16話 白鳥の覚悟
「小鳥遊さん、本当に勝てるんですよね! もし負けたらグラウンドを取られるんですよ!!」
「……大丈夫ですわ」
「なんの根拠があって大丈夫なんて言えるんです!」
白鳥はなにかに耐えるように左手で右腕を掴み、顔に影を落としている。
「小鳥遊さんなら私たちの仕返しをしてくれると信じていますよ!」
「……はい、任せてください」
「陸上部のエースが負けたらそれこそ学校中の恥ですよ、わかってるんですか!?」
なんか好き勝手言ってるな。自分たちも負けたくせに、白鳥が負けたらその責任を全部彼女のせいにしているように見える。
ヒステリックに喚き散らしていた生徒たちが、言いたいことを言い終えたのか白鳥から去って行った。それを確認した彼女が、溜息を一つこぼす。
「……立ち聞きは、あまり良い趣味とは言えませんわね」
バレてた。
「俺も趣味にした覚えはなかったんだけどな」
観念して姿を見せる。
「あんな風に好き勝手言わせていいのか? 思いっきり責任転嫁しようとしてたけど、白鳥ならもっと傲慢な態度を取るか高笑いすると思ってたのに」
「……それよりも、いきなり名前で呼ぶって馴れ馴れすぎません?」
あれ、白鳥が苗字じゃなかったっけ? じゃあこいつの苗字なんて言うんだろう……まあ、いいや面倒だし。
「さっきのようすだとルナに勝負を挑んだのも、白鳥から挑んだっていうより、他の陸上部にせがまれてって感じだな。そんな無関係な勝負事、別に断ってもよかったんじゃないか」
変わらず白鳥と呼ぶ俺に対してジトッと軽く睨まれ、しかし無意味だと諦めたのか軽く溜息をこぼした。
「そうですわね、彼女たちに頼まれましたわ。陸上部が負けたとあったら沽券に関わりますもの、断る理由なんてありません。もちろん快く引き受けましたわ」
「自分たちの喧嘩に白鳥を巻き込んでおいて、その責任を全部被せようとしている連中の頼みなんて断っちまえよ」
「別に慣れっこですから大丈夫ですわ。彼女たちの責任はわたくしの責任でもありますの」
よくわからない、なぜ全責任を白鳥が被る必要があるのか。
そういえば風の噂で聞いたことがある。今でこそ陸上部は強豪として扱われているが、少し前までは全くそんなことはなかった。それが変わったのが白鳥が入ってきてから。彼女が入部してからは、陸上部は急激に強くなり学校でも期待されるようになったとか。ようは陸上部の成績は全部白鳥のおかげ。それもあって陸上部の責任を自身の責任だと言い張ってるのかもしれない。
「……用事がないならわたくしは帰りますわ」
白鳥が颯爽と去っていく。金髪を軽やかに靡かせ、それが夕暮れの赤い陽射しと融合しキラキラと輝いて見えた。
俺も帰るか。
※ ※ ※
「……って、なんでついてくるんですの!?」
「帰り道同じみたいだな」
本当はちょっと違うんだけど、一人で帰るのも寂しいし。
前を歩く白鳥に着かず離れずの距離を取り、一緒に帰っているのか帰っていないのかよくわからない距離感を保ちつつ、二人で同じ道を辿った。
「白鳥って損な性格してるよな。ああやって責任は全部を押し付けられるのに手柄はみんなで分け前。そういうのって疲れないのか?」
「まったく疲れませんわ」
「期待とかも凄そうだけど、それも疲れないの?」
「期待をされるってことはそれだけ実力を信頼されてのこと、むしろありがたいことですわ」
俺の質問に対して、逡巡することなく即答してくる。
「凄いな。俺ならプレッシャーとか緊張で押しつぶされると思うわ」
「……だれもプレッシャーや緊張が無いなんて言ってません。わたくしだって何度押しつぶされそうになったことか」
初めて見せた白鳥の迷い。それまで間髪入れずに答えていたのに、そのことに関してだけは初めて弱さを見せたような気がする。
「意外だな。そんな緊張やプレッシャーなんてまったく感じないタイプかと思った」
「わたくしをサイボーグかなにかと勘違いしてます? 走ってる間はそんなことも忘れられる。それが心地よくて気持ちよくて、だからわたくしは走っていたいの。誰も追いつけない。前を走っているのがわたくしだけ、そんな快感はあなたにはわからないでしょうね」
「それは気持ちよさそうだな。最初から足が速かったのか?」
「そうですわね。小さい頃から足が速かったと思いますわ。そのおかげで色々な人から期待されてきましたわ。それに応えようと必死に練習し努力を重ねてきました」
「その期待に応えてきた、と」
「もちろん、ずっと応えてきましたわ。さっき緊張やプレッシャーを感じないタイプかと思ったと言いましたよね? むしろ逆ですわ、わたくしはむしろ緊張やプレッシャーに弱いんですの」
あんな高笑いをしているお嬢様タイプが? まるで緊張やプレッシャーとは無縁だと思っていた。
「大会前とかは特に酷くて、眠れずにずっと吐き気が止まらないんですの。それは練習をすればするほど酷くなりましたわ。期待に応えようと思うと練習するしかありません、けど練習をすればするほど緊張が酷くなる」
こちらに背を向けているため白鳥の表情が読み取れない。
少し強い風が彼女の髪をくすぐり、それを押さえるように、白鳥は右手でそのキラキラと輝く金色の髪に手を添える。
「だってそうじゃありません? 必死に努力をすれば、それだけ上手くやろうと、いい結果を残したいと思うのが人間。そしたら、緊張が酷くなるのは当然のこと」
「……白鳥はそれでも走るんだな」
「当然ですわ。他人がよく言う緊張で実力がでない、プレッシャーに負けた、そんなの言い訳ですわ。緊張やプレッシャーがあるなんてこの世界に足を踏み入れる前からわかっていたこと。緊張やプレッシャーがあって当然のこと、それを跳ね除けて結果を出すのがこの世界」
前を向いていた白鳥が振り返る。背から覗く夕日が、闘志を真っ赤に燃えさせているように見え、その瞳には揺るぎない意思が宿っているように見える。
「ルナさんに伝えてくださいますか。わたくしは絶対に負けません、と。彼女がどれだけ速いかは知りませんが、わたくしが今まで掴んできた結果に比べれば、あなたなど大したことありません。わたくしにはそれだけの自信がありますから」
口の端を上げ、不敵に笑う。負けることなど微塵も考えてない、それだけの努力と掴んできた軌跡が彼女にはあったのだから。
「おーほっほっほっほ! 無様に負けないよう、精々頑張るんですわね!」
最後に口元に手を当てて、白鳥は優雅に去っていった。地面に足が引っ付いたような感覚に陥り、彼女の背中をただただ眺めることしかできなかった。
ルナがいれば、勝てると思っていた。しかし、その先入観は正さないといけないのかもしれない。白鳥がどれだけ速いのかはわからない。それでも彼女から発せられる雰囲気、言動は間違いなく白鳥が只者ではないことを物語っていた。
※ ※ ※
少し暗くなった空。我が家からこぼれる光が、誰かが中にいることを知らせていた。
たぶん、ルナがいるのだろう。彼女には合鍵をあげていたので、それを使って家に入ったんだと思う。
家に帰ると、誰かが待っていてくれる。初めての感覚に胸が高鳴った。いつもは真っ暗な家に帰り、電気を点け、家に暖かさを入れるのが俺の役割だったのに。
心躍りながら、ドアノブに手を掛ける。引っ張ってもドアはびくともせず、俺を迎え入れてはくれない。
「おーい、ルナ。開けてくれよ!」
ドアを叩き、帰ってきたことを知らせる。家の中からくぐもった足音と声が聞こえてきた。
「……隆史みたいな薄情者は、外で反省していろ」
「置いていったのは悪かったって! 少し一人になりたかったんだよ!」
「じゃあそのまま、好きなだけ一人でいなさい」
遠ざかる足音。
おいおい、まじかよ……めちゃくちゃ怒ってるじゃないか……一人になりたかったからって、相談もせずに置いていったのはまずかったな。
ま、ルナに合鍵があるってことは、俺にも合鍵があるってことなんだけどな。これを使えば入れるんですけど。
玄関のドアに鍵を差し込む。カチャリと音をたてて、ドアが開錠したことを知らせてくれた。玄関の扉を開けると、すぐになにかに引っかかる。腕がギリギリ入るくらいしか開かない扉。よく見れば、扉がチェーンで繋がれていた。
おいおい、まじかよ!
「ルナ―、チェーン外してくれ! これじゃあ入れない!」
「隆史みたいな薄情者は外にいなさい」
今度はくぐもった声ではなく、直接聞こえた。その声には不機嫌なことを隠そうとせず、怒気が含まれている。
ち、ちょっと勘弁してくれ! まさかチェーンまでしてあるとは思わなかった! これじゃあ本当に入れないじゃん!!
「ルナ、ごめん! 本当に悪かった、だからここを開けてくれ!」
「隆史、うるさいぞ。近所迷惑だ」
その後、いくら俺がドアを叩いてもどれだけ俺が叫ぼうが、ルナの怒りは治まることはなく、外で体育座りして反省させられることになった。
くすん……家に人がいても、暖かく迎え入れてくれるわけではないんだな……。
希さんが仕事から帰ってくるまで、何時間もたっぷりと外で反省させられた。




