64. エリザベスの噂とグレースの素顔
2025/5/5 修正済み
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エリザベスがタウンハウスへ移り住んで、3年目の秋が来た。
エドワードとエリザベスの仲は相変わらずの関係だ。
それでも、王室主催の催事や懇親会、親族の慶弔儀式には夫婦同伴で参列した。
エドワードと娘のリリアンヌは春と秋の2~3週間は公爵別邸に滞在して、その時だけは“みどりの日”の祝日のイベントやパーティーなどの家族の団らんはしていた。
エリザベスも初年こそ王都が冷夏で帰省しなかったが、2年目3年目の夏は涼しいセルリアン領の本邸に帰省して、7月には夫と娘の誕生日会の親子の最低限の交流はした。
しかし、表面的には穏やかな家庭生活に見えるが、明らかにエリザベスは夫と娘から距離を置いていた。
家族や親族以外、ルービンシュタイン公爵家の家令たちも、自然と暗黙の了解になっていた。
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10月のある午後、エリザベスはグレースの王都のベリドット通りにある、オートクチュールサロン“QueenBee”(クイーン・ビー)で衣装合わせをしていた。
ローズ公爵夫人こと、グレースの開いたプレタポルテ“Queen Bee"(クイーン・ビー)店の専属モデルになったエリザベス。
彼女の頑張りもあって大繁盛となり、開業してから3年程で王都でも1,2位を争う人気店となった。
元々、既製服の概念が乏しい国だ。
平民でも身内に服を作ってもらうか、裕福な家では生地屋で購入した生地を、専門の仕立て屋に持っていき、服を作ってもらうのが主流だった。
それがプレタポルテの店では、一歩中へ入ると、等身大のマネキンたちが美しいドレスや可愛いワンピースを着て、見ている女性たちを夢のモードの世界へと誘うのだ。
来店した女性たちは、その場で自分が気に入った服を何着か試着して、好きな服を購入するこの方法がとても画期的に感じた。
特に若い令嬢や平民の娘たちには、“クイーン・ビー“の服を着て街を歩いている女性は憧れの的となった。
並行するようにオートクチュール店にも、巷の噂を聞いて、高位貴族や裕福な夫人たちが足を運ぶようになった。
その奥の一番広い休憩室のティーサロンには、グレースとエリザベスが衣装合わせ後に、ティータイムを楽しんでいた。
『ねえエリザベス、貴方“仮面舞踏会”ていったことあるかな?』
──「あるかな?」って公爵夫人らしからぬ言葉づかいね。
エリザベスは最近わかってきたが、グレースは親しくなると普段の会話が男言葉になる。
男兄弟が多かったせいなのか、本来は元々こういう女性なんだろう。
『──いえ、無いわ』
『あら、勿体ない。あんな面白くてワクワクする舞踏会は他にはないよ。あなたも是非一度は体験してみない?』
グレースは体が前のめりになるくらい楽しげに、エリザベスを誘導する。
『──来週の土曜、国立オペラ座で開催されるんだ。先日、ようやくある客人のコネを利用してチケットが手に入ったの──仮面舞踏会は王都民の間でも、大人気の舞踏会だからぜひ一度は行くべきだよ──特に今年は仮装舞踏会も兼ねてるから、平民も2部から参加できるし大盛り上がりになる──ね、ぜひ一緒にいかないか!』
グレースは興奮してるのか、いつも以上に瞳を七色に輝かせて早口で捲し立てる。
『グレース、せっかくのお誘いは嬉しいけど、わたくしはお断りするわ』
ジャスミンティーを静かに飲むエリザベス。
『え、なぜ? せっかくチケット2枚取れて一緒に行こうと思ったのに…』
『ごめんなさい、他の方と行ってちょうだい』
『なぜ、そんなに拒むんだ? 何かいけない理由があるのかい?』
グレースはなかなか引き下がってくれない。
『実をいうと、仮面舞踏会は少女の頃から、お母様に止められてるの。淑女が顔を仮面で隠す舞踏会なんてはしたないってね』
『あらまあ、ビックリですわ!』
──なに、彼女はもしかしてオカマ? おかしな人ね。
エリザベスはグレースの言葉遣いが、女になったり男になったり面白くて仕方がなかった。
エリザベスは『わたくしも、仮面舞踏会は余り良いイメージがないのよ。破廉恥な輩が集まるパーティーだってね、お友達の夫人にも、以前勧められたことあったけど、その時も断ったわ』
『リズ、貴方って一体幾つなのよ!』
『え、22歳になったけど……』
『もう、信じられない、いまだにお母様のいいつけを守ってるとはね。あなたって噂とは全く違う箱入り娘なんだね~』
とグレースはジトーっと榛色の目を細めていう。
『わたくしの噂って?』
『あ……ごめん!──つい⋯⋯』
グレースはうっかりしたと、口を手で押さえて謝った。
『気にしてないわ。グレース、でも私の噂って何かしら?』
ちょっとカチンと来てるエリザベスの声の響きだ。
『──気を悪くしたら謝るよ、これはあくまでも私のお店にきた貴婦人がたの噂だけど──あ、あなたとご主人のエドワード公は別居してるでしょう。だから、その⋯⋯あなたは色々な殿方と、逢瀬を重ねてるのではないか、と巷では囁かれているんだ……』
グレースは、ジャスミンティーを申し訳なさそうにちびちびと飲んだ。
『ああ、それは知ってるわ。わたしだけ王都のタウンハウスに、年中いるのは不自然ですものね』
『え、知ってるんだ?』
『そんな噂は昔からよ──元々わたくしって見かけがこうだから、独身の時から“売女“だの“夜の女王”だのと、特に振った子息や年寄り婆さん連中から散々陰口いわれてたからもう馴れたわ』
『リズったら、年寄婆さん連中てアハハ! 口が悪すぎ、可笑しいよ──!』
とグレースは大口開けて大笑いする。
『あ、わたくしったらいけない。淑女なのにいいすぎたかしら──』
──あ、でも口が悪いって、グレース、貴方に言われたくないわよ。
『でも、エリザベス、あなたってちっともそうじゃないのにね。逆に私の方が自由奔放だと思うよ』
『え、グレースって、ご主人以外の方とお付き合いしてるの?』
『ふふ、それはないけど……私、まだ20代だからさ。結婚もときめかなかったし、一度は恋のアバンチュールしてみたいんだよ』
『確かに17歳で結婚して、今まで恋もせずにおまけにご主人が年寄すぎたわね……』
──関係ないけど、グレースって旦那様の前ではどっちの言葉使ってるんだろうか?
エリザベスはふと思った。
『うん、息子は可愛いけど私の事業のせいで、たまにしか会わせてもらえないし、ちょっと淋しい』
『そうなのね──』
グレースには今年10歳の男の子がいる。
ローズ公爵は妻が事業をしていることに、反対はしてないが嫡男には余り良い影響を与えないと判断して、息子は乳母にまかせきりだという。
グレースは形式だけの母親なのだ。
──グレースの息子思いの気持ちを聞くと、わたくしのリリーの態度は本当に最低だわ。
だって、母親のわたくしが、娘と会うのを拒否してるんだから。
『ねえ、エリザベス、だから一生のお願いだよ。私、絶対にこの仮面舞踏会に行きたいんだ、それも貴方と行きたい。行けば絶対に楽しいと思うよ!おまけに今年は国立のオペラ座で開かれるんだよ!──あの絢爛豪華な大階段や上下二段の大シャンデリアの列と、天井の名画の王宮広場に足を運んでみたくならない?』
『確かにオペラ座はとっても魅力的だわね。でも仮面舞踏会は不安だわ』
『大丈夫、実は仮面舞踏会のオーナーのX卿は王族だって噂だよ。いつも王宮騎士団が厳重に警備してる。多分、参列者の中に王様や王太子の王侯貴族も来てるはずだよ、だから危険な目にあってもすぐに助けてくれるさ』
『そうなの? 王族が主催だったなんて知らなかったわ』
──それならロバート王太子や妹のマリーも来るのかしら?
ふとエリザベスは王太子夫妻を思った。
最近は王太子妃の具合が、余り良くないとちらほらと聞く。
なぜだか、エリザベスは妹のことを心配した。
あの子も既に21歳だ。
ただでさえ気が弱いグズグズなのに──跡継ぎができないことも王太子妃にとっては不安の種なのではないか。
わたくしだったら、毎晩王子と無理矢理でも寝屋を共にするわよ。
『ねえ、エリザベス、一緒に行ってください! 一生のお願い!』
とグレースはエリザベスの手を掴んで懇願する。
『わかったわ、正直、あなたの話聞いて仮面舞踏会に興味が湧いてきたわ。オペラ座も久しぶりに行ってみたいしね』
『やった! ありがとう、とても嬉しい、ああどんな衣装を着ようかな、ビーのデザイナーと相談しなきゃ!』
エリザベスにべったりと抱きつくグレース。
『グレース、あなたならどんな衣装でも見栄えがするわよ』
『というよりも男装か女装どっちにしようか迷ってるんだ。お相手は殿方でも淑女でもいいし』
『ええ? あなた淑女ともアバンチュールしたいの?』
『あ、深く考えないで、これは単なる遊びだから』
エリザベスは驚きをかくせなかった。
──グレースって同性趣向もあったなんてびっくりだわよ。
エリザベスは
『グレース、なんだかあなたが少し怖くなってきたわ………』と言った。
『大丈夫、リズを襲いやしないよ、私は小柄なタイプが好きなんだから』
グレースは茶目っ気たっぷりに、またしても瞳を七色に光らせる。
『わわわわ、鳥肌がたってきたわ!』
とわざとブラウスをめくって、片手の肘をグレースに見せるエリザベス。
冗談はともかく、エリザベスは自分より6つの年上の中性的なグレースを弟のように可愛いと思った。
“仮面舞踏会”は確かに、エリザベスの母のいう通り、華やかながらも、享楽を求めた毒々しい仮面を被った男女が蠢くような、淫らな喧騒の世界を思わせる。
この時、まだエリザベスは嫌な予感も、微かにあったのかもしれない。
この仮面舞踏会で、自分の運命を変える男性との出会いが待ち受けていたのだ。




