五日目(4)(三日目(2))
俺、つまり、夏目坂といろは、逆落賭ひよりに恋情を寄せている。
同様に、俺の友達、劈要もまた、逆落賭ひよりに惚れてしまっている。
つまりいわゆる三角関係で、競うべきライバル関係でもあるのだが、いかんせん先に好きになったのは劈で、所詮俺は、後追いに過ぎないというのが実情だ……、友情は大切だが、それで恋心が消え失せるという訳でもない。
一体俺はどうすれば良いのだろう……。
良いのだろう……。
だろう……。
……。
ん。
当たり前みたいな顔をして語ったは良いものの、やや唐突な感も流石に否めない。
さしあたり、もっともニーズが高まっているだろう情報は、たぶん、俺が恋に落ちたその時の、詳しい話なんだと思う。
従って、この俺は、今より二日前に起きた出来事の、儚く消え入るようなラブストーリーを、果たして、開示しなくてはならないようだった。
いかにも照れ臭い話ではあるものの、仕方がない、ここに臆面もなく、克明に記させて頂こうかなと考える。
……あれは昼食を平らげた後のことだった。
※
治験が始まって三日目、三月三日の午後の昼下がり。
俺はなんとなしに、逆落賭さんに、「逆落賭さんたち従業員は、メシや治験のとき以外は何をして過ごしているんですか?」と訊いてみた。
逆落賭さんは俺を振り返って、「見てみる?」
頷く俺。
というわけで、作業場を見せてもらえることになった。
「なんか……思っていたのと違いますね」
「パブリックイメージからは少し逸れるかしら……。とはいえ、別に、研究者だって書類仕事くらいするわよ」
俺が見せてもらえたのは、作業場……というよりかは、一般的な仕事場のような、デスクワークの類いのそれであった。
「研究者の仕事は、研究だけでなく、対外的な兼ね合いもあるからね……さすがに単一のことだけじゃあ、資金援助を受ける立場としてはいけないのよ」
「へえ……」いろいろあるんだな、研究者にも……と思いつつ、この俺は、山と積まれた書類を指差して、「この量だけ見ても、相当に大変みたいですね……」
「それも大変と言えばまあそうなんだけれども、それよりももっと大変なのは、こっちね……」彼女は手書きの痕跡が大量にある、紙幅にして十センチはあろうかという紙束を指差した。
「これがどうかしたんですか?」
「ええ。どうかしてるわよ、効率の悪さが」
「怒りが伝わる物言いですね……」俺は言った。「どういう意味ですか? 効率?」
逆落賭さんは縷々として語り出した。「夏目指くんが指差した方……そっちにある書類は、あくまでも保険というか、パソコンの故障かなんかでデータが飛んだとき、それで全部損失する事態を避けるために、わざわざ全部、紙に印刷したものなのよ……。
だから、大変と言えば大変なのは否めないし、その効率の悪さには眩暈がするけれども、作業自体はパソコンで行えるし、それをコピーするだけで済むのも確かなのよ。だけど……」
逆落賭は効果的に間を置いて、
「こっちの書類は、全部手書きなのよッ!! あり得ないわ、時代は令和6年よ!? 西暦2024年!! ……まったくイカれてるわ」
早く電子化進まないかしら、と逆落賭。
その声色には本気の殺意が滲んでいた。
「まあ、この大量の書類群も、一週間もかかったとは言え、もうすぐ終わりそうなのよね……」逆落賭は言った。「解放されるのよ、苦しみから……」
「……」俺は逆落賭さんの闇を垣間見た気がした。
扉ががら、と開く音がした。
入って来たのはシルヴァニア・ナナリーだ。
「あれ? どうして二人がいるんですか?」
サカオトシヒヨリさんは分かりますが──と、シルヴァニア・ナナリー。
「見学したいというんで、案内してるのよ」
ナナリーは苦笑した。「ここを見たい人はいないと思いますけどね……」
言うと、逆落賭さんの横のデスクに移動した。
「何か面白いものは見れましたか?」
「闇が……」
「え、闇?」
なんでもないです、と俺は訂正した。
シルヴァニア・ナナリーは机に荷物を置き、そこから落書き? のようなものを取り出して、顔に微笑みをたたえ、それを矯めつ眇めつして眺めていた。
「どうしたんです? それ」俺は聞いた。妙に気なって。
「ああ、コレですか?」シルヴァニア・ナナリーが言った。「コレはですね、娘が描いてくれた吾の似顔絵です。あんまり嬉しかったものですから、渡されて以降、ずっと手元に持っているんですよ」
「へえ──」
良いですね、と素直に俺は言った。
良いでしょう? と素直に返された。
「吾には過ぎた娘ですよ」
そう言う彼は莞爾と笑っていた。
幸せそうである。
彼は似顔絵を机に置いた。
次いで、荷物からペットボトルを取り出して──ふたを開け一口飲み──、ボックスの中に入れられたファイルの上に置いた──手を離した瞬間ぐら、と倒れかけた。
「おっといけない」シルヴァニア・ナナリーはそれをすんでで支えた。「せっかくの似顔絵が台無しになるところだ」
逆落賭さんは笑って、「気を付けなさいよ?」
「あはは、そうですね。あっ──」シルヴァニア・ナナリーは何かに気が付いた。
「? どうしたのよ」
「忘れ物です」シルヴァニア・ナナリーは言った。「確認したと思ったんですがね……すぐ戻ります」
言うと、彼は忙しなさげに部屋を出て行った。
一瞬の静寂──
俺はふっ、と自然にこぼした。
「良いお父さんですね」
「似顔絵、嬉しかったみたいだしね」
デスクに座って作業を始める逆落賭。
少し世間話をして、シルヴァニア・ナナリーが戻ったら帰るつもりだった。
いや、実際帰りはしたのだが──予定調和とならなかったのはそこではなく。
俺たちには世間話をする間もなかった。
する間もなく──別の予定調和が起こってしまったのだ。
ファイルの上にある、ペットボトルが。
案の定。
再びぐら、と身を斜めにして、
そして、
そして、
似顔絵の方向に。
地球の中心を向く重力のまにまにに、
クレヨンで描かれた、その父の顔を──
汚させてはいけないと考えたらしい逆落賭が。
一切躊躇わず。
さっき自分で苦労を口にした、
紙幅にして十センチはあろうかという紙束を。
シルヴァニア・ナナリーの似顔絵を庇うため、
一週間はかかったという資料を盾にして。
液体が似顔絵に溢れる前……
その寸前に。
防ぎ切ることに辛くも──本当に、辛くも──、成功した。
そのことを認識しての彼女の第一声。
一週間がふいになっての、彼女が発した最初の一声は
「よかった……酷いことにはならずに済んだわね……」
だった。
俺は絶句した。
ややあって、シルヴァニア・ナナリーが部屋に戻って来た。
「……あれ、逆落賭さんのそれ、濡れてますね? どうしたんですか」
「うっかりしててね、ペットボトルを倒して、私の資料に溢しちゃったのよ」
「いや、それは逆落賭さんが──」俺はその先を言いさして、やめた。
逆落賭さんが、半分だけこちらに振り返り、唇に人差し指を立てているのを見て、何も言えなくなってしまったのだ。
シルヴァニア・ナナリーは真面目な人間だ。
実際、今もふたを閉めなかったことを、何度も逆落賭に謝罪しているし、実際に起こった真相を知ったなら、余計に自責の念に駆られること、請け合いだ。
それを嫌だとおもったから。
自責ではなく、
笑顔を守りたいと思ったから。
彼女はあんな風な嘘をついたに……絶対に決まっているんだから。
いや、実際には。
そんなのは、理屈の上だけで。
彼女の意を汲んだ、なんて大層なことではなく。
ただ、単純に、
彼女の利他的な善性を知って、
いい女だな──と。
そう思って、惚れてしまったからかもしれない。
……つーか、大好きになった。
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