22話 体育祭、本番
そして、体育祭当日。待ちに待ったリレー競技。グラウンドには全校生徒が集まり、賑わいを見せていた。
午前の競技はつつがなく終了し、応援団のダンスを終え、花形のリレー競技が始まる前から、生徒たちのテンションは最高潮に達しようとしていた。ちなみに俺の競技は午前で終了、特になにもなかった。
そんな最高潮に盛り上がっている生徒たちをよそに、ルナたちは静かに闘志を燃やしていた。
「……みんな、あたしたちは絶対に勝てるわよ。この一ヵ月、誰よりも練習をしてきたんだから、自分とルナっちを信じて、精一杯走ろう!」
紬の発破をかけた言葉に、みんなが黙って頷いた。しかし、そんな紬の言葉に一人だけ頷かなかった人物がいた。
「莉子。震えているけど、大丈夫?」
「……えっ!? ごめん、聞いてなかった……紬ちゃん、もう一回言ってもらっていい?」
「……ううん、なんでもない」
緊張のためか、莉子は微かに震えていた。
彼女にとって、慣れない大舞台。今まで練習を積み重ねてきたものを発揮する場面。緊張しないほうがおかしいのかもしれない。
「莉子、大丈夫だ、私が勝たせてやる、なんてもう言えない。莉子なら走れると信じてるなんて無責任なことも言わない。だけど、私のために走ってくれ。ちゃんと走れない私のために走ってくれ」
「ルナちゃん……うん、私はルナちゃんのために精一杯走るから」
すぅっと、肩の荷が下りるように莉子の震えが止まった。代わりに、彼女の瞳には決意のようなものが宿ったような気がする。
「それにしても、岡田っちは全然緊張してないね」
「私は……大会とか……出たことが、あるので……慣れて、ます……」
「石田が変わらずなら安心だ」
「ルナちゃん……岡田です……」
俺たちが静かに闘志を燃やしている最中、それを遮るように声をかけられた。
「本当に出るんですのね」
「小鳥遊……」
やってきたのは、陽光に反射する金髪の光が、その自信を表すかのようにキラキラと輝かせる白鳥だ。
まるでこちらを憐れむように、その瞳には同情にも似た哀しみが見える。
「その怪我した足でまともに走ることができるんですの?」
「もちろん、走れるぞ」
「そう、ならわたくしは一切手加減せずに済みそうですわね」
「なに、敵情視察? 陸上部のエースのくせに意外と余裕がないのね」
紬の挑発する言葉にも意に介さず、白鳥は言葉を続けた。
「相手が同じレベルで敵情視察が役立ちます。けれど、こんな格下相手にするはずがありませんわ。いわば降伏勧告に来ましたの」
「……格下相手に対して怪我させるなんて、容赦ないわね」
「あれは……本当に申し訳ありません。今日は絶対にそんな卑怯なことはしませんわ」
「そうであってほしいものね」
「最後に確認しますわ……ルナさん、あなたは本当にこれから走るのですか?」
最後通牒といわんばかりに、強い口調で白鳥が言い放った。それは出場するなら容赦しないということ、情けなど一切かけないという思いが伝わる。
それでも、ルナはいつもと変わらず、逡巡することなく返す。
「ああ、私は出る。小鳥遊に勝ってみせる」
「……そうですか。それでは、わたくしも全力で挑みます」
踵を返して、白鳥はルナたちから離れていく。背中からでも伝わる白鳥の闘志。その両肩に圧し掛かる緊張やプレッシャーを跳ね除けてきた彼女にとって、素人集団など相手にもならないだろう。だからこそ、公開処刑にならないように優しさを伝えに来たのかもしれない。
……そろそろ時間だな。
トラックを取り囲むように全校生徒が集まる。聞こえてくる歓声や応援が、それだけリレー競技に注目を集めていることがわかった。
※ ※ ※
トップバッターは莉子からだ。
位置についた莉子からの額には、まだ走ってもいないにも関わらず汗を浮かせている。それだけの重圧を彼女は感じているのかもしれない。最初に練習をしたときのように、もし転んでしまえば、それはもう負けを意味する。
本来であれば、莉子には余裕を持って走ってもらう予定だった。どれだけ遅くても、最後にはルナが抜き去ってくれるはずだった。けど、今はそれができない。逆に余裕をもってルナにバトンを繋がなければ。
「莉子、頑張れー!」
紬の声援が聞こえる。緊張を解そうと声をかけたのかもしれない。しかし、集中して聞こえてないのか、彼女はずっと俯いている。
……大丈夫か?
一抹の不安がよぎった。気負いすぎていて、失敗してしまうのでないか。
傍らに立った体育委員が右腕を上げた。その手にはスターターピストルが握られている。引き金にかけられた人差し指に力が込められ、花火のような炸裂音がグラウンドに響いた。
不安は杞憂であった。
莉子はちゃんとスタートを切れた。一緒に走る生徒を置き去りにし、トップを独走する。
ルナの言葉を思い出す。
『大丈夫。莉子は弱くない』
本当にその通りだ。莉子は決して弱くない。
弱くはないが、如何せん運動神経が良くなったわけではない。確かにこの一ヵ月で速くはなった。あのぎこちない走り方が嘘のように、今では腕をちゃんと振り、胸を張って走っている。それでも、普通の人よりは速くなった程度。
一位をキープできてはいるが、最初に勝ち取った距離から、それ以上差を広げることができない。
それどころか徐々に差が縮まっているような気がする。
いや、これは……縮まっている。
莉子の足は遅くはなっていない。それでも背後から徐々に迫って来る走者。
「……っ!」
周りの声援が大きくなったことで、後ろから徐々に迫ってきてることに気付いたのか、莉子の表情に焦りが見えた。圧倒的な距離で引き離してルナにバトンを渡さないといけないのに、最初から引き離せないでは意味がない。それどころか二位になろうとしている。
莉子の顎が徐々に上がってきた。そして、徐々に落ちる速度。
今や、二位の走者がほぼ真後ろにまで接近していた。
目前に見える岡田にバトンを渡そうと、右手を伸ばした。
岡田は後ろを振り返らずに地面を蹴る。それは予定しなかったこと。岡田が機転を利かせて、臨機応変に走り出してくれた。バトンを受け取ろうと左手を背中に向かって置くように伸ばした。
バトンパスのとき、背後を振り返りながら受け取ると足が遅くなってしまう。そこで、背後を見ないでバトンパスをする練習を繰り返してきた。
「……えっ!?」
「あっ!」
付け焼き刃で練習したバトンパスが悪かった。莉子の伸ばした右手が、本番という、いつも以上に疲労が溜まる状況に耐えきれなかったのか、岡田の左手を捉えてはくれなかった。
ゆらゆらと揺れる右手。置かれた左手には、バトンはいつまで経っても渡されてこない。
一度はその左手に渡ったと思いきや、なぜかまた離れていく。
それをこの一瞬で何回も繰り返された。そして、痺れを切らした岡田が背後を振り返ってしまう。
バトンを莉子から受け取り、ようやく岡田の番が回ってきた。しかし、その間に莉子が稼いでいた距離は、今やスタートのときと変わらないほどに。
まずい、これでは負けてしまう。距離を稼ぐなんて話ではない。




