四日目(2)
前回のあらすじ。
わたくし、つまり、平等院無差別は、一千年に一度の難病だと診断を下された。
「おっとごめんなさい、違いました。正解は、一千万人に一人の難病、でした」こともなげに医者は言った。
間違いであって欲しかったのは数字ではなく難病の部分だったのだが、どうやらそこは、依然据え置きであるらしい。
わたくしは言った。「治るんですか……?」
「いいえ」医者は言下に否定した。「治りません。令和六年の現時点をもってしても、この病気──ノンブレス症候群は、有体に言って不治の病です」
「ええ……」
不思議と「大ショック!」って感じはしないのだが、超サイヤ人にも橋本環奈にもなれない挙句、あまつさえ治療法すら無いとは参った──不幸にも程があるだろう、わたくし。
「ど、どういう病気なんですか?」
「単なる体調不良が嚆矢となり、免疫の弱った身体にウイルスが巡り衰弱していって、果ては呼吸が出来なくなり──最後には死に至る」
そういう病気です、と結んで、医者はかぶりを左右に振った。
医者がかぶりを左右に振った!
終わりだ!
テレビやアニメで見た事あるヤツだ!
医者は憐れむように私を見た。「当院としては入院をお勧めしますが、どうなさいますか? 一つの選択肢として、余生は自宅で、という事も出来ますが……」
「え……そんな事急に言われても……うーん、そうですねぇ。死にたくないけどどうせ死ぬのなら、病院で延命するのはナンセンスでしょうか……、弱りましたねぇ」
医者は困ったように小首を傾げて、
「ご随意になさって下さい。こればかりは、私共も口出し出来ませんので……」
と──突き放すようにそう言った。
自由となるとそれはそれで困る。
どうすることがいいのだろう……、一応、新薬の開発に関わる身としては、医療の飛躍を信じて、入院して延命措置を取るのが良い気もするけれど……。
わたくしがしばらく緘黙していると、医者は唐突に口を開いて、「一度だけ、同じ症例を扱ったことがあるんですけれどね?」と前置きして、重く低い声でこう続けた。
「アレは、酷いものでした……。最初は大したこともないのですけれど、次第に衰弱が始まるのです……。
体重は落ちて、眼窩は落ち窪み、頬は痩せこけて、ほとんど死人のような様相になっていく。そしていずれ、呼吸すらままならず、本当の死人になってしまう。表情なんて酷いものです。まるで──
──まるで、首を絞められているような。
苦しみに満ちた、歪んだ表情を浮かべて亡くなるのです……職業柄、死に立ち合う事は多いですが、ああも酷い死に様は他に無い」
わたくしは老爺に首を絞められるイメージをした。
そしてもちろん。
首を絞められたあとは──
※
もちろん、『首を絞められているような』というのは、呼吸出来なくなることのレトリックであり、修辞的表現であり、文学的な装飾に過ぎない。
だから──老爺の怨霊の噂と重ねるのは無理矢理な理屈であり、ほとんど牽強付会と言って差し支えない。
仮にどれだけ繋がっていて見えてもだ──そんなことは本来上、あり得るはずもないのだから……、科学が支配するこの令和の世に、そのような大逸れた思考、許されて良いはずもないのだ。
だから、考えるな。
老爺が住職を務めていた寺を崩して、その土地で研究をしているわたくしたちが、全員老爺の、呪殺のターゲットなんじゃないかなんて事。
考えるな。
考えるな。
考えるな──
「……一体どうしたのよ? 平等院さん」聞こえてきたのは、付き添いの逆落賭さんの声だった。
診察室にこそいなかったものの、わたくしが医者に診てもらうのを、リノリウムの廊下にいて──彼女は一人──、静かに待ってくれていたのだった。
「なんでもない……って事も無いですね、あの診断なら。結構……、いやかなり、死ぬほどヤバイ緊急事態です」
「死ぬほどヤバイ緊急事態?」逆落賭さんは言った。「大袈裟ね……別に、死ぬってわけじゃあ無いんでしょう?」
「死にますよ」という言葉を、わたくしはぐっと飲み込んだ……、いきなり告白するのには、あまりにも重い情報に思われたからだ。
「ええ、まあ、後で話しますよ。結論は持ち帰って良いという話でしたから……、話すのは、施設に戻ってからでもいいでしょう?」
「……そう? なら、そうしましょうか」胡乱そうな表情を浮かべつつも、逆落賭さんは唯々諾々と、わたくしの言に素直に従った。
大学病院を出、わたくしたちは車に乗り込むと、施設へと車のタイヤを走らせた。
後部座席からは山道の徐々に移ろう景色が伺えた。
その様子を呆けながら眺めていると、やっぱり大学……、ないしは大学病院から考えても、あの施設のある場所というのは、相当に遠い距離にあることが──ぼんやりとした頭ではありつつも──、理解出来た。
時は経過して、16:30。
16時丁度に病院を発ったから、およそ三十分で施設に到着したことになる。
無論車で、だ。
……いくらなんでも遠過ぎるだろう。
「そりゃあ泊まり込みにも、なりますよね……」
「? なんの話」
「いえ、なんでも」わたくしは適当に誤魔化した。
「……それで、結局どうだったのよ」
そそくさと自室に戻ろうとしたタイミングで、逆落賭さんはめざとくそれを見咎めて、ここから立ち去ろうとするわたくしが捕まえた──くそぅ、逃げ切れると思ったのに。
死ぬことだけは確からしいけれど。
流石にこんなこと、言えないわよ。
わたくしは少し迷ったあと、ゆっくりと緩慢に振り返り、「それ、聞いちゃいますか」と小さく笑った。
「そりゃあ聞くでしょう」逆落賭さんは言った。「様子が尋常じゃあないもの。どうせまだ体調は良くないんだし……、肩は貸してあげるから、話は全部聞かせてもらうわよ」
「……はい」不承不承、わたくしは逆落賭さんの言に従った。
言われた通り肩に腕を回して、わたくしと逆落賭さんは──実にゆっくりとした足取りで──、自室のある宿舎へと向かった。
途中、ゲートに行先を阻まれた。
逆落賭さんは片方の手で、四桁の番号を慣れた手つきで入力し、ゆっくりと扉が開くのを待って、宿舎のある土地へと足を踏み入れた。
「で?」逆落賭さんは言った。「どういう病気なのよ? 病名は?」
若干のためらいはありつつも、わたくしは、「なんて言うんですかね。体調不良で免疫が下がると、ウイルスか全身を巡って、衰弱が始まるらしいんですが……、どうも聞く限り、それだけじゃあ、ないらしく………」と言って、奥歯に物が挟まったような、ハッキリとしない説明を始めた。「とにかく、大変みたいですよ」
「どうも、要領を得ないわね」逆落賭さんは疑いのこもった眼差しを向けた。「どうせ、隠していることがあるんでしょう? 言いなさいよ」
「は、はい……」わたくしはしゃーなしに覚悟を決めた。「身体が衰弱しきったら、次第に呼吸が出来なくなって、最後には死に至るそうです。病名は──ノンブレス症候群」
「!」逆落賭さんはまるで乾燥を忘れたかのように大きく目を見開いた。
それは──四白眼だった。
瞼は限界まで開かれ──黒目の四方は全て、余すことなく白目に囲まれている。
要するにとても驚いていた。
地獄の走馬灯のように──
彼女はただ押し黙り、静止した身体を揺らさずに、ひたすらにじっと──過去と立ち会った時のように──、肚の底から驚いていた。
「その病気、は──」
びちゃびちゃびちゃ、と水気のある音がした。
彼女は──吐いていた。
口元を抑え、瞳孔は散大し、明らかに普通ではない様子だった。
わたくしは咄嗟に言った。「だ、大丈夫です──」
「平等院さん、今すぐ病院に戻るわよ」
「え? そ、それよりも」
言い切る前に、逆落賭さんは絶叫した。「──いいから!! とにかく、戻るわよ!!」
「……! は、はい!」
逆落賭さんの表情は歪んでいた。
まるで、何かに取り憑かれたような──
恐ろしい表情を浮かべていた。
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