一日目(3)
「みなさん、投薬のお時間です」
と、私は夏目坂と劈に言った。
昼と夜との二回の投薬で、食前と食後だと、まあ後者になるのだが、どうやら食べ過ぎたらしく、彼等はお腹に片手を添えていた。
「基本的には問題ありません……が、しかし適切な食事量でお願いします」
「ごめん……けど実際ひよりん、コレはすごいよ。お店が出せるクオリティじゃないかな?」
劈はそう言った。
ひよりん呼びは勘弁被りたかったが、一度は無視をすると決めた以上、突き通さなければならなかった……、全然やめようとしないけれど、ひょっとしてこの男、無視されていることに気付いていない?
それとも。
逆落賭ひよりが名前なの忘れてる?
「鵯越の坂落とし」
「それは元ネタじゃん!」
「千と千尋の神隠し」
「いや、語感は近いけど!」
「北斗七星の踵落とし」
「続けんな! っていうか千と千尋の方で合わせたの!? 合わせるなら鵯越の坂落としに合わせろ! 合わせるな!」
なんだよ北斗七星の踵落としって。
擬人法?
「まあ、それはいいとして」
「いいかどうか決めるのは私よ。誰なのよアンタは、劈要!」
「今、投薬の時間だったよね?」
「相変わらず自分で逸らした話題を急に戻すわね。そうよ、投薬の時間よ。はやくそこの寝台に寝転んで!」
相手をするのが疲れる男である。
ボケないでよ人の名前で。
変わった名前なのはお互い様でしょう。
私は台の上の注射を手に取った。
「あ、そういう感じなの?」
「嫌かしら?」
「経口接種がいい。口移しで」
「それは私が嫌」
攻めるなぁ。
根拠のない自信から来る無謀なの?
「コーナーで差をつけなきゃ」
「そのまま三角コーナーにでも落ちてなさい」
「ひょっとして今、お前はゴミだって言われた?」
「……」
「ち、沈黙が答えなの!?」
もう劈は相手にしないことにして、私はとっとと投薬を始めた。
平等院無差別ちゃんが気の毒そうな視線でこちらを見ている。
仲間にしますか?
同じ感情を共有している人間は総じて仲間だよ、無差別ちゃん。
そう心にひとりごちて私は微笑んだ。
「はい、投薬は終わりです。各自部屋へと可及的速やかに帰ってください。特に劈く方!」
「えー、なんか話しようぜ。好きな子いる? いるなら誰? 僕は逆落賭!」
「嫌いな子の話ならいくらでもしてあげられるのだけれどね……、もういいから、とっとと自分の部屋に戻ってよ」
めんどくさくなってそう言うと、夏目坂から、
「じゃあなんか面白い話してー? 聞いててあげるからー」
と返ってきた。
「なんで無茶振りをしてくるギャルなのよ……」
「心にギャルを飼うライフハックを、試してそのあと捨てられずにいる」
「無責任に捨てギャルにしないのは評価できるわね……」
捨てギャルなんて言葉があるとすればだけど。
「あーもう! じゃあちょっと話ししたげるから、それで帰ってよ!?」
夏目坂はピースして、「もち」
「二言はないわね?」
そう念を押すと、私はこの地にまつわる話を始めた。
科学この場にそぐわないオカルティックな話を。
※
五年前、この土地にこの施設は建てられた。
山奥に建てたのもあり、そのことを話すと諸人は、そのロケーションにある違和感を少なからず指摘してくるのだが、ある話をすると必ず膝を打ち、納得の表情を浮かべたものだった。
いや、別に建てたのは私ではないのだし、だから得意げになるのはぜんぜん違うのだけれど、得意げに映ったとしたらそれは誤解だし、今から話す内容に自慢できることは一つも無いことは、どんな角度から見ても──鋭角でも鈍角でも──事実なのだった。
それで、その内容とは。
単に、元あった土地を、建物だけ崩して、再利用しただけのことだった。
この施設を建てるとなった時、周辺にそれらしい土地がなく、山に建てるのは既定路線だった。
一から山の土地を切り拓くよりも、先人の土地を間借りした方がずっと早いだろうという判断だ──実際、建築の費用はかなり抑えられた。
それの何が問題かと問われれば。
その土地は元は寺の敷地であり、古色蒼然となりほぼ朽ちた時分、怨霊がでるという噂が出たことだ。
寺の住職だった老爺の怨霊が。
寺の敷地の中を練り歩き、時折り意味のわからない呪詛を吐き出しては、ほとんどガラクタとあいなった、いやしくもかつて寺だった大量の木片に、仇なす無礼な人間をくびり殺す。
そういった噂が、無視できない程度、この土地にはけっこう根付いていた。
ちなみにくびり殺すと言っても、単に首を絞めて殺すんじゃないらしい。
いや首も絞めるのだが、噂によれば首を絞めたあと、返す刀で握り潰して、そのまま生首にもするそうだ。
ぶちぶちぶちと、とてつもない怪力で。
寺に無礼を働く人間の首を引きちぎる。
怖い話だった。
何が怖いかって、無礼を働くという意味では、我々こそがその筆頭にあたることだ。
我々は土地の再利用を目的に、侵されざる寺の残骸を冒涜したのだと、言って言えないことはないからだ。
それもあって、今でもこの施設では、しきりにその話題が持ち出される。
今に寺の住職の老爺が現れて、古式ゆかしい彼らを蔑ろにした、我々無礼者を呪うのではないのか──、と。
まことしやかに因果応報のストーリーが語られる。
「……っていう話なんだけど」
劈は胡乱な表情を浮かべた。「坊さんは殺生を禁じられてるんじゃ?」
「僧は僧でも僧兵なのかもよ?」
「怨霊じゃなくても怖い話じゃないか、それ」
刃物を振り回す生きた人間と、首を絞めてそのまま引きちぎる亡霊か……。
ギリ前者が恐ろしさで勝るかも?
怨霊の噂ほど不確実でもないし、訓練を受けたちゃんとした武力もある……、仮に不興を買い暴れたとしたら、どっちが手をつけられないかという話だろう。
おどろおどろしい怪談のオチに、『人間が一番怖い』を持ってくるのが良いとはあまり、否、ぜんぜん思えないけれど……、ともあれこの話のオチは、『怪談だと思ったらスプラッターでしたー』だろう。
「怪談ってより、もはや角の立つ話だな」
「……同じく『談』ではあるだろうけど、それはなんで?」と夏目坂。
「怪談の面目が丸潰れだからね」劈は言う。口の端を持ち上げて、「そりゃあ、角の一つも立つというものさ」
得意げであった。
ふふん、という表情に神経が逆立つ。
「上手い! 劈お前、才能あるよ!」
「フ、そうだろうそうだろう。実は密かに落語が趣味だったのだ!」
「っぱスゲー! 劈うおおおー! 落語うおおおー!」
「……仲良いわね、アンタら」
親友の域じゃない。
友達がいないみたいな話は聞いてたけど、この分ならそれもすぐ過去になりそうね……。
「さて」と手を叩き、「話は終わったわ! 約束よ、とっとと部屋に帰りなさい!」
「えー? 帰るからおこんないでほしいしー」
「翻意しててアレだけど、今すぐ捨てギャルにしなさい」
飼いならせていないじゃない。
『ギャルは飼っても飼われるな』よ(そんな言葉はないけれど)。
「じゃあね、また明日の治験で」
そのあといくらかやりとりを交わした後、彼らは「バイちゃ!」と言って去っていった。
心にアラレちゃんも飼うな。
※
彼らが帰った後、私は平等院ちゃんと雑談を交わしていた。
「幽霊の話、ウケてましたね」
「くだらない話よ。オーディエンスの反応がいいから、ついつい話してしまうけれど」
「アハハ、やっぱり信じていないんですね?」
外連味たっぷりな語り口調を、皮肉るみたいに彼女はそう言った。
「当たり前じゃない! 科学の徒を標榜する私たちに、あんなオカルト話が入り込む余地はないわ!」
全くもって馬鹿馬鹿しい。
そう言うと私は、コーヒーをくい、と嚥下した。
カフェインが五臓六腑に染み渡る。
それを見て彼女はふっ、と笑うと、
「それじゃあ逆落賭さんは、この施設で老爺を見たことはないんですね?」
と聞いてきた。
私は返答する。
「ないわけないじゃない」
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