63. 家族の肖像
2025/5/5 修正済み
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公爵別邸の1階のエントランス。
エリザベスは、メイドのサマンサから受け取った日傘と金糸刺繍が施されたポシェット、そして帽子を被り王都の街へ外出をする。
玄関先には執事のアレクが立っていた。
『アレク、今日はローズ公爵夫人のお店の帰りに、夕食も彼女と済ませるからディナーはいらないわ。夜には戻ってきます』
『はい、エリザベス奥様、お気をつけていってらっしゃいませ』
本来アレクは公爵領本邸の執事なので、王都のタウンハウスは不在なのだが、エドワードが王都に行く時は常に同行していた。
『旦那様はまだ帰ってこないの?』
『──はい、昨晩、何もいわず街へ出たようですが、屋敷の馬車を使わずにどうやら歩いていかれたようで⋯⋯まだ帰宅しておりません』
『そう、心配だわね、旦那様どうなされたのかしら』
エリザベスの顔が少しこわばった
──珍しい、旦那様が無断外泊なんて……もしかして、昨日、旦那様にわたくしと争いしたせいかしら?
※ ※
昨夜、エドワードがエリザベスの寝室に来たとき
『二度と子供は作りたくない、跡継ぎが欲しいなら側室を娶ってください』なんて──。
今思うと、いくらカッとなったとはいえ、妻として恥ずべき態度だったと朝になって後悔していたのだ。
わたくしったら、どうしてあんな暴言を吐いたのだろうか?
多分、いつぞやのグレースの結婚話で、感化されたのかもしれないわ。
グレースは、夫と自分の親たちが勝手に結婚を決めて、嫡男を産むために父親以上の年齢の男に嫁いだ。
女は子供を産むための道具にした婚姻に、わたくしは他人事ながら、少々腹が立っていたのかもしれない。
『奥様……どうかされましたか?』
側にいたサマンサがエリザベスの様子に心配する。
『あ、何でもないわ…⋯ただ旦那様に限って珍しいわね。どうしたのかしら』
エリザベスはアレクを見た。
『はい、何の連絡もなしに出かけることは、めったにないので少々心配しております』
アレクの顔は青褪めていて、本当に心配しているようだ。
『…………』
エリザベスもだんだんと心配になってきた。
その時、ガラガラガラと通りで音がした。
外を見ると、屋敷の入口の玄関前の道に1台の馬車が止まった。
ドアから出てきたのはエドワードだった。
『ありがとう、釣りはいらないよ』
といって、馬車の従者に一枚の金貨を渡す。
門番がエドワードに気がついた。
『おかえりなさいませ、旦那様!』
『ああ、ただいま──』
門番は入り口の扉を開けてエドワードが屋敷に入って、重い足取りでエントランス前のポーチを歩いてきた。
『旦那様!』
アレクが慌てて駈け寄りエドワードの被っていた帽子をすぐに受け取る。
『おかえりなさいませ、旦那様、とても心配致しました!』
『──アレクすまない、夜中、急に街へ行きたくなってしまって……』
『いえ、ご無事でなによりです、本当にお戻りになられて良かった⋯⋯』
アレクはほっとしたのか、いつもの冷静沈着の物言いではなかった。
よく見ると、エドワードの黒のジャケットはうす汚れてて、タイもよれよれだった。
エドワード自身もやつれた雰囲気だ。
心なしか、顔もむくんで酷く疲れているように見えた。
それもそのはず、昨日の夜エドワードは泥酔した後、お忍びで娼婦館で外泊したのだ。
もしもあの晩、ロバート王太子に捕まらなかったら、エドワードは一体どうなっていたのやら。
※
『旦那様、お帰りなさいませ…』
エリザベスもエドワードの側へ寄ってきて挨拶をした。
『ただい……!』
エドワードは、エリザベスを見た途端、浮腫んでいた瞼の中、碧眼は大きく見開いた。
エリザベスが陽光の中、余りにも美しく輝いて見えたのだ。
思わずエドワードは言った。
『ああ⋯⋯エリザベス今日はすごく綺麗だ⋯⋯これから出かけるのか?』
『は? あ、ありがとうございます。これからローズ公爵夫人のお店へいってきます──今夜は遅くなりますので、申し訳ありませんが夕食はご一緒できません』
『ん……そうか、いいよ、いいよ⋯⋯気をつけて行っておいで……』
『は、はい旦那様、いって参ります』
エリザベスは戸惑った。
今のエドワードのとても優しい言葉が意外だったからだ。
──何か変ね、旦那さま、どうしたのかしら?
てっきり昨日の夜の事で、旦那様はわたくしの顔すら見たくないだろうと思ってたのに⋯⋯。
それに服装もヨレヨレで、何かとても疲れて見える。
だけどその表情⋯⋯。
昨日とは違う、とてお優しい瞳をしているわ──。
※ ※
エドワードがエリザベスを綺麗だといったのも当然だろう。
今日のエリザベスはいつも以上にめかし込んでいた。
軽やかなシフォン生地の若葉色のドレス。
波打つドレーブが、エリザベスの美しい身体のラインをより際立たせている。
襟元の白い大きなフリルレースも、清潔感があり若々しい。
髪の毛は編み込みスタイルで、ドレスと同じ若草色のリボンと飾り羽付の広つば帽子を被っている。
ドレスの裾から見えるローヒールのサテンの靴も若草色だ。
耳元には、白薔薇模様を誂えた象牙のイアリング。
薔薇の花の中心部にはダイヤの粒がキラキラと煌めいている。
エントランス付近の桜の木々の、花びらが舞い散る中に佇むエリザベスはとても美しかった。
実は、これらのドレスは帽子も靴も小物も全てセットで、グレースからの贈り物だった。
※ ※
エリザベスは半年前から、グレースに依頼されて"Queen Bee"(クイーンビー)店の専属モデルになったのだ。
モデルといっても、この時代は職業モデルはないので、エリザベスがグレースの服を着て、社交界の催しに参加するだけなのだが、これが見事に功を奏した。
初めエリザベスもグレースの顧客の一人だったのだが、茶会や夜会のパーティーなどでエリザベスが"Queen Bee"(クイーンビー)のドレスを着ていくと、お洒落好きの令嬢や夫人たちの目にすぐに止まった。
彼女たちは競って「エリザベスが着ている同じ服が欲しい」と、グレースの店に予約が殺到するようになったのだ。
いわゆるエリザベスが社交界のファッションアイコンになっていた。
グレースがご満悦したのはいうまでもない。
彼女はエリザベスに『今後も私の店のドレスを着て欲しい』と依頼した。
エリザベスもグレースの服は、着心地もデザインも気に入ったので、モデルの依頼は快く引き受けた。
だが報酬は丁寧に断った。
グレースが『それでは困る』といって、エリザベスが店で着るドレスや帽子や小物類は、全て店からのプレゼントとなったのだった。
※
エリザベスはやつれたエドワードを見て後悔した。
──やっぱり昨夜旦那様にいったわたくしの暴言を謝らなくてはいけない。
あんなひどい事をいったのだから、彼が落ちこむのも当然なのよ。
でも……駄目だわ、ここではいえない──。
エリザベスは、また機会を改めて謝罪しよう、来週もまだタウンハウスにエドワードは滞在しているはずだと思った。
エリザベスがエントランスを出てポーチへと歩き出す。
『エリザベス!』
背後からエドワードが呼び止める。
『はい?』と振り向くエリザベス。
『実は、お願いがあるんだが……』
『なんでしょう?』
『娘のリリーにも新しいドレスを作ってあげたいんだ。良ければ君がローズ公爵夫人の店で見立ててくれないかな?』
金髪の髪の毛をかき上げながら、頬を赤らめてぎこちなくいうエドワード。
エリザベスは少し考え込んだ。
『旦那様⋯⋯多分無理ですわ──』
『え、何故?』
『残念ながら、ローズ公爵夫人のお店では子供服は扱っておりませんの』
『あ、そうか。そうだよな──悪かった』
しょんぼりするエドワード。
『でもローズ公爵夫人に、どなたか知り合いで幼児の服を作れるデザイナーを、紹介してもらえる様に頼んでみますわ』
『そ、そうか、ありがとうエリザベス。リリーに王都に滞在する間に、何か買ってあげたかったんだ。君を見て綺麗なドレスがいいなと思ってね』
と嬉しそうに笑った。
『いいえ、そのくらいお安いご用ですわ。わたくしだって、リリーが綺麗に着飾った姿を見れるのは嬉しいですもの』
『そうか、そしたら今度、ドレスを新調したリリーと一緒に、腕の良い画家に家族の絵を描いてもらおう!』
『…………』
エリザベスは応えない──。
『どうした、絵は嫌か?』
『──いいえ、そうですわね。とても良い考えですわ……』
エリザベスは優しく微笑んだ。
エドワードはエリザベスが了承してくれてホッと安堵した。
『時間がないので行ってまいります』
と一礼するエリザベス。
『ああ、行っておいで、気をつけてな』
※ ※
エリザベスは馬車に乗り込んだ。
カタカタと馬車はゆっくりと出発した。
なぜか急にエリザベスは泣きたくなるような、切ない気持ちになったので、慌ててポシェットからハンカチを取り出した。
──何かしら、このわたくしの感情は。
本人ですらよくわからない想いがあふれてくる。
旦那様って本当に優し過ぎるのよ。
なのに一緒に暮らすのが酷く辛い。
旦那様、リリーごめんね、とても駄目な母親で。
エリザベスは声を出さずにむせび泣いた。
この年、エドワードとリリアンヌが公爵別邸に滞在中に描いてもらった家族3人の絵が応接間に飾られた。
ルービンシュタイン公爵家初の家族の肖像画となった。




