2. ピンチの幕開け
舞踏会は、色とりどりの宝石を身に纏い、煌びやかなドレスやタキシードを着た人々でギラギラと輝いていた。
年に何度も開催されるこの舞踏会は、今回もいつもと同じような顔ぶれが、同じような衣装で同じような雰囲気の中、楽しそうに交流していた。
1つ違うことがあるとするならば、舞踏会の参加者たちが物珍しそうに「例の少女」を見ていたことだ。
(ジロジロジロジロ、珍獣を見るみたいに......。失礼な人たちね。でも今日はそんなことに構ってる暇はないわアベリア、青い髪と青い瞳を持つ男に気をつけなければ。青い髪、青い瞳、青い髪、青い瞳......)
アベリアが放つ鋭い眼光が四方八方に降り注がれる。
「もう少し穏やかな顔で歩いてくださいませんか、アベリアお嬢様。鬼かなにかと間違えられては私が困ります」
「OKOK」
(青い髪、青い瞳、青い髪、青い瞳、青い髪、青い瞳......)
アベリアはマロウを軽くあしらうと、中腰のまま物陰に隠れながら盗人のように歩き始めた。
アベリアは警戒しながらも、懐かしい景色に胸が熱くなるのを感じた。人の集まる場所。それは、父親が死んでからずっと避けてきた景色だった。
臆病だった母親と違い、魔女の恐ろしい予言に耳を貸さなかったアベリアの父親は、自身に与えられた予言を無視した結果、予言された通りの死に方をしてしまった。
それまで半信半疑であったアベリアも、その出来事によって魔女の予言の恐ろしさを確信し、自分に下された予言を受け入れざるをえなくなったのだった。
「ちょっと! どうしてお行儀よくできないんですかアベリア様、キョロキョロしないでくださいよ、そんな格好で! 執事として恥ずかしいったらないですよ」
「うるさいわね、私の命がかかってるのよ! てか、アンタも少しは警戒しなさいよ、主が死んだらアンタ無職よ!」
「別に会ったら死ぬってわけじゃないんですから、あ、お嬢様! 前!」
マロウの忠告に振り返るも時すでに遅し。アベリアは何かにぶつかり尻餅をついた。目を開けると、同じく尻餅をついたであろう少女がアベリアの前に倒れていた。
タレ目がちの瞳は銀色に輝き、蕾のように小さな唇、雪のように白い肌を携えた顔は大人の手のひらより小さいほどだ。髪は長く美しい銀色で、ハーフアップに結られており、身長はアベリアよりも10センチほど低いようだった。
「大丈夫? ごめんなさい、不注意だったわ」
アベリアは立ち上がり、銀髪の少女にスッと手を差し伸べた。
「こちらこそ、失礼いたしました」
銀髪の少女は丁寧にお辞儀すると、逃げるように群衆の中へと消えていった。
「大丈夫ですかお嬢様。今の方はたしか......」
「ねえマロウ、もう帰っちゃダメ? アリッサム家の娘が化け物じゃないってことは十分伝わったはずだし」
「せめてカタクリ伯爵にご挨拶されてから帰ってください。アベリア様のお父様お母様が亡くなったときに大変お世話になったんですから」
「うう、わかった。伯爵はどこにいるのよ」
「それが、先ほどから探してはいるのですが......」
「もしもし、失礼だが君、アリッサム家の娘のアベリアかな?」
低い声と共に、小太りの男がアベリアの目の前に現れた。ツヤのいい肌に顎髭を十分に蓄えており、大きな腹を覆い隠している白シャツに縫い付けられた8つのボタンは今にも弾け飛びそうだった。
「ええ、そうですけど」
「いやあ、なんだよかった。普通の人間だったみたいだ、ハッハッハ! 君、知ってるかい? あまりにも社交の場に顔を出さないものだからドラキュラにでもなったんじゃないかなんて陰口叩かれてるんだぞ、ハッハッハッハッハッ」
「お、おほほほほ。いやだわ、そんな噂信じるなんて。少し教養が足りてないのでは?」
「え?」
「いぃぇえ! なんでもございませんわぁ。ところで、カタクリ伯爵はどちらに?」
「ああ、カタクリ伯爵なら残念ながら今日は来られないそうだよ。用事ができたとかなんとか......そういえば、フロックス家もまだ来てないな。今日来るのは、長男だったかな? いや、次男だったかな?」
(え? 今、なんて?)
「フロックス家とおっしゃいました? あの? あの青龍の!?」
アベリアは目を大きく見開きながら、力強く男の両肩を掴んだ。
「え? 痛っ、うん。まだ到着してないみたいだ」
(まだ来てない!? よかったああああ。カタクリ伯爵もいないことだし、やつらが来る前にさっさとここを出よう!)
「マロウ! お腹痛いわ! 帰るわよ!」
アベリアは目にも止まらぬ速さで回れ右をすると、ドレスの裾をワシっと掴み、尖ったヒールの音を響かせながら扉へと急いだ。
「え!? もう帰られるのですか!? アベリア様! まだ踊ってもいないのに......」
群衆を掻き分けるアベリアの肘は止まることを知らない。その後を執事のマロウが必死に追うが、2人の距離はみるみるうちに離れていく。
そして、ついに扉の前にたどり着いたアベリアが扉に手を伸ばしたその時ーーー。
バタンッ
外から勢いよく開かれた扉に額を打ち付けられ、アベリアは2メートルほど吹き飛ばされた。
開かれた扉からは、白いタキシードを着た長身の男と、その男よりも一回りほど小さい男が出てきた。そして、そのタキシード男は彫刻のようなみごとな顔であった。
目尻のくいっと上がった目元に長いまつ毛が綺麗に並んでおり、その艶やかな髪や大きい瞳はサファイアよりも強く、青く輝きを放っていた。
アベリアは右腕を地面についたまま、折れたヒールと共にその男を見上げた。アベリアの胸元にある金色のネックレスが甲高い悲鳴を上げながら小刻みに震えている。
「シェドゥーブル・フロックス様よ!」
会場の脇から放たれたその一声を皮切りに、会場中の淑女が砂糖に群がる蟻のように扉の前に集まってきた。
(しまった! 青龍の人間だわ!)
運命の宿敵を前に、アベリアは硬直したままその場から動けずにいた。心臓が波打つ音がいつになく大きくアベリアの頭の中に響いている。
「失礼、お怪我は?」
シェドゥーブルは、アベリアの脇に落ちていた折れたヒールを拾い上げ、アベリアに向かって右手を伸ばした。目の前に差し出された細長い指を前に、アベリアは自分の冷や汗が額に浮き出るのを感じた。
そして、10秒ほど沈黙を貫いたあと、アベリアは目と口をを大きく見開いたまま、左右の尻を駆使しながら素早く後退りした。
「!? ど、どうかしましたか......」
シェドゥーブルがギョッとした顔をしてアベリアを追いかける。
「近づかないでっ!!!」
アベリアはひっくり返った老婆のような声を振り絞り、鋭くシェドゥーブルを牽制した。
その直後、アベリアとは別の甲高い声が会場に響き渡った。
「シェドゥーブル! 私のブローチ知らない!?」
先ほどアベリアとぶつかった銀髪の少女が涙を浮かべながらこちらへ走ってきた。そして、少女はシェドゥーブルの胸に勢いよく飛び込んだかと思うと、わっと泣き出した。
「どうした、ローゼル」
「薔薇の形をした赤いブローチよ! さ、さっきまであったのに、どこかへいっちゃったの! どうしよう......おばあさまの形見だったのに」
「落ち着け、家に置いてきたんじゃないか?」
「そんなはずない! ビルベルギアご夫妻にご挨拶したときには確かにあったもん! ほんとよ、美しいですねって言ってくださったのを覚えてるの!」
「アベリア様! ご無事ですか」
口を開いたまま床から動けずにいるアベリアにマロウが小声で話しかける。その声にアベリアは正気を取り戻した。
「ハッ......やばい、青龍から逃げなきゃ」
アベリアは独り言のようにそう呟き、隣にいるマロウと一度頷き合ったあと、忍び足で出口へと向かった。幸い、群衆の関心はブローチをなくした哀れな少女に向けられていた。
「どこでなくなったか思い出せないか?」
シェドゥーブルがローゼルの背中をさすりながら優しく尋ねた。
「わかんない。気づいてからずっと探し回ってたんだけど......どこにもなかったわ」
少女の大粒の涙が、なだらかな頬をつたいシェドゥーブルの手の甲を濡らす。真っ赤に染まった少女の瞳と対照的な冷たい銀色の髪が、しゃくり上げるたびに大きく震える。
シェドゥーブルは少し考えたあと、執事を指で呼び寄せた。
「扉を閉めてくれ。1人もこの屋敷から出すな」
「扉を? なぜでございましょう、シェドゥーブル様......」
「今から手荷物検査を行う」
シェドゥーブルの一言に、会場はざわめいた。
「まさか、私たちを疑っているのですか?」
大きな孔雀の羽が乗っている帽子を身につけた厚化粧の貴婦人が、キンキン声でシェドゥーブルを問いただした。
「そうだ。ローゼルのブローチがこの建物内で消えたのは確かだ。いくら探してもないのなら、大方この中にいる誰かが盗んだに違いない」
「失礼な」
「何様かしら」
会場は一瞬で怒りと不満の声に包まれた。しかし、会場内で一番不満を感じていたのはアベリアだった。
(さあいあく! 一人一人調べるつもり!? なんの権限があってそんなことするのよ!! てか、あの小娘、なんでそんな大事な物を人溜まりの中に持ってくるのよ! おかげで帰るタイミングを逃しちゃったじゃないの!!)
「シェドゥーブルのやつ、ローゼルのことになると見境なくなるからなあ」
アベリアのすぐ右隣に立っていた長身の男が眉を八の字にしながら呟いた。
「シェドゥーブル様のお知り合いなんですか?」
アベリアは居心地悪そうに右手の親指を噛みながら目だけをその男に向けて聞いた。男は、紫の癖毛を後ろで短くまとめ、髪と同様紫色のしだれまつ毛と高く上がった口角が特徴的であった。
「うん、幼じみ。まあ、もう何年も喋ってないけど。君は? あの暴君に会うのは初めて?」
「ええ、もちろん。それより、知り合いならなんとかしてくれませんか? わたくし、急用ができてしまって」
「ああなったら無理だね。あのローゼルって女の子のこと、シェドゥーブルは自分の命より大事に思ってるから」
(なによそれ、見かけによらず結構重いのね)
「そんな、困ります。早く家へ帰らなければ......」
ふいにシェドゥーブルへと視線を前方に向けたアベリアは思わず心臓が止まりそうになった。シェドゥーブルがこちらを見ている。
「ガウラ、お前からだ」
シェドゥーブルは、アベリアの隣の男を指差し言った。その一言に、会場は再び奇妙なほど静まり返った。ガウラと呼ばれた紫髪の男は、鼻先でため息を吐き、少し額を掻いたあと口を開いた。
「やだなあ、なあんで僕がローゼルのおばあちゃんのブローチなんか盗むのさ。彼女に恨みでもあると? それともひどい金欠だとでも思われてるのかい?」
「理由なんか聞いていない。無実だというのなら証明してみろ」
「残念だけど、僕は金には困ってないし、恨んでるのはローゼルじゃない」
アベリアは、シェドゥーブルを見つめるガウラの瞳に、一瞬影がよぎった気がした。
「いいからポケットの中にある物を全て出せ。念の為、靴と靴下の中、お前が使用人に預けた鞄の中も見させてもらうぞ」
「やだね。これからこのお嬢さんと急ぎのデートなんだ」
突然、ガウラがアベリアの肩を引き寄せて言った。
「ちょっと、なにすんのよ!」
アベリアはガウラの腕を振り払い、マロウの後ろに隠れた。マロウもアベリアを隠すように胸を張って仁王立ちし、ガウラを睨みつけた。
「俺とは嫌? 傷つくなあ。昔から顔には自信あったんだけどな」
(この、クソ紫頭! こんなときに私を巻き込まないでよ......! シェドゥーブルに顔を覚えられでもしたらどうしてくれるの!!)
「おい、その女もグルか」
シェドゥーブルが拳を硬く握りしめながらアベリアのいる方向へ歩き出した。
(やばい、こっちに来る!)
アベリアは急いで扇子を開き、シェドゥーブルから見えないように顔を覆った。
「いいえ。まさか、うちのお嬢様を疑っているのですか?」
執事のマロウはアベリアの前に立ったまま、静かに燃える瞳をシェドゥーブルに向けた。
2人は向かい合ったまま、お互いの顔をしつこく睨みつけていた。
「おい、下がれ執事。お前に用はない」
「なんの証拠があって、うちのお嬢様を盗人呼ばわりするのでしょうかシェドゥーブル様」
(ぎゃあ、だめ、マロウ! ここは無難に切り抜けないと! 感情的になってる場合じゃないでしょ!)
「よしなさい、マロウ」
アベリアは扇子で顔を隠し、なるべく平静を装いながらシェドゥーブルに問いかけた。
「私が自分の無実を証明できれば、今すぐにでもこの場から立ち去っていいってことよね?」
「ああ、その通りだ」
「わかったわ」
アベリアは小さく息を吐いたあと、マロウを見上げた。
「マロウ、鞄の中の物を全て出しなさい」
アベリアは、マロウが抱えていたアベリアの真珠に覆われた小さな鞄を指差し命令した。
「はい。お嬢様」
マロウはそう答えるとアベリアから離れ、シェドゥーブルの目の前で止まった。そして、シェドゥーブルよりも拳ひとつ分高い位置からギロリとシェドゥーブルを見下ろしたあと、片膝を地面につき、抱えていたアベリアの小さな鞄を逆さにした。鞄から、アベリアの愛用品が勢いよく飛び出してきた。
小鳥の刺繍がほどこされたハンカチ、桃色の瓶に入った香水、宝石が埋め込まれた手鏡ーーー。
「あ」
そして、薔薇をかたどった真っ赤なブローチが絨毯の上に転がった。
「アベリア様......。これは......」
マロウとアベリアの視線が重なり、アベリアの瞳にはマロウの困惑が、マロウの瞳にはアベリアの驚嘆した顔が大きく映る。
「これ......私のブローチ!!」
ローゼルが震える手で口元を押さえながら言った。大きな瞳から、再び涙が溢れ出てきた。
「ち、違う! 私じゃない! けど、え? なんで!?」
「で、ですよね、お嬢様! シェドゥーブル様、これは、なにかの間違いです......」
「盗んだ理由はなんだ」
シェドゥーブルは、アベリアに駆け寄るマロウを左手で制止しながらアベリアに近づいた。
「は!? 違うって言ってんでしょ!!! なんでアタシが......」
「金目当てか」
「金!? ぜんっぜん困ってないんだけど!! てか、お金がなくても......」
「嫉妬か。ローゼルは可愛いからな。......確かに、そこらへんのブスから恨みを買うことは今までも幾度かあった」
(バカかこいつ!!! 自分の好きな子が中心に世界が回ってるとでも思っとんのか!?)
「私がこの子のどこに嫉妬する要素があるのよ!
「なんだと?」
シェドゥーブルの額の血管が浮き上がったそのとき、シェドゥーブルは何か思い出したように片眉を歪めた。
「......そういえば、お前、さっき俺の顔を見て逃げたよな?」
「え?」
「逃げただろ」
「いや、それは......」
「どうして逃げた」
アベリアは思わぬ問いかけに動揺して扇子を床に落とした。シェドゥーブルの青い瞳がアベリアを貫き、その瞳を見た目返したとき、アベリアは全身が硬直するのを感じた。
そして、初めてアベリアは自分のつけている首飾りがカタカタと揺れ動き、耳障りの悪い音を立てていることに気がついた。
青き龍に近づいてはいけない。
10数年もの間、自分を蝕んできたその予言が幾十にも重なり執拗にアベリアを抱きしめる。早く、一刻も早くこの男の前から姿を消さなければ。
そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、アベリアの心臓と肺は恐怖によって不規則にのたうち回った。鼓動は秒針より速く、呼吸は回を重なるごとに浅くなる。
(なんでもいいわアベリア、なにか、なにか言い訳を......だめだ、苦しいっ)
「だから、それは......」
アベリアの目が泳ぐ。両手でこめかみを押さえたまま、ゆっくりとアベリアはその場にしゃがみ込んだ。冷たい脇汗が二の腕をつたい肘からポタポタと紅色の絨毯に降り注ぎ、遠のく意識のかわりに耳鳴りがアベリアを襲う。遠くからマロウがアベリアに何か叫んでいるがアベリアには届かない。
「だから? 言ってみろよ」
シェドゥーブルは瞳孔の開いた青い瞳でアベリアを鋭く見下ろした。
(だから、それは......っ、それは......)
アベリアは両手でぐしゃぐしゃに掴んでいた髪の毛を一層強く握りしめた。頭皮から1本、また1本と緑色の髪の毛が抜け落ちる。そして、13本目の髪の毛がブチっと切れる音とともに、アベリアはハッと息を吹き返した。
「......わ」
「なんだって?」
400個の目玉が会場の真ん中でうずくまっているアベリアを見つめている。アベリアは、無数の目玉の渦の中、一人ゆっくりと立ち上がり口を開いた。
「そうよ。私が盗んだわ」