけでこんなに重いなら、さぞや本物はもっと重いんだろうな……。
などと、考えに耽っていると、目の前でブラジャーが忽然と消えてしまった。
「……え」
ブ、ブラジャーが神隠しにあってしまった! スケベな神様が下着欲しさにルナのブラジャーを取っていったんだ!
そんなことがあるはずがなく、いつのまにそこにいたのか、ルナが洗面所の入り口で荒い呼吸を繰り返し、さきほど俺が持っていたブラジャーを握りしめていた。
俺から奪った下着を胸に抱き、取られまいとしているのか、隠すようにしている。
「はあはあ……こ、これはいい。これはまだ着る前のだから、洗わなくて大丈夫!」
「あ、そうなんだ」
じゃあ別の下着を洗おうと、抱えたかごの中に入っている別の下着を手に持ち、洗濯機に入れようとしたとき。
「……あれ」
またもや下着が神隠しにあってしまった。
「こ、これもいい! これもまだ着る前だから!」
見られたら困るのか、またもや下着を奪い、背中で隠すようにしている。
それも着る前なの? じゃあ部屋に放り散らかすなよと言おうとしたが、逃げるように出て行ったルナになにも言えなかった。
※ ※ ※
そしてその日の夜。トイレに行こうと一階に下りていると、洗面所の方から希さんとルナの会話が漏れ聞こえた。
「希、洗濯機の使い方を教えてくれないか?」
「洗濯機の? もちろん教えるけど、洗濯物なら隆史君に頼めばやってくれるわよ?」
「そ、その……下着は、洗ってほしくない……」
「……あらあら、まあまあ」
なにがおかしいのか、希さんがクスクスと笑っている。
「そっか、ルナちゃんもお年頃なのね。そうよね、隆史君に洗われるのいやよね。じゃあ、使い方教えてあげるわね」
「うん、ありがとう」
洗濯機の使い方を丁寧に教えてあげる希さんの声を聞きながら、俺は一抹の寂しさを覚えた。
二人の会話で俺にもようやくわかった。
ルナは成長したのだ。それはつまり、親離れしたということ。
お父さんのと一緒に洗濯しないで!
ルナの心の声が聞こえる。臭いから、匂いが移るから、そんなことを言うようになったのか……。
これが娘を持った父親の心境なんだな。俺の子供ってわけじゃなけど、こんな寂しい気持ちになるのか。
いや、これは喜ぶべきこと。なんせルナは成長したんだから。
けど、一つ忠告しておいてやらないと。下着をこれからは本人に任せるのはいいけど、干す場所だ。不用心に外で干したりなんかすると、変態がやってきてしまう。それは危険なので、ルナに言っておかないと。
少し早歩きで洗面所に向かい声をかけると、二人は目を大きく見開き驚く。特に下着を持っていたルナなんか、それをさっと背中に隠して、泣きそうな表情をしていた。
「ルナルナ、干す場所なんだけどな」
「た、隆史、聞いていたのか!?」
「聞いていたっていうか聞こえちゃったんだけど。それでな、干す場所を気をつけなくちゃいけなくて……」
「……ぅ……ぐす……」
そこで今度は俺がぎょっとしてしまった。ルナが大粒の涙を流し始めたから。
今までに見たこともないルナの表情。体育祭で悔しくて泣いていたのとは違う、まるでか弱い少女のように泣いている彼女に思わず言葉を失う。
希さんが、ルナをそっと抱きしめる。まるで娘を守るように、慈しみに満ちた安心させる表情を浮かべて。そして、そんな娘を傷付けた男に対しては、殺気のこもった目を向ける。
「……隆史君は、もう少し女心をわかってあげてね。早くここから出て行って」
「……はい」
呆然としてしまい、言われるままに洗面所から出た。トイレに行きたかったが、このまま一階に居続けるのは心苦しいので、自室に引きこもることに。
これが最近のルナが変わった出来事。彼女がなにを考えているか、まるでわからない。




