91. マーガレットの嘆きと決意!
2025/5/20 修正済み
※ ※ ※ ※
マーガレット王太子妃はこの日から高熱を出して3日3晩寝込んだ。
その間、マーガレットは夢を見た。
真っ白い可憐なマーガレットの花が、辺り一面に咲くお花畑。
その中にマーガレットとロバートがいる。
二人は真っ白なマントみたいな服を着ている。
ロバートは花冠をマーガレットに作って頭に飾ってくれた。
笑顔のマーガレットを、優しく頭を撫でて抱きしめてくれるロバート。
──ああ、このまま時が止まればいいのに。
「とても幸せ」と、マーガレットは思った。
だが、いつしか抱きしめてくれていたロバートの体は、徐々に薄く消えていった。
サラサラの濃い金髪も、優しい蒼い瞳の笑顔も、温かく逞しい胸も、太い腕も、あとかたもなく消えてしまった。
殿下──。
いつも他の令嬢たちには仏頂面なのに、私にはとても優しい微笑みをしてくれた、たった一人だけの私の王子様。
※ ※
4日目の朝、マーガレットはようやく目が覚めた。
『王太子妃様、お目覚めですか?』
『キャリー?』
マーガレットはメイドのキャリーを見つめた。
『良かった、お気づきになって、お部屋の前で倒れていたんですよ、ずっと高熱で魘されてて、本当に良かったです』
王太子妃専属メイドの、バンビの様な顔をしたキャリーが、目に涙を浮かべてホッと安堵の表情を見せてくれた。
我に返ったマーガレットは慌てて言った。
『ね……キャリー、私どこの…部屋で倒れ……てた?』
『え、この部屋の前でしたけど……』
マーガレットはほっと安堵した。
そうか──思い出したわ。
あの恐ろしい会話を王妃の部屋の前で私は立ち聞きしてしまった。
あの時、私はあの場から慌てて立ち去ったんだ。
どうしても、王妃と王子の会話を聞いたのを誰にも悟られたくなかったから。
歩きながら胸が苦しくて、体中悲鳴をあげるくらい心も痛かったけど。
足がもつれながらも、なんとか自分の部屋に辿りついたんだわ。
だって私が王妃たちの話を知らなければ、今まで通り何もなかったように過ごせるのだから──。
『キャリー……お水が欲しい』
『はい、こちらにあります。ゆっくりとお飲みくださいませ』
キャリーはマーガレットの顔をあげさせて、吸い飲みのグラスを彼女の口に入れて水を飲ませた。
とても手慣れた手つきだ。
『今回は、いつもよりお熱が高いとお医者様が申してました、お目覚めになって良かったです』
とキャリーがゆっくりと、マーガレットが水を飲み終えるまで頭を支えた。
そうね。いつも私は寝込むから。
そうか……まだ誰も私が王妃と王太子から見放されたとは、王宮の噂にはなっていないのね。
でも、いずれはわかってしまうだろう。
王妃様は夏の避暑地の行幸で、殿下と公妾のお披露目をするといっていた。
その時には、王宮の全員がわかる。
マーガレットは、ゾッとするほど冷たい悪寒がした。
※
それから数日間、マーガレットはベッドの中でずっと考え続けていた。
王太子妃になって初めてわかったのだが、実家にいた時には考え及ばぬくらい、王太子妃は過酷な世界だった。
朝から晩までスケジュール刻みの生活。
午前は歴史や地理、語学、王族の役割等の勉強と午後は礼儀作法と、ダンスのレッスン。
時には王都の慈善事業の参加や、高位貴族との茶会、懇談会等、悲鳴をあげるほど目まぐるしかった。
ドレスも朝、昼、夕と3回も着替えなければならない。
着替えるだけで、マーガレットの虚弱な体は疲弊した。
それでもロバート王子が傍にいて気を使ってくれたから、マーガレットはとても幸福だった。
婚約発表して1~2年間は瞬く間に夢のように王宮生活が過ぎていった。
新婚当初は王子と一緒に寝室で寝ていた。
最初は数えるくらいだが寝屋もあったのだ。
だが、それが、何故かロバート王子はだんだんとよそよそしくなる。
マーガレットに触れる時も、せいぜい頭を撫でたり、抱きしめて優しくおでこにキスしてくれるだけになった。
だがマーガレットはそれで十分だった。
マーガレットは本当にウブだったのだ。
彼女は母親のセーラの教え通り、性生活もロバート王子に何も求めない、されるがままと、常に受け身でいた。
若いロバートがいつしかマーガレットを妻ではなく、妹のように接するようになっていく。
マーガレットが虚弱体質ということも、彼女に寝屋をさせる負担を感じて、王子は気おくれがしたのだろう。
ある朝──マーガレットが目覚めたら王子はベッドにいなかった。
マーガレットは、『ロバート様は、ご公務の疲れと自分の体を気遣ってくれたのだろうと』と信じた。
だがキャリー以外の家令たち。
いつも彼女を見下す、年老いた侍従や王室のマナーを教える教師がマーガレットに悪魔の如く囁いた。
『マーガレット王太子妃様、ロバート殿下は街で娼婦を買ってますよ』と。
『そうですか……』
マーガレットは微笑みながら、そう返すしかなかった。
内心、マーガレットは彼等が嫌で嫌でたまらなかった。
『そんな噂は聞きたくない!』と、両手で耳を塞ぎたかった。
誰かにそんなのは嘘だといって欲しかった!
この悪しき噂を耳にいれる輩たちマーガレットを見下していたのだ。
マーガレットも自覚していた。
普段から病弱でお妃教育もダンスも裁縫も、人並みにすらできないから私を見下してるのだと、マーガレットは気が付いていたのだ。
それでもマーガレットは、あえて彼等に愛想を振りまいた。
常ににこやかに、微笑みを絶やさず、いつも優しげに『はい』と頷いた。
本当は反抗したかった。
『控え折ろう! 王太子妃に向かってなんという侮辱だ!ただちに下がれ!」
と、マーガレットは悪しき輩に大いに叫びたかった、
でも……とても私には言えない。
マーガレットは思う。
だって、私は体がとても弱いんですもの。誰かに頼らないと生きていけない。
生まれた時から母や父や兄に、助けてもらう代わりに従順になるしかなかった。
それしか私の生きる術はなかったのだもの。
目上の親戚、メイド、従者、彼等のいう通りに、にこやかに笑って礼をいえば、彼等は私を助けてくれた。
母に云われた通りそれが美徳な淑女だと思うしかなかった。
そしてあの日、私に思いがけない僥倖が舞い降りた。
ロバート殿下は、エリザベスお姉さまではなく、私をロバート殿下は選んでくれたのだと。
それまで何一つとして、お姉さまに叶わなかった自分が、お姉さまが何より欲していたた王太子妃になれたなんて!
信じられない、なんてことでしょう。ああ夢なら醒めないで……と。
マーガレットはエリザベスに勝利した喜びで、内心、有頂天だった。
まさに、あの時がマーガレットのこの世の春だったのかもしれない。
※
今、マーガレットは絶望の沼につかってもがいている。
もがきながら、考え抜いたその先に──。
何かがマーガレットの心の中でパーンと弾けた!
痛い、
痛い、
体中がっても痛くてたまらない!
あはは、私はなんて愚かで間抜けな娘だったのか!
ロバート殿下の大うそつき!
貴方は始めから私なんて愛してなかったのね。
私がマーガレットの花のように可愛いなんて、戯言、すべて大嘘だったのよ!
何が王太子妃よ、何が王国一番の姫よ!
そんなの虚構に過ぎない!
ふ、単に私はお姉様の腹いせに利用されただけに過ぎない!
その内、マーガレットは哀しさと悔しさと、最後は激しい蜷局が巻くような憎しみがふつふつと湧き出てきた。
もうそれはずっとだった。
時間が経てば経つほど、マーガレットの心を這いずり回って心を蝕んでいく。
いつしかその矛先は、1人の令嬢に集中した。
誰に対して──?
心でマーガレットは己に問う。
──あなた、本当にわからないの?
ロバート王子もメルフィーナ王妃も、噂好きの宮廷侍女も、小馬鹿にする年寄侍従たちも、厳しい先生も、全部が大嫌い。
私を見下してあざ笑う、王宮のみんなが憎い──!
だけど、この元凶を作ったのは、エリザベスお姉さま、あなただわ!
そうよ、私は、昔っからエリザベスお姉さまが大嫌い!
誰よりもエリザベスお姉様が憎い!
全てはお姉様がいけないのよ、お姉さまの妹に生まれたのがそもそもの間違いだったのよ!
我が身を忌み呪うわ。
なぜ、あの女の妹に生まれたのか!
私はエリザベスお姉様の緑色の眼が大嫌い!
銀の流れる髪が大嫌い!
美しすぎるお顔が嫌い!
ダンスも勉強も乗馬も、傲慢な性格も何もかも、私には逆立ちしても持てない、全てを持っていなさるお姉さまが嫌い!
ふふふ、知ってるお姉さま?
お姉さまが私をいじめる度に、お母様のドレスに隠れて私はあなたにあっかんべーをしてたのよ。
お姉さまなんて消えて無くなっちゃえばいい!
みてなさい、エリザベス! 私はこのままで朽ち果ててたまるものか!
死んでも、絶対に世継ぎを産んでやる!
マーガレットの清き心の奥底に眠っていた、どす黒い闇がまさに、今、目覚め始めてしまったのだった。
※ マーガレットはダークサイドに陥ってしまいました。とても気の毒ですね。
この元凶を作ったロバートが許せません。




