55. エドワードとエリザベス(2)
※ 夫婦のバトルが延々と続きます。
※2025/5./3 修正済み
※ ※ ※
エドワードは途方にくれた。
妻があやすとリリーの足が折れる夢をみるなんて⋯⋯。
エリザベスは相当病んでいる。
『旦那様、わたくし以前もおかしな夢を見たの──その時は突然稲妻が光って建物も人も誰もいなくなって、霧の中を一人で彷徨ってると、おくるみの赤ん坊が落ちてきたの』
『おくるみの赤ん坊?』
『ええ、そうです』
エリザベスの緑の瞳はエドワードを見ずに、何か見えないものを見てるように続けた。
『それで、泣いている赤ん坊の側へ寄って見たら、真赤な猿の赤ちゃんだったの! その子が悪魔みたいにわたくしに笑いかけたの⋯⋯』
『エリザベス⋯⋯それって⋯⋯もしや⋯⋯』
『あの時の夢もゾッとして怖かったわ。確かあれはリリーを産んだ直後の夢で、そう、夕立で雨が降ってて旦那様が起こしに来て目覚めたのよ、その時のこと覚えてまして?』
とエリザベスがエドワードの手を掴んで、必死な顔をして見つめた。
『あ⋯⋯ああ覚えてるとも、リリーが産まれたばかりで君は2,3日眠っていたんだよ、突然夕立で雷がなって窓が開けっ放しで僕が閉めたんだ、凄い雨で上着がずぶ濡れだったよ』
『ええ、そう、それです!──旦那様が助けにきてくれて、わたくしを起こしてくれたから嬉しかった』
──そうだ、あの時、変な男の声がしたんだ。
勇者に扮したエドワードが、地の底に落ちて行ったわ。
エリザベスは、ハッキリと緑の女神の出現した夢を思い出した。
たが、エドワードが奈落の底へと、落ちたことは黙っていた。
更に、エリザベスは堰を切ったように、そのまま夢の話を続けた。
『けれど、最近見る夢は赤ちゃんは猿じゃなくてリリーなの。わたくしがあやしても、折れた足が痛いのか泣き止まないの──わたくしはリリーの足を元に戻そうするの。でも足は折れたままで、触るとぐにゃりとしたの。──リリーは泣いてばかりだし、どうしていいかわからない! 恐くていてもたまらずに、振り絞って悲鳴をあげて、そうやっていつも眼を覚ますのよ!』
そう話すエリザベスの身体は、ブルブル震えていた。
緑の瞳から大粒の涙がぽたぽたと、身に着けているライムグリーン色のドレスの膝に落ちた。
エドワードは妻を見ているだけで、とても不憫でならなかった。
大輪の赤薔薇と言われたエリザベス。
常に堂々として怖いものなしに見えたプライドの塊の淑女。
こんなに脆く繊細な一面があったとは⋯⋯
エドワードは驚くと共に愛しくて仕方なかった。
泣いているエリザベス優しく抱きしめた。
『ほらリズ、大丈夫だよ、いい子だから落ち着くんだ……いい子だリズ、大丈夫だから……』
エドワードは震えるエリザベスの背中を、何度も何度も擦ってあげる。
※ ※
彼は、エリザベスに面と向かって“リズ”と愛称でいったことはない。
エリザベスに一目惚れしてからは、何故か恥ずかしく心の中だけでリズと読んではいたが。
だが、今は無意識にエドワードはエリザベスを“リズ”と呼んでいた。
エリザベスもいつもの“旦那様”と言わずに独身の頃のように、エドワードと言った。
『おおエドワード様……わたくし、多分罰が当たりましたの。リリーに冷たくしてたから、緑の女神様がわたくしの願いを叶えておしまいになったのよ!』
『な……馬鹿なこというもんじゃない!』
『ううん、わたくしずっとリリーが嫌いだったの! |わたくしの旦那様を取られたみたいで──だからこの子、どっかいっちゃえ!って思ったことだって何度もあった⋯⋯』
『そんなこと……ただ君は、私を独り占めしたかっただけだよ』
エドワードは内心、嬉しかった。
自分を独り占めしたいなどと、エリザベスが思ってくれていたとは思ってもいなかった。
だがエリザベスは止まらなかった。
『うう、だからもう二度とあの子に会えないわ、会っちゃいけないのよ!』
『……どうか落ち着いてくれ! リリーの足は折れていないよ。治ったんだよ。他の子供と同じように、よちよちと可愛いく歩いているよ……医者は少し引きずる後遺症は残るかもしれないといったけどまだ幼子だよ──将来のことなんて誰にもわからないだろう!』
エドワードはエリザベスを抱きしめて勇気づけた。
更にエドワードは言葉を続ける──。
『それにリリーは考えても見なさい……エリザベス。リリーは公爵令嬢なんだよ』
『──公爵令嬢?』
エリザベスは、泣き顔をあげてエドワードの濃い蒼い瞳を見つめる。
『そうさ! 公爵令嬢は常に優雅にゆっくり歩けばいいんだ、君が何を恐れているのかわからないが、そもそもリリーは淑女なんだよ。リリーの未来にとってはそれほど支障はないのさ─』
『で、でも……普通の少女みたいに歩けないんでしょう。もう少し大きくなったら、走って鬼ごっこはできるの? 仔馬に乗っても大丈夫なの? 何より淑女なのに、カーテシーができなかったらどうするの?──上手にできなければ馬鹿にされるわ!──もしもわたくしがリリーだったらきっと、他の令嬢たちにあざけ笑われるのは死んでも嫌、とっても耐えられないわ!』
エドワードは呆気に取られた。
──おいおい、君はそんなことまで心配するのか?
リリーはまだ1歳になったばかりだぞ!
まあエリザベスなら、何でも一番じゃなきゃ気がすまないからな。
エドワードは呆れたが、エリザベスの気持ちはとりあえず理解はした。
それでも、何とかしてこの不安定な妻を以前のようにもどさなくては……。
はあ、なにかいい言葉はないものか?
エドワードがあれこれ思案してると、エリザベスの爆弾発言が飛び出した!
『旦那様、わたくしたち、離婚しましょう』
『は?』
『離婚です、わたくしこんな駄目な母親ですもの、これ以上あの子の側にいてはいけない人間よ』
『ふ⋯⋯ふざけるな!』
一転してエドワードは冷静さを欠いた。
『旦那様⋯⋯』
『エリザベス、君、冗談にもほどかあるぞ!』
『いいえ、わたくしは本気ですのよ!』
『やめてくれえ!! なんで君はそう極端なんだ!』
エドワードはとうとう堪忍袋の尾が切れた!
『どうしてそうなる?──第一離婚なんてできる訳ないだろう?──僕たちはクリソプレーズ聖教会の許で婚姻したんだ! どちらかが余程の不敬をしない限り離婚は認められない!』
彼の頭は、怒りの頂点に達した!
──リリーの母親失格だから離婚なんて、夫たる自分のことなど何も考えていないではないか!
だが、エリザベスは介さない。
『…わかったわ、それならとりあえずは別居しましょう』
『!?』
『お願い、わたくしを王都のタウンハウスで暮らさせて……とてもじゃないけどリリーに顔を合わせられないわ!』
『エリザベス…………』
『旦那様、お願い致します。せめて当分の間だけ王都に戻らせて……ここでは全てが静かすぎて逆に辛くなるの、鬱々とした気持ちを忘れるくらいの場所で暮らしたいの、どうかどうか旦那様、わたくしのお願いを聞いてください、お願いします!』
エリザベスはエドワードに何度も何度も頭を下げた。
──はあ、なんてことだ、エリザベスは本気だ。
エドワードはエリザベスの頑なな態度に、もうどうしていいかわからずに途方にくれてしまった。




