44. エリザベスとマママ……
※ 2025/5/2 修正済
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公爵領本邸
夜中近く、邸内二階の廊下をフラフラとよろけながら歩くエドワード。
エリザベスの部屋の前で止まる。
部屋の中からドスンドスンと、大きな音がけたたましく聞こえる。
『トントン!』とノックをする。
『エリザベス、わたし(エドワード)だ、まだ起きてるかい?』
音はぴたりと止まり、しばしの間の後で──。
寝室のドアが少し開くとエリザベスの下膨れの顔が、半分だけ下からジトリとエドワードを覗きこんでいた。
『旦那様……こんな遅くにどうなされたのですか?』
『ああ、エリザベス、昼間はその怒鳴って悪かった……その少し話がしたいんだ中へ入ってもいいかい?』
エドワードはエリザベスの顔に、一瞬ぎょっとしたがすぐ気を取り直した。
『旦那様もしかして……』
『ん?』
エリザベスはしばし考え込んでいた。
『……旦那様、ごめんなさい。わたくしまだ無理ですわ』
『……無理って何が?』
ギクッとするエドワード。
『……お気持ちは嬉しいんですけど、もう少し待ってて下さい、わたくし以前のように必ず戻ってみせますから!』
『は?……』
『おやすみなさいま……』
と言い終わらない内に『バターン!』と勢いよくエドワードの眼の前でドアが閉められた。
『…………!?』
ドアの前で、そのまま立ちすくんでしまうエドワード。
その後、直ぐにまたしてもドスンドスンと先ほどと同じ、得体の知れない大きな音が部屋の中から聞こえだした。
実はエリザベスがベッドの上で、重たい身体を動かしていたのだ。
両足を上下して、ヒーヒーと呼吸をしながら必死で汗をかいてダイエットに励んでいる。
とても涙ぐましい音だった。
エドワードはそのことには全く気がつかず……。
──やれやれ、やっぱりお姫様は酒臭い亭主などお気に召さないんだろう。
せっかく腹を決めて部屋まで来たのに……。
しばし酔いが醒めたエドワード。
仕方がない、また出直すとするか。
エドワードは自分の酒臭い息をハアと嗅いだ後、『ひっく!』としゃっくりをする。
そのままふらふらと自分の部屋に戻っていった。
※ ※
エリザベスは壁にめがけて逆立ちをした。
血圧が上昇したのか、顔が真っ赤になっていく。
──先程の旦那様はもしかして夜這いにきてくれた? のよね。
正直エリザベスは嬉しかったが、今日お風呂でみた自分の身体が目に焼き付いて離れない。
お風呂の鏡のわたくしが肥りすぎて、あれはわたくしではなかった。
あの裸を夫に見せるなんてエリザベスの矜持が許せない。
もう、こんな身体を裸で旦那様には見られたくない、早く痩せて元のように凹凸のある完璧な体型にしなければ!
と思ったその時、逆立ちのエリザベスの瞳と全く同じエメラルド色の瞳がキラッとかち合った!
なぜか目の前に赤ん坊のリリーが、部屋の絨毯の上にお座りしている。
『リリー!』
エリザベスは驚いて、身体のバランスを崩してドスーンとひっくり返った。
『あいたたた…!』
エリザベスは腰を打ったのか手で痛そうに押さえている。
『あひゃひゃっ!んひゃひゃっ……』
ひっくり返ったエリザベスを見て、リリーが大声で笑い出す。
──ええっ、何でここにリリーが居るのよ!
今、夜中でしょう? ミナはどうしたのよ。
エリザベスは子供部屋に続くドアを見た。
ドアが少しだけ開いていた。
どうやら抜け出してきたようだ。
そのままリリーは愛らしい笑顔でエリザベスに向かって、はいはいしてくる。
『………?』
おそるおそるエリザベスは、リリーに近づいて抱きあげた。
『ふふ、うきゃきゃ…うきゃ!!』
楽しそうに笑うリリー。
──うっ、ずい分重くなったわ。リリーを抱っこしたのっていつ以来かしら?
戸惑うエリザベスを、リリーの大きなエメラルド色の瞳がじっと見つめている。
もうキラキラと宝石のように煌めいて、曇りなき赤ちゃんの眼だ。
──ああ、なんて可愛いの……
思わずリリーに顔を近づけるエリザベス。
リリーの小さなもみじの赤いお手てが、エリザベスの頬に触れた。
『マママ……』
リリーの口元が開いた。
『え?』
『マママ…マママ……』
『え、ママっていった!?』
びっくりするエリザベス。
なんだかリリーの愛らしい笑顔を見てると、エリザベスは今まで感じたことがない不思議な温かさが、身体中を駆け巡っていた。
──もしや、これが母性というものなのかしら?
エリザベスはリリーを抱いて感慨深げにしてると、
つづき部屋のドアが『バーン!』と勢いよく開いた。
※ ※
『あー、ここに居た──良かった!リリアンヌ様ーー!!』
乳母のミナが血相変えて飛び込んできた!
『ミナ……?』
『良かった、奥様申し訳ありません、リリアンヌ様の部屋にいったらベビーベッドが空になってて!!もう死ぬかと思った~~!』
ミナは半泣き状態で凄い勢いでまくしたてた。
慌ててるのか、エリザベスにいった言葉づかいを気にする暇もない。
『ふふふ、落ち着いてよミナ。リリーは大丈夫だから』
抱いているリリーをミナに見せる。
『うきゃきゃきゃ……』
リリーはミナをみても笑っている。
『リリアンヌ様~良かった~笑ってらっしゃる!』
『うふ、でもリリーはもう歩けるのね? びっくりしたわ』
『はい奥様。赤ちゃんが四つん這いになって進むことをハイハイというのですけど、リリアンヌ様はとてもお元気で、目を離すと部屋の隅っこまでいっちゃうんです。でもまさかベッドの柵を越えて奥様の部屋までくるとは……』
『まあ、ベビーベッドの柵を越えたの? そうしたら少し大きなベッドにしないといけないわね』
『そうでございますね、なにせヤンチャな赤ちゃんで……あっと失礼致しました』
ミナは喋りすぎたと自覚して口を押えた。
『おほほ、誰に似たのかしらね』
エリザベスは嬉しそうだ。
『マママ……マママ……』
エリザベスに抱かれていたリリーが喋る。
『あらまあ、リリアンヌ様、もうママといってる!!』
ミナが叫んだ。
『え?やっぱりママっていってたの?』
『ええ、そうですよ。パパはまだなのに……』
ミナは気の毒そうにいう。
『え?本当!』
『はい、いくらエドワード様が“パパだよ”と何度いってもパープーとはいいませんよ』
『まあ、嬉しい!』
何だかエリザベスはエドワードに、勝った気がして満足そうに笑顔になった。
リリアンヌの瞳は、エリザベスをじっと見つめて更にキラキラと煌めいた。
※エリザベスもようやく母親の自覚がでてきたみたいです。




