エピローグ
最近の俺は、どこか変わってしまった感じがする。。
仏間に入り、小さな仏壇の前で線香を上げて手を合わせる。
これも変わってしまった一つだ。前までの俺なら仏間に入るどころか、その部屋を見ることさえできなかった。
ところが今はそんなことは微塵も思わず、こうやって毎朝手を合わせることができるようになっている。
しばらく目を閉じて手を合わせたあと、リビングで朝食の準備をしていると一人の女性が入ってきた。
「おはよう、隆史君ー」
「お母さん、おはようございます」
寝ぼけ眼のままリビングにやってきたお母さんに挨拶する。
これも変わってしまったことの一つ。
前までは「希さん」と呼んでいたのに、気兼ねなく「お母さん」と呼ぶことができるようになっていた。
確か、かあさんが引き取りたいと言ってきたのがきっかけで、そう呼ぶようになったまでは覚えているが、所々、記憶がぼんやりとして思い出せない。
「あら、今日も多めに作っちゃったの?」
「……あ」
そして、朝食をいつも一人分余計に作ってしまう。
俺の隣に置かれた皿。そこには誰も座ることはないはずなのに、毎回なぜか用意してしまう。
「すいません。無意識に用意しちゃうんですよね」
「不思議よね。私もそこにご飯があるのが落ち着くのよね」
そう言って、二人で無人の椅子に視線を向ける。
誰も座る予定がないはずの椅子なのに、なぜかそれが寂しく感じた。
この寂しさが拭えることはない。
学校に登校しているときもそうで、いつも一人で登校するのが当たり前なのに、それも寂しく感じる。
心にぽっかり穴が空いたような状態が続く。
――――チリンチリンッ。
どこからともなく聞こえてくる鈴の音。
なんだろう、と思い、音の鳴る方に視線を向けると、黒猫が座ってこちらを見ていた。
どこか語りかけてくるような瞳。
「……あの猫、どこかで」
不思議な雰囲気を纏った猫を怪訝に思うも、猫と戯れる時間が残っていなかったので、構うことなく学校に向かった。
昼休み、いつもと変わらぬメンバーで食べるご飯。
紬、莉子、岡田。
それぞれの机を合わせて、大きな一つの机にし、それぞれ弁当を置いた。
「ほら、これ……」
「隆史君、また一つ余計に作ってきたの?」
いるはずもない、空席になっている隣の席にお弁当を差し出してると、莉子に苦笑いされてしまった。
……またやってしまった。
朝の時と同じく、食べる予定もないはずなのに、なぜか二人分の弁当を作ってしまった。
というか、なぜこの面子でご飯を食べることになったのも不思議だが、四人で食べるのになぜ五人分の机を用意しているのか。
「……昨日も、お弁当……作って来てましたね……」
「でも、なんか不思議なんだよね。隆史がお弁当余計に作って来ても、変に思わないっていうか、受け入れちゃう」
莉子たちも同じ気持ちなのだろうか、誰も座ることがないはずなのに、いつも用意してしまう席を見て、寂しそうな表情を浮かべていた。
※ ※ ※
学校が終わり、晩御飯の買い出しにスーパーに立ち寄る。
鮮魚コーナーのそばを通ると、生臭い匂いが鼻腔をくすぐった。
「刺身かー。はは、まぐろ買ってやると、あいつ喜ぶ、ぞ……」
あいつって誰だ……?
どうしてそんな風に思ったんだろう。
なんだろう、なにか忘れてるような、この感覚はなんだ……。
スーパーで買い物を済ませ、エコバッグを片手に下げながら砂利道を歩いていると、朝、聞こえてきた音がまたもや鼓膜を震わせる。
――――チリンチリンッ。
鈴の音だ。
音の方向には、朝と同じように鈴が付いた首輪を身に着けた黒猫がこちらをジッと見ていた。
「……あの猫」
どこか既視感を覚える。
前にもこういうことがあったような気がする。
俺と視線が合うと、黒猫が踵を返し、砂利道を辿るように片側の生い茂った草むらに入っていった。
その既視感を探るために、黒猫についていく。
鬱陶しい草むらを掻き分け、奥にどんどん突き進んでいくと、そこに一匹の猫がいた。
しかし、それは黒ではなく白い体毛を纏った猫。
突如現れた俺に驚いたのか、その白猫は目を見開き驚いていた。
その瞳は特徴的で、左右で色が違う、所謂オッドアイと言われる瞳をしていた。
「……あれ、黒猫は?」
周りを見渡すも、さきほどまでいた黒猫が見つからない。
「なあ、さっき黒猫が来なかったか?」
猫に聞いても、もちろん返事なんてない。
なのに、なぜかわからないが、つい聞いてしまった。
白猫は未だに俺のことに驚いているのか、目は見開いたままでその場で硬直していた。
なるべく恐怖感を与えないように目線を会わせるためにしゃがみ込み、舌打ちしながら白猫を呼んでみた。
「ちちちちち」
やり方が間違っているのか、変わらず白猫はその場でじっとしている。
もしかしたら声のトーンが違ったのかも。
「ちちちちち」
今度は裏声を駆使して、舌打ちではなく声に出して呼んでみる。
俺の滑稽な姿に呆れたのか、白猫が目を細めた。
動物を飼ったことがないから知らなかったけど、猫ってこんなに表情が豊かなんだ。
この白猫がどういう表情をしているか手に取るようにわかる。
「そんな呆れるなよ」
白猫の頭を撫でようと手を伸ばし、指が触れた瞬間。
「……っ!」
気付けば俺は別の場所にいた。
三六〇度、どこを見ても果てしない闇が広がっていた。
耳が痛くなるような静寂。
鈴の音も、風の音も、喧騒もなにも聞こえない。
まるで宇宙にいるような、足が地面についていない不思議な感覚。
……ここは、どこだ?
夢の中にいるような、ぼんやりとして現実感がない。
けど、どこか懐かしい。
心当たりはない。なのに、俺はこの場所を知っている。
……ここは、昔の俺だ。
昔の俺は、どこに行っても暗闇で、ずっとこの闇を彷徨っていた。
寂しくて、でもどうしたらいいかわからず、必死に一人で戦っていた。
ふと、一筋の光が俺を照らす。
どこか懐かしく、そして温かい雰囲気を纏った光は、月から放たれていた。
だだっ広い宇宙の中で、その光はどこか頼りになる。
俺は導かれるように、手を引かれるように、その光に向かって足を向ける。
記憶にはないけど、以前もこうやって俺を導いてくれた人がいた。
月に近づくにつれ、その形が徐々に収縮していく。
やがて、それは少女の姿になっていった。
見覚えがある少女。
俺は、彼女を知っている。
「ルナー!」
気付けば無我夢中で走り出していた。
どうして忘れてしまっていたんだろう。
彼女は命よりも大事な、俺にとってかけがえのない人なのに。
「ルナ、ルナ―!!」
浮遊感に苛まれ、地面に足がついているのかいないのか、走れているのかどうかすら定かではないが、それでも足を懸命に動かした。
ルナは、笑っていた。
いつもの百万ドルの笑顔を浮かべ、笑っていた。
あの笑顔を二度と忘れないって決めたのに、離れないって決めたのに。
前に進めているかわからず、手足をばたつかせ必死に近づこうと藻掻いた。
そして、やっとの思いで彼女の身体に触れる。
「……ぁ」
そこには、もう彼女の姿はどこにもなかった。
白昼夢というやつだろうか。果てしない闇は払拭され、いつもの景色に変わり、生い茂った草むらが周りを囲んでいる。
「……ぁぁ……く、ぁ……」
蹲り、嗚咽を漏らしながら涙を零した。
どうしてこんなに悲しいのか、もう覚えていない。
あの少女のことも、どこで会ったのか、どういう会話をしたのか、記憶に残っていない。
それでも、ルナと呼んでいた彼女は俺にとってとても大事な人で、決して忘れてはいけない人だったことは覚えている。
「ルナぁ……う、ぐ……会い、たい……もう一度、会いたい……」
なぜこんなにも会いたいのか。
それは、もう二度と、彼女と会うことができないことがわかっているから。
胸にぽっかりと空いた穴が、どこまでも俺を辛く悲しくさせた。
「俺……どう、して……はっ、ぅ……」
そんな俺を慰めようとしてくれてるのか、白猫がゆっくり近付いてくる。
濡れた頬を優しく舐めてくれ、癒してくれる。
「はは、ありがとう。いてて……」
猫の舌ってこんなにも痛いんだ……。
何度もその舌で頬を舐め、俺が泣き止むまで繰り返してくれた。
「慰めてくれてありがとうな」
白猫の頭を撫でてあげると、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
もう、猫に触れても白昼夢は見れない。
「お前、人懐っこいな」
この猫が特別そうなのか。触れても嫌がるどころか嬉しそうにしている。
「……家来るか?」
俺には猫の言葉なんてわからないし、表情から感情なんて読み取れない。
けどこの白猫の言うことは、なんとなくだけど分かるような気がする。
白猫は、確かに頷いてくれた。
「よし、じゃあ家に帰ろう」
立ち上がり、猫を抱きかかえると、俺の胸に頬を寄せゴロゴロと喉を鳴らしている。
「あ、そういえばお母さんに飼っていいか許可取らないと」
でも、なんでだろう。
確信めいた予感がある。お母さんはきっと、飼うことを許してくれるだろう。
だって、こいつはもう家族なんだから。
「そうだ、名前を決めないとな」
白猫だから、シロ……は安直すぎるな。
脳裏によぎるのは、さきほどの彼女のこと。
なぜかはわからないけど、この白猫と、さきほどの彼女がよく似ている気がする。
「決めた。お前の名前は……ルナだ」




