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6話 母娘

 今や学校でルナのことを覚えている人は誰もいない。

 莉子たちですら、忘れてしまったことに戦慄してしまう。


『皆が私を忘れるほど、力が抜けていくんだ』


 徐々に衰弱していくルナは、今やずっとベッドの上で一日を過ごしている。

 一人では食事も取れず、食べても一口か二口で残してしまっている。


「おはようー」


 朝食の準備をしていたら、リビングに訪れたお母さんが、あくびを噛み殺しながらやってきた。

 もしかしたら、お母さんもルナのことを忘れているかもしれない……。

 確認するのが怖かった。

 あれだけずっと一緒にいた莉子たちですら忘れてしまっているんだ、覚えていなくても不思議ではない。


「あれ、今日もルナちゃんは体調悪いの?」


 その一言で安心した。

 どうやらまだルナのことを覚えていてくれているようだ。


「……はい」


 ルナのことを正直に伝えようか迷った。

 もし伝えたとしても、忘れてしまうかもしれない。

 それに、莉子たちはクラスの異常な様子を見たからこそ信じてくれたが、お母さんはルナが体調が悪くなった以外に、いつもと違うところを知らない。

 こんな突拍子なことを言っても、到底信じてくれるとは思えない。


「そっか、ちょっと心配だからルナちゃんのようすを見に行ってみようかな」


 いまだ体調が戻らないルナを心配して、リビングから出ていく。それに続くように俺も一緒に自室に戻った。

 二人で自室に入ると、ベッドに寝ていたルナが顔だけこちらに向けた。


「ルナちゃん、体調は大丈夫そう?」

「……うん、大丈夫」


 到底大丈夫に見えないのに、安心させるように笑顔を浮かべた。


「なにか食べられそう?」

「……あんまり食欲がない」

「一口でもいいから、食べた方がいいわよ。なにか食べたいのある?」

「……希のうどんが食べたい」

「うん、わかった。今から作って来るね」


 お母さんはそう言って、部屋から出て行き、階段を降りる足音が聞こえた。


「……隆史」

「うん、どうした?」

「……莉子たちは、まだ私のことを覚えていたか?」

「……うん、まだ覚えているよ」


 思わず嘘をついてしまった。

 正直に言ってしまったら、ルナが落ち込んでしまうと思ったから。

 けど、俺の嘘は早々にばれてしまった。


「本当は覚えていないんだろう?」

「……どうして、わかったんだ」

「やっぱり」

「…………」


 しまった、なんて俺は馬鹿なんだ……。


「なんとなくそう思っていたんだ。ここまで力が入らなくなるのは、親しい人も忘れて行っている証拠だから」

「……まだ、俺やお母さんは覚えているから」

「うん、ありがとう」

「ルナちゃん、作ってきたわよ」


 お盆に湯気が経った器を乗せて、お母さんが戻ってきた。


「……ありがとう」


 感謝の言葉を述べ身体を起こそうとするも、苦しそうな表情を浮かべるだけで、少しもその身体は起きてこない。

 俺が補助をしてあげて、ようやくその上体を起こすことができた。


「はい、あーん」


 お箸も持てないほど衰弱してしまっているので、お母さんが食べさせてあげることに。


「……ん、美味しい」


 以前食べたときより改良されたうどんは、見た目からして美味しそうに思えた。

 素直に称賛を呟くも、ルナは一口食べただけでお腹が一杯になってしまったのか、それ以上は喉が通らなくなってしまっていた。


「すまない、希……せっかく作ってくれたのに」

「ううん、気にしないで」


 起きてるのも辛いのか、すぐにまたルナは横になってしまった。

 お母さんはうどんを机に起き、そんな辛そうにしているルナのお腹の上に手を添え、ぽんぽん、とリズムよく軽く叩いてあげた。

 俺が熱を出したときと同じように。


「希……ありがとう……」

「眠れるまでこうしてあげるからね」

「うん……希は、私のお母さんだな」

「もちろん、ルナちゃんも私の子供だから」


 笑顔でそう答えてもらったのが嬉しかったのか、安心しきった表情でルナが眠りに落ちていく。

 静かな寝息を立てているのに、そのあともしばらくお母さんの手はルナの上に置いてあった。


 忘れてほしくない。

 こんな母娘のような二人が忘れるなんて、そんな残酷なことやめてほしい。

 なのに、そんな俺の期待を現実はことごとく打ち砕く。


     ※ ※ ※


「……るなってだれ?」


 次の日、朝食を一緒に食べていたお母さんから聞かされた、信じたくない言葉。

 俺はこの言葉を何回聞かされ、そして絶望に打ちひしがれなきゃいけないんだ。

 信じたくない。あれだけルナのことを愛していた、母娘のように接していたのに。

 やってはいけないのに、それでもそんな現実を壊したくて、思わずお母さんの腕を取って無理矢理自室に連れて行った。


「そこにいるじゃないですか、ルナですよ!」

「……誰もいないけど」


 ベッドに横になるルナを指差しても、なにも見えないのか、お母さんは首を傾げる。

 お母さんの残酷な言葉に、悲しそうな表情をルナは浮かべた。

 わかっていた。こんな言葉を直接聞けば、ルナはきっと悲しむはずだと、それでもなんとかしたくて、思わず部屋に連れてきてしまった。


「ベッドの上ですよ、今も横になってるじゃないですか!」

「隆史君、大丈夫……?」


 それでも、なんとか思い出してもらおうと、俺は必死に戦った。

 だって、こんな残酷なことないじゃないか……。

 お母さんの腕を無理矢理ベッドの上に置いた。直接触れれば、思い出せるんじゃないかと思ったから。

 なのに……。


「……誰も寝てないけど」


 お母さんはルナに直接触れてるはずなのに、それでもその身体を認識できないのか、ただただ不思議そうにしていた。


「隆史……もういい……」

「けど……っ!」

「もう……やめてくれ……」


 その震える言葉で、ようやく俺の頭が冷える。

 ああ、なんて酷いことをしてしまったんだ……。

 でも、だったらどうしたらいいんだ。

 俺も……こんな風に忘れてしまうのか……?

 いやだ、絶対にいやだ……っ!

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