18話 映画とは面白いな!
莉子の家を後にし、スーパーに立ち寄る。寄り道したおかげで店内には人がごった返していた。割引目当ての主婦や、子供がスーパーを遊園地と勘違いしてるのか、走り回ってる姿があった。
今日の晩御飯はなにを作ろうかな?
「隆史、隆史」
ちょいちょいと、服の裾を引っ張られた。振り返ると、ルナが笑顔で鮮魚コーナーを指差している。
「まぐろまぐろ」
マグロ丼がよほど美味しかったのか、彼女はまぐろを買ってほしそうに見つめていた。子供がおもちゃをねだるように。無視して進もうとするも引っ張る力が強い。
「だめだめ。今日は違うの買うから」
にべもなく強引に歩を進める。しかし、俺がその場から離れても、ルナはついてこない。いまだに鮮魚コーナーをじっと見つめる。
呆れながら、しかたなく彼女の元に戻る。
「昨日食べただろう。そんな刺身ばっかり買ってたら食費が大変なことになるんだよ」
ただでさえ食費が一人分かさんでいるんだ。それに俺が昨日家事を忘れたおかげで余計な出費も増えた。少しは節約しないと家計が火の車になってしまう。
「ほら、行くぞ」
「まぐろ……」
どんなに説得してもてこでも動かない。まぐろ以外の言葉を忘れたのか、ずっとその言葉を繰り返す。
「まぐろ……」
涙目になり上目遣いで見つめられる。
く、その視線はずるい……。
ルナは猫だが、まるでアイフルのチワワを彷彿させる破壊力がある。
「……わかったわかった、買ってやるよ!」
「まぐろ!」
まぐろを目の前にするとIQが下がるのか?
ぱぁっと花が咲いたように百万ドルの笑顔を見せた。ニコニコとした、見てるこちらも幸せにさせるこの笑顔を見れるんだったら、少し家計が圧迫しても我慢しようと思えさせる。
さすがにルナだけに刺身はどうかと思ったので、まぐろを二つかごに入れる。
「二つしか買わないのか? 希の分も買ってやろう」
「逆だよ。もう一つは希さんの分、俺の分がないの」
少しでも食費を助けないと。俺が我慢して、二人が食べれればそれでいいや。
そう思っていたが、なにが気に食わないのか、ルナは不機嫌に眉間に皺を寄せる。
「それはだめだ。隆史の分も買うべきだ」
「いや、俺はいいよ。二人で食べてくれ」
「だめだ、隆史も買おう」
かごに無理矢理まぐろの刺身をもう一つ入れられる。
こらこら、勝手に入れるな。
「俺はいいって」
「む、隆史は頑固だぞ。隆史の分だけ無いのはおかしい」
俺のまぐろを買う買わないかで押し問答する様は、傍から見たら滑稽に映っていただろう。お互いに主張を譲らず、かごの上で一つのまぐろを入れるか入れないかで白熱させる。
「私は皆で一緒に食べたい。同じものを食べて、同じ感動を味わいたいんだ。そこに隆史がいないのは悲しい」
「……わかったよ」
最終的に折れてしまった。俺のためにそこまで言ってくれてるのに、意地を張るのはルナの優しさを蔑ろにしている。ありがたく、ルナの優しさに甘えよう。でも、明日こそは質素倹約な食事だ。
まぐろがそんなに嬉しかったのか、ルナはスキップしそうな勢いでウキウキで帰路に着いた。
※ ※ ※
家に帰り、さっそく食事の準備に取り掛かる。
「まぐろ、まぐろ」
「まだまだ時間がかかるから、大人しく待ってろ」
「どれくらいかかる?」
「一時間以上かな」
ご飯も今から炊くし。
「そんなにか。それは暇だな」
「じゃあ大人しく映画でも見てな」
「えいが?」
「好きなジャンルとかあるか……って、見たことないんだからわからないか」
動画配信サービスを開き、適当に映画を選ぶ。
うーん、なにが喜ぶだろ。女の子だし、恋愛映画とか……?
ちらっとルナに顎を向ける。いきなり視線を向けられ小首を傾げていた。
いやいや、ないな……花より団子、色気より食い気のこいつに恋愛映画は退屈そう。どっちかっていうと派手なシーンのあるアクション映画とかの方が合いそうな気がする。
俺の好きなアクション映画でも見せるか……適当にジャッキーチェンにしよ。
チョイスが古すぎる気もするが、男は皆ジャッキーチェンが好きなんだから仕方ない。
テレビに映画を流してあげる。最初は暇そうにしていたが、徐々に食い入るようにテレビに集中し、次第に熱が入り、アクションシーンでは左右に身体を動かしていた。
見終わったころには興奮冷めやらぬ様子で、映画の感想を語ってきた。
「映画とは面白いな! 特にあのデブは太ってるのに機敏な動き、凄い!」
「サモハンキンポーって役者だな」
「サモハン、インポー?」
「サモハンキンポー。あの太ってる人の名前」
「あれだけ太ってて動き回れるのは凄い! まるで猫みたいに俊敏だ!」
ルナが子供のようにリビングを駆けまわる。先程見たアクションシーンのマネをしているのか、拳を突き出し、制服のスカートも気にせず足を大きく振り回していた。
「って、こら危ない!」
狭いリビングを縦横無尽に駆けまわり、俺に向かって拳を何度も振り回す。当たらないようにはしているが、一歩間違えれば顔面を殴打されそうな距離だ。
「や、やめ、危ないって!!」
「こら、逃げるな!」
台風のように暴れまわるルナから逃げるために、頭を抱えて逃げ回った。狩猟本能が目を覚ましたのか、彼女はそんな俺を殺気だった目で追いかけてくる。まるでトムとジェリーだ。
「うわっ!」
今のは危なかった。
人間には到底できないような跳躍力を見せたかと思えば、足の裏を俺に向け飛びかかってきたのだ。避けるために身体を斜めに構え半身になり、寸でのところでそれを回避する。
このままだとボコボコにされる!?
慌ててリビングからキッチンに逃げ込んだ。
「待てー!」
なにが楽しいのか、彼女は口の端を歪ませ俺の後を追う。
ガンッ!!
大きな衝撃音がリビングに響いた。振り返ると、ルナが身体を震わせ、赤くなったすねを手で抑え、しゃがみ込んでいる。どうやら夢中になっていてすねを机の脚にぶつけたらしい。
自業自得っちゃ自業自得なんだけど、あれは痛そう……。
「お、おい、大丈夫か?」
「…………」
声を掛けてあげるが反応がない。小刻みに震えながら、ずっとしゃがみ込んでいる。と、思いきや急に立ち上がった。相当痛かったのか瞳は潤み、顔は真っ赤に染まっていた。
無言で踵を返し、ソファに膝を抱えて座り始めた。
「おーい、大丈夫かー?」
「…………」
ええ、急にテンション落ちるじゃん……。
さっきまでの興奮はどこへやら、水をぶっかけられたみたいにいきなり気を落とす様は、子供にしか見えない。
「どこ痛めたんだ?」
「……あし」
不機嫌な態度をまるで隠そうともせず、プイッと明後日のほうに顔を逸らしたまま、ぶっきらぼうに答えられた。
あー、めんどくさい。まるで小学五年生のような態度、全然悪くないのに、なにこの俺が悪いような雰囲気。
「見せてみろ、足撫でてやるから」
「いい……はぁ……」
くそ、うぜぇぇぇぇえええええ!!! 溜息を吐きたいのはこっちじゃあああああ!!
めちゃくちゃ面倒なので、早く機嫌を直してほしい。なにか気分を上げられる方法は無いかと思案していると、彼女の好物を思い出した。帰り道にあれだけ上機嫌だったんだ、少し分けてあげたら機嫌を直してくれるかも。
「ご飯食べて機嫌を直せって。俺の分のまぐろ、すこしあげるから」
「ほんとか!?」
雨が晴れたかのように、いきなりルナは笑顔になる。
「ほんとほんと。ほら、早くご飯食べよ」
「まぐろ、まぐろ」
さっきまでの不機嫌な態度はどこへやら。ルナはご満悦な表情を浮かべテーブルにつく。彼女が座ったのを確認すると、ご飯をよそいテーブルに並べた。
「あれ、希は待たないのか」
「前も言ったけど、いつもは希さんとご飯食べてないから。基本仕事で遅いし、今までは先に俺だけ食べてる」
「そうなのか」
少し暗い表情を見せるルナとは反対に、俺の心は晴れやかな気持ちになっていた。いつもは一人で済ます食事も今日は二人、そう考えると寂しくはない。
「まぐろまぐろ」
希さんが買ったトレーニング用お箸を上手く使いこなしながら、まぐろの刺身を口に運んでいる。一口食べるごとにホクホク顔で頬を緩ませた。
「醤油に付けた方が美味しいぞ」
「醤油?」
「この黒い液体」
小皿に醤油を入れてあげ、手本を見せるように刺身を黒い液体に軽く浸し口に放り込んだ。
うん、美味しい。
俺の一連の動作を観察していたルナは、同じように刺身を醤油に浸した後、口に運ぶ。
「うーん、私は醤油に付けない方が好きだな」
「そ、そうか」
醤油に付けない刺身が美味しいとか、猫だからなのかな?
ルナはあっという間に自分のまぐろを食べ終え、もじもじと遠慮するように俺に尋ねてきた。
「そ、その……隆史のまぐろ、もらってもいいのか?」
「ああ、いいよ」
「な、何枚、もらっていい?」
「何枚でもいいよ」
別にそこまでまぐろが食べたかったわけじゃないし、俺としては全部食べてもいい気持ちなんだけど、そこは紬と違っていた。ルナは視線を左右に震わせ、苦渋の決断をするようにまぐろを一切れだけ持っていく。
「い、一枚だけ貰う。あ、ありがとう……」
本当はもっと欲しかったんだろうな。そこを我慢してくれたルナが可愛く思えて、クスッと笑ってしまった。
「もう一枚いいよ」
彼女にもう一切れあげると、目を輝かせて幸せそうに頬を緩める。
その日の夕食は希さんがいなかったけど、楽しく過ごすことができた。




