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18話 体育祭、一週間前(2)

「これは酷く足首を捻ったね」


 椅子に座らせたルナの足首を軽く見て、触診しながらぽつりと先生が呟いた。

 たぶんだが、最初に足を踏まれた段階ではそこまで酷くなかったように感じられる。しかし、そのあとの追撃が決め手になった。立ち上がろうとしたときに踏まれ、捻った足首をさらに痛めてしまった。


「先生、骨折とかしてないですか?」

「骨折まではしていない。けど、しばらくは安静だね。応急手当はするけど、病院に行った方がいい」

「……隆史」


 ルナが軽く首を振り、病院には行きたくないと暗に告げてきた。


「病院は……あとで行ってきます」

「早めに行った方が良いから、行くなら車を出すけど」

「いえ、大丈夫です。のぞ……親とも相談しないといけないので。あの、どのくらい安静にしたほうがいいですか?」

「二週間は絶対だね。あ、その間は松葉杖を貸してあげるよ」

「ありがとうございます……た、体育祭とかは無理ですよね?」

「当たり前のこと言うんじゃないよ。二週間は絶対安静って言ったよね。一週間後の体育祭なんて出れるわけないでしょうが」

「ですよね……」


 そりゃ、そうだよな。二週間は絶対安静って言われたんだから、体育祭なんて以ての外。けどそれじゃあ、体育祭は負けてしまうってことに……。

 先生がルナの足首に包帯を巻き、応急処置をしてくれた。真っ赤に腫れた足首を覆う布。それでも腫れた部分は明らかに盛り上がっていて、包帯でその現実を覆っても隠せずにいる。

 松葉杖を借りて、それに慣れないながら保健室から出る。


「ほんとうに病院行かなくていいのか?」

「……私は猫だから。もし異常が見つかった場合、どうなるかわからない」


 なるほど、だからか。

 もしレントゲンでも撮って、人間ではありえない仕組みを見つけてしまった場合、人体実験とか……まあ、ありえないかもしれないが、それでも色々と調べられる可能性がある。そしたらルナとは離れ離れだ。それは避けないと。


「ルナちゃん、大丈夫だった?」


 声の方に振り返ると、紬と莉子、岡田が立っていた。


「うん、大丈夫だ。なにも心配することはない、私はいつでも走れるぞ」


 ルナの変わらない表情、それを見てもみんなの表情は優れなかった。

 当たり前だ。あんな風に痛みに叫び、のたうち回っている姿を見て大丈夫なんて思えるわけない。その言葉が嘘であることなんて丸わかりだ。


「ルナさん、嘘ですよね……私、ソフトボールしてるから、わかるんです……あれは捻挫、してます……しかも結構重度の……」

「隆史、保健室の先生はなんて言ってたの?」

「……二週間は絶対安静だって」

「そんな……」


 莉子が絶望に打ちひしがれる。それはつまり、体育祭は負けということ……。


「……」


 気まずい空気が流れた。負けたくはない、あれだけ練習してきたんだから、それでも負けを認めるしかない。

 ルナがいるから陸上部にも勝てるかもしれない、という思いがあった。彼女がいるから白鳥に勝てる唯一の可能性が見えた。その可能性が今、潰れてしまったんだから。

 そしてそれは、グラウンドを無条件に明け渡せなければいけないということ……。


「し、仕方がないです……こうなってしまったのは……誰も悪くない……だから……負けを、認めましょう……グラウンドは、諦めます……」

「うん……悔しいけど、ルナっちが走れなくなったし、潔く負けを認めるしかないよね」

「そうだね……誰も悪くない。みんなは頑張ったけど、運が悪かっただけだから」


 仕方がない。悔しさのあまり顔を歪ませながら、それでも負けを認めるしかない。みんながそう思い、諦めようとしているのに、それでも諦めない人物がいた。


「まだ負けてはいない、私は走れると言っただろう。体育祭に勝てばいいんだ」

「……ルナっち、本気で言ってるの?」

「当たり前だ。私はいつでも本気だ」

「……っ!」


 変わらないルナの言葉。絶望的な状況にも関わらず、足首を痛めようとも、それでも彼女は自分は走れると。

 それが紬の逆鱗に触れてしまった。


「当たり前って、そんな足で勝てるわけないでしょ! 少しは考えてから言ってよ、どうやったら勝てるって言うの!」


 紬だって、本当は負けなんて認めたくないはず。それでも、ルナのためにも諦めようと言ってくれている。ここで無理をすれば、ルナの足は悪化するに決まっている。もしかしたら今後の人生にも悪影響を及ぼすかもしれない。だから、みんなは諦めようと言ってくれている。そんなみんなの優しさを蔑ろにするルナの態度が、紬にとっては許せなかったのかもしれない。


「自分がいれば勝てるって言ってたけど、そんな風に足首を痛めた状態でも勝てるっていうの!?」

「勝てる勝てないじゃない、勝つんだ」

「無理に決まってるでしょ! ルナっちは一人で走ってるの? 違うでしょ。みんなで走ってるんだから、みんなで協力しあうのがリレーでしょ。それなのにそんな状態で協力しあうなんてできないでしょ!」

「最初から言ってる、私がみんなを勝たせてみせると。例えどんなことがあっても、走ってみせるから」

「……なにそれ、最初から私たちなんかいらないってこと? じゃあ、もういいよ。一人で勝手に走っていればいいでしょ!!」


 肩を怒らせ、紬が足早に去って行ってしまった。


「紬ちゃん、ち、ちょっと待って……っ!」


 追いかけるように、莉子と岡田がその場から離れていく。あとに残された俺とルナの間には気まずい空気だけが残った。

 隣で松葉杖に支えながら辛うじて立っているルナの表情は、いつもと変わらず涼しい顔している。


「……ル」

「隆史、先に帰っている」


 声をかけよとしたのを遮られ、慣れない松葉杖に苦戦しながらルナもその場を後にする。

 これまで仲良かったみんながバラバラになっていく。今まで一人で過ごしてきた俺にとって、この状況は今まで味わったことのないもどかしさと、喪失感があった。

 ルナはまだ諦めないと言った。足首を痛めようとも、それでも自分は走れると。

 みんなだって諦めたくないはず。それでもルナを気遣って諦めようと言ってくれてた。ちょっとした優しさというボタンの掛け違いでおきたすれ違い。


「…………」


 俺はその掛け違えたボタンを直すことができるのだろうか。

 遅れて俺も教室に戻ろうと足を進めようとするのを背後の声が引き留めた。


「あの……ルナさんの足首は大丈夫でしたか?」


 引き留めたのは白鳥だった。彼女は体操服姿のまま、体育の授業が終わるとすっ飛んで来たのか、額に薄っすらと汗を浮かばせている。


「捻挫だって、歩くのも困難なほどの」

「……そうですか」


 まるで自分が傷付けてしまったかのように、申し訳なさそうに瞳を伏せる。


「うちの部員が、大変申し訳ありません」

「白鳥がやったわけじゃないし、謝らなくても……」

「いえ、彼女たちの責任はわたくしの責任です。謝らせてください」

「それならルナに謝ってあげてくれ」

「そうですわね、ルナさんにも謝りにいきます。体育祭は休まれるんでしょう?」

「いや、ルナは出るって言ってる」

「歩くのも困難なのに……?」

「まあ、負い目を感じてるなら負けてくれるとありがたいんだけどな」

「それは……できませんわ」


 まあ、そう言うだろうな。白鳥は陸上部の責任を背負って出場するんだ。だったら、手加減なんてできない。


「わたくしは、ルナさんが出るなら全力でいきます。怪我のことは本当に申し訳ないことをしたと思います。しかし、それとこれとは別。一切手加減しませんので」


 結局、宣戦布告をして白鳥は踵を返してしまった。

 律儀だかなんだか……。

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