71. エリザベスの揺れる想い
※ 2025/5/8 修正済
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王都にも今年初の木枯らしが吹き、とても寒い一日となった。
行き交う人々の中には、温かな冬の毛皮のコートを着る人も増えだした。
公爵別邸──。
ここ2週間くらい、エリザベスは外出もせずに邸の中で悶々と悩んでいた。
あの仮面舞踏会からずっと塞ぎ込んでいる。
身体の体調よりも、心が不安定になっている。
昨日もグレースとの約束を、当日断ってしまったほどだ。
『エリザベス様、最近お食事が進まないようですが、どこかお体が優れないのでしょうか?』
食堂テラスで、エリザベスが朝食を大分残したのを見て心配している。
『大丈夫よ、サマンサ。仮面舞踏会で少し踊りすぎて無理したせいよ。休めばまた元に戻るから心配しないで。ねえ、紅茶のお代わりくれるかしら』
と給仕に言う。
『はい、かしこまりました。』
給仕がお茶の支度をする。
サマンサは『それならいいのですが、今日の午後は旦那様が王都に立ち寄るので夕食はご一緒にされますか?』
『え、旦那様が一体何故──?』
と寝耳に水のようなエリザベス。
『確か、2,3日前にお手紙は来てましたはず、明日の王室での懇親会に御一緒に出席なさる為なのでは?』
『は、そうだったわ。明日の国王様の御生誕パーティーで、旦那様は呼び出されていたんだわ』
エリザベスはすっかりエドワードがタウンハウスへ来ることを忘れていた。
──こんな時に、旦那様と会うのは気が進まないわ。
エリザベスは心が整理できてないのか、エドワードにあったら、もっとかき乱されそうになる気がした。
夫のエドワードは、毎年セルリアン領地から、春と秋に娘のリリアンヌと2週間程度のみ滞在するが、それは既に9月に終わっていた。
11月ともなると領地は冬の訪れが早いので、天候も悪くなる。
エドワードの場合は単身、馬に乗っても来れるがそれでも4〜5日はかかるほど王都は遠い。
王室主催でなければ領地の仕事が優先で、こちらには滅多に足を運ばない。
今回は国王記念の生誕祭なので特別だった。
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エリザベスの心が揺れているのは、仮面舞踏会の嵐の晩、謎の仮面男と同意なき一夜のせいであった。
一夜とはいってもほんの何時間程度で、エリザベスの必死の抵抗もあり寝屋は共にしなかったのだが──。
あの時、男がした強引な口づけをエリザベスは毎晩思い起こされて仕方がないのだ。
──ああ、わたくしどうしちゃったのかしら?
なんであの男の顔が、こうもちらついて頭から離れないのか。
あんな野蛮な破廉恥なキスした男なのに、どうしても離れられない。
エリザベスはあの時を、何度となく思い返していた。
確かに部屋は嵐の晩で暗く、男は仮面を外さなかったから、顔はわからなかったが、見た目は非常に魅力的な男であった。
何よりもあんな紫色の瞳は見たことがない。
それほど美しい水晶が輝く瞳であった。
そしてあの捻くれたような、ニヤけた薄い唇は赤く妖しい魅力を醸し出していた。
──あと、あの男から不思議な香りがしたわ、一度も嗅いだことのない香りが。
なんとも摩訶不思議な世界へ誘惑されるような…心地の良い香りだった。
やはりあいつは人ではなく、悪魔の手先だったのではないだろうか…
『おお怖っ…』
エリザベスは身震いを禁じ得なかった。
あの夜、部屋に戻った時はグレースもテレサもグッスリと寝入っていた。
エリザベスはホッとして、そのまま自分もベッドに潜り込み、朝も何事もなかったように、2人と接することが出来た。
大丈夫、誰にも気が付かれてない。
多分、あれは嵐の夜の夢だったのよ。
それにあんな野蛮な男が貴族のわけがない。
『わたくしが緑の女神とか、わたくしの夢で会った』
とか、理由のわからないこといってたし、きっと頭のおかしい異常者だったのよ。
やはり仮面舞踏会なんて行かなければ良かった。
お母様の忠告は正しかった──。
カールお兄様もすぐに帰れといってくれてたのに。
エリザベスの瞳には悔しさと憤りで涙が滲んできた。
──もう二度とあんな魔モノがいる場所には足を運ぶものか!
エリザベスは夢と思いながらも、しっかりと己を反省していた。
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『どうしたエリザベス、なんだか顔色が良くないみたいだが?』
エドワードは帰宅した際に、すぐにエリザベスの様子を案じた。
結婚して既に5年が経過した。
公爵の爵位を継いで6年と、エドワードもだいぶ領地に携わる仕事も多くなり、領主として益々貫禄がついてきた。
それでも出会った頃の精悍さは変わることなく、外見の美貌も衰えてはいない。
エリザベスは『何でもないですわ、このところ寒さが増して気分が優れないだけです』と応えた。
──旦那様は、すぐにわたくしが元気ないと心配してくださる、お優しい方だわ。
エリザベスの胸は更に苦しくなった。
昼下がりのテラス内──。
エドワードが帰ってきて、一緒に遅めのティータイムをしていた。
今日のお茶は、クリソプレーズでは珍しい珈琲だった。
エドワードが舶来の珈琲を購入して来てくれたのだ。
この珈琲は、娼婦館でロバート王太子が勧めた貿易商から購入したものだ。
あれからエドワードはたまに飲むようになった。
『どうだい、初めてのお味は?』
『とても美味しいですわ、苦みと香りがいいですね』
『そうか、良かった。君は薔薇茶や林檎とかフルーツ茶が好みだから口に合うか心配したよ』
『そうですわね、フルーツ茶は果物の香りが好みなんですけど、珈琲の香りはなんていうのか、ダンディズムな男の人の香りがしますわ』
『ダンディズムな男の香り?はは、君は面白いことを言うなあ』
楽しそうに笑うエドワード。
エリザベスはダンディズムで、ふと思い出した。
──そうだ、あの男からもこの珈琲と似た香りがしたわ。
この琥珀色の独特の香りがする飲み物は、あの野性的な男によく似合う気がした。
『?⋯…エリザベスどうした?』
どうやらエリザベスのカップを持った手は震えていたらしく、眼の前のテーブルからエドワードが心配して隣に座って来た。
エリザベスはエドワードが傍に座ったことすら、気が付かなかった。
『どうした、やはり珈琲は苦手かな?』
と蒼い瞳の眼差しが優しくエリザベスを見つめていた。
『あ、旦那様……』
──なんでいつもわたくしに優しい言葉をかけるの?
わたくしは⋯⋯あんな⋯⋯
エリザベスは堪らずに、エドワードに抱きついた。
『エリザベス…?』
エドワードは少々たじろいだ。
──妻に抱きつかれるなんて、いつ以来だろうか?
『旦那様。ごめんなさい、ううっ…えっ……』
エリザベスは後悔の念なのか、エドワードの中で泣きじゃくる。
『どうしたんだい、子供みたいに…』
と言いながらも、エリザベスの頭を優しく撫でた。
正直、エドワードは妻が甘えてくれて嬉しかった。
──だが⋯⋯どうしたんだ?
リズが私に抱きつくなんて⋯⋯それも泣いて⋯⋯
暖炉の火は赤くパチパチと音を立ててよく燃えている。
外は木枯らしが吹いてとても寒いが、2人が過ごす空間の邸内はとても暖かい。
この日、ルービンシュタイン夫妻は、久しぶりの居心地の良い時間を過ごした。
※ 2月から初投稿して、今日でひと月たちました。
思った以上に読んでくれる方が沢山いてありがたいです。
3月半ばで投稿数がガクッと減ったので、4月は初心忘れずにガンガン投稿していきたいです。
もしも暇つぶしに続けて読んでくださる方がいましたら誠に幸いです。
本当にいつも有り難うございます。
これからもよろしくお願い致します




