90. メルフィーナ王妃の命令
※ 2025/5/19 修正済み
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梅雨の前、風薫る5月に遡る。
クリソプレーズ王宮殿内──。
今年も王宮殿内のローズガーデンは、赤やピンクの美しい薔薇が咲き乱れている。
王宮内の庭師が精根込めて大切に育てた成果である。
特に今年は、真っ赤な大輪の薔薇が例年より大きな花びらを咲かせていた。
白や黄色、ピンクの小粒の薔薇も確かに美しいが、大輪の赤い薔薇はクリソプレーズ王国では人々に一番人気が高かった。
先日、ロバート王子とマーガレット王女の結婚5年目の祝賀会が盛大に行われた。
原則、王族の儀式は高位貴族の長は全員出席と決まっている為、ルービンシュタイン公爵夫妻も出席をした。
エリザベスは、昨年の国王生誕祭以来から、妹のマーガレット王太子妃と月に1,2度ほど頻繁に会うようになった。
この日も、結婚記念式典の後、エリザベスは王太子妃宮の中庭のテラスでお茶を飲んでいた。
姉妹同士、話が弾んでいるようで明るい笑い声が遠くからでも聞こえている。
日頃は静かなマーガレット王太子妃も、姉のエリザベスが来ると若い娘らしく明るくなるようだ。
エリザベスとマーガレットを遠くで眺めてる女性が2人いた。
メルフィーナ王妃とお付の侍女である。
侍女はロザリ―という。
王妃の右腕といわれている宮廷侍女の中でもトップの女性だ。
常に冷静沈着。王妃の懐刀ともいうべき知性の持ち主だった。
『ロザリー、お前はあの二人を見てどう思うか?』
『王妃様、それはどういう意味でしょうか──』
『あの二人はお前から見てどちらが王妃に相応しいと思うかだ!』
『王妃様、つまりそれは……』
ロザリ―は顔にはださなかったが、内心動揺を禁じ得なかった。
メルフィーナ王妃の表情がいつもと違って尋常ではないほど険しかった。
※ ※
翌日、ロバート王太子は、早朝からメルフィーナ王妃の部屋に呼び出された。
『ロバート、貴方とマーガレットは結婚して何年経ちましたか?』
『はあ、先日の式典でご存じと思いますが、既に5年経ちました』
ロバート王太子は、ああ、またいつもの母の世継ぎの文句だなと悟った。
『5年も経っているのに、なぜ未だに子ができない!』
『ええ、こればかりは致し方なく……』
のらりくらりとかわすロバート王太子。
『もう良い、お前の言い分はいい加減聞き飽きた! 前からいっていた側妃も作らず子もなさず、お前は子を持つ気があるのか?』
王妃の口調はいつもより厳しい。
『母上……マーガレットはまだ22歳ですよ』
『まだではない、もう22歳だ。マーガレットのあの体では、御子は無理だろう。それに──なによりお前がマーガレットに興味を持ってないではないか!』
『母上、そ、それは……』
『母が知らぬとでも思ったか。お前はもう何年もマーガレットと寝屋を共にしておらぬ』
『!?…』
『なのに、お前は私が用意した側室すら決めず、あろうことか王都の娼婦館ばかり通いづめているとな。その内に異国の奴隷女を孕ませて、母子を私に紹介して妾にしたいというのが落ちだ!』
『……』
ロバート王太子は、王妃に図星を指されて何も言えなくなり黙り込んだ。
王子は若い頃から、王子の自分におべっかばかり使う、貴族令嬢たちには嫌気がさしていたので、どうしても側室を作りたくなかったのだ。
彼が娼婦館に通うのは、王子という重い立場を忘れたかったのだ。
プライドばかり高く、ツンと澄ました貴族令嬢より、よほど娼婦の方が、ストレートに自分に甘えてきて王子にしてみると可愛いと思えた。
特に“ラピス・ルージュ・ラズリ”の美女の娼婦エバとの関係はまだ続いている。
ロバートはエバをとても気に入っていた。
だが奴隷娘を、王太子の側室にするのはこの国ではありえない。
ちなみに、エバはいまだにロバートを“フレディ子爵”と思い込んでいた。
※ ※
『ロバートよ、今日はお前の母ではなく国母として王太子に命令する。この夏までに公妾を作りなさい。そして一日も早く跡継ぎをもうけるのです』
『は──?』
『二度はいわない、母が決めた公妾候補がいるから、その中から選びなさい。これは王妃としての命令です。すでに国王の許可も取って、期限は夏まで。公妾の発表はセルリアン領の、サマーフェスティバルの舞踏会でします』
『そ……そんな横暴です母上。私はともかくマーガレット王太子妃が哀しみます!』
『だまらっしゃい、王太子妃を盾にとるなんて、心にもないことをいたすな!』
『本当です。マーガレットは身体も弱いが、心も繊細です。公妾なんて聞いたら卒倒するでしょう』
『お前にマーガレットを庇う資格などない。お前は姉のエリザベスに、振られた腹いせにマーガレットを娶ったのを私は承知しているぞ』
『は、母上、なんでそれを……』
ロバート王太子は突然、王妃の口からエリザベスの名が出て狼狽える。
『ふん、幼少の頃からお前がエリザベスを気に入って、バレンホイム家に見張りを付かせてたのも、全て承知している。お前は王子という立場にありながら、妹を利用してエリザベスに報復したかっただけであろう。最初からマーガレットに愛情などはなかった』
『母上、それは……』
ロバート王太子はその場でがくんと膝をついてしまった。
立っていられない程動揺してしまったのだ。
『だがな、ロバート。お前の気持ちは理解できる。それほどエリザベスを好いていたのだから──だからお前にチャンスをやろうと思う。公妾の候補にエリザベスも入れた。後はお前自身の力で、エリザベスの心を射止めなさい』
『はあ、母上、エリザベスはエドワードの妻ですよ、それはありえません!』
『いや、この王国の法では、たとえ他人の妻とも公妾にはなれる。また公妾に王の跡継ぎが出来れば、国母となる権利を行使する為に現王太子妃の降格も可能だ──確かそうだったな、ロザリ―?』
とメルフィーナ王妃は侍女のロザリ―に確認した。
『左様でございます。王妃様。この王国の憲章にそう記載されております』
侍女のロザリ―は冷静沈着にいった。
『なんと……ですが母上、エドワードが承知しませんよ。マーガレットだって実の姉が国母になったらどう思うか……』
『そうかのお? 密かに調べたがエドワードとエリザベスは別居して不仲だと聞く。もう子は作る気はないと、エリザベスはエドワードに言ったそうだ。つまりエリザベスは、エドワードに愛情はないのだろう。貴婦人が、嫡男を作りたくないというのはよほど夫との仲は冷え切っているのではないか?』
『いや、それには理由が…………』
とロバート王太子はいいかけて突然黙ってしまった。
なぜだか──娘のリリアンヌの足のことを、王妃に教えたくなかったのだ。
ロバートの心はまだエリザベスに未練があった。
彼の気持ちはこうだ。
もしも王妃のいう通り、エリザベスが自分の公妾になってくれたら正直嬉しい。
彼女だって、昔は王妃になりたくて自分にやたらと付きまとっていたのだ。
今なら俺はエリザベスをあんな邪険にはしない。
俺はもとからエリザベスが好きだ。
もしかしたら、まだ望みはあるかもしれない?
そうしてエドワードは仮面舞踏会で踊ったエリザベスを思い出した。
緑の女神のコスチュームをした彼女はとても美しかった。
やはり俺はエリザベスが好きなんだと。
だが、リリーはどうする?
リリーは捨ててもいいのか?
ロバート王太子の中では、いろいろな葛藤が押し寄せてきた。
※ ※
その時、王妃の部屋の近くで、二人の話をたまたま盗みききしていた妃がいた。
──そんな、そんな、そんなのって……。
そこにいたのはマーガレット王太子妃だった。
王妃の部屋に、ロバート王太子がいると知って、朝摘みのマーガレットの花を持って、王妃と王子に渡そうとしたのだ。
以前、マーガレットはまだロバートと婚約当時に、彼がマーガレットに話した事があった。
『マーガレットの花は小さい花だけど、健気で清楚で品がありとても可憐だ。マーガレット嬢、まさに君だよ!』
とロバート王子の口調は辿々しかったが、誠実な愛の告白をされた時があった。
17歳の誕生日プレゼントには、ロバートは、王太子妃の宮に溢れるくらいマーガレットの花を飾って、マーガレット嬢を驚かせてくれたのだ。
それから毎年のように、王太子は誕生日にマーガレットの花を贈ってくれた。
だんだんと本数は減っていってしまったけれども…………。
──殿下、あれは、あの時の気持ちは偽りでしたの?
思わずマーガレットの腕から落ちて、床に散らばったマーガレットの花たち──。
マーガレット王太子妃は、その場に崩れ落ちそうになった。
※ ロバートは最初、けっしてマーガレットを愛してなかった訳ではない、だが今は……精神的にはマーガレットにも愛情はあるのだと思います。




