33. 難産のエリザベス
※ ※ ※ ※
朝焼けの空が薄く色づき始めたクィーンズ市の夜明け前。
『いったああああああいいぃ──!』
公爵本邸の2階にある、エリザベスの部屋から絶叫する悲鳴が廊下まで響き渡る!
昨晩から突然エリザベスの陣痛が始まった。
予定日より2,3日早く陣痛がきてしまった。
深夜から朝方にかけてもまだ分娩は続いている。
『奥様、しっかり、大丈夫ですよ!!』
『マダム、ゆっくりと息を吐いて、そうそう吸って、そうです、ゆっくり!』
ルービンシュタイン家のお抱え看護師は、助産婦も兼ねており、エリザベスの傍で力強く出産の誘導をする。
サマンサもエリザベスの側にいて、出産の介助補佐をしていた。
貴族は出産の際は主治医であろうと、男性は立ち会ってはいけない決まりである。
『うう……痛い~っつ! もういやあああ──!』
エリザベスの顔が苦しく歪んで、何度となく絶叫する!
エリザベスは辛くてたまらなかった。
なにせ今までに味わったことのない痛みが襲ってくるのだ。
額には玉のように汗が噴きだしていた。
サマンサがすぐに、エリザベスの額の汗を拭いてあげる。
『奥様、大丈夫です、もうすぐですから、しっかり!』
『ひぃぃいいい……サマンサ助けて!!』
寝室内は昨晩からずっと、このやり取りが続いていた。
どうやらエリザベスのお産は難産のようである。
※ ※
エリザベスの部屋とエドワードの寝室は、続き部屋になっていた。
エドワードにも妻の絶叫は聞こえてくる。
彼はいてもたってもいられず、煙草をもくもくと吸いながら部屋の中をぐるぐる歩き廻っていた。
寝ずに、エドワードは何時間も同じように行ったり来たりを繰り替えしている。
机上の灰皿は煙草の吸殻で山となっていた。
側にいる執事のアレクも気が付けば、すぐに灰皿を捨ててはいたのだが、それでも追いつかない。
エドワードの部屋は、煙草の煙が充満して空気が濁ってしまったので、アレクは何度となく窓を開けて換気をした。
夏の夜とはいえ、本邸内はひんやりとして肌寒かった。
──エリザベスに万一のことがあったらどうしよう。
エドワードはとても怖くて、いてもたってもいられなかった。
絶対に嫌だ、もしリズが母上みたいになったら俺は耐えられない!
エドワードが顔面蒼白になるのも無理はない。
彼の母親も産後の肥立ちが悪く、そのまま寝たきりの生活が何年も続き、エドワードが3歳の時に亡くなってしまったからだ。
※ ※
『駄目だ、こうしてはいられん!』
エドワードは吸いかけの煙草を灰皿に捨てた。
そのまま部屋を出て階下に降りていこうとした。
『旦那様!』
『アレク、父母の部屋へいってくる! お前は来なくていい。エリザベスの寝室から大事があったら知らせてくれ!』
『──承知致しました』
アレクは、火がくすぶっていた吸殻を水のバケツに捨てた。
※ ※
1階の突き当り、一番奥の部屋に父母の遺品のある部屋があった。
その部屋は日頃、定期的に掃除だけはしているが普段はひっそりと静かであった。
それもそのはずエドワード以外、入られないように鍵かけしてあった。
室内は父と母の遺品の他、2人の肖像画も壁にかかっていた。
時おりエドワードはこの部屋に入室して、独り父母の思い出に浸っていたのだ。
『ああ……父上、母上、どうかどうかお願いです、助けて下さい……』
エドワードは涙ぐみながら、父母の肖像画の前に跪き両手を組んだ。
そして聖なる女神よ……どうかどうか我が妻の命をお守りください。
そして来るべき我が子が無事に誕生してくれますように!
エドワードはそのまま寝ずに祈願を続けた──。
※ ※
この時代のお産は命がけだった──。
錬金術師はいても、妊娠に関する薬品開発の進捗は芳しくなく、医師も薬草や食物から抽出した昔からの自然薬しか処方できなかった。
抗生物質などなく、まだまだ感染症で幼い子供も母親も死亡する率は高かった。
ちなみにこの国のお産は“分娩椅子”で出産する。
分娩椅子は一人掛けの肘掛椅子に似てるが、長い背もたれが垂直ではなく傾斜しており、妊婦はクッションに頭を載せて、斜めに上半身が横たわれる。
普通の椅子と違うのは、両脇の肘掛に丸い握り棒が付いているのが特徴だ。
この握り棒をエリザベスが必死にいきりながら、きつく握りしめて出産姿勢を取るのだ。
彼女の手の平は既に真っ赤になっている。
何時間も握ってるせいか、赤く腫れ上がってとても痛々しい。
一時半が過ぎた頃、寝室の窓から朝日が差し込み始めた。
『旦那様ああ! サマンサ! ひいい!助けて── もうだめえぇ──!』
エリザベスの額は汗だらけだった。
『奥様、大丈夫ですよ、頭が見えてます、もう少しの辛抱です。しっかり、ああ、踏ん張って!』
サマンサが濡れた手拭いで、彼女の額の汗をぬぐいながら励ました。
彼女も、必死にエリザベスの身体を支えてあげている。
『んんんんん───!!』
『もう少し……あっ!!』
今、この時、その瞬間──。
まさに赤ちゃんが産まれいずる瞬間だった──!
『ああ……』
赤ちゃんをエリザベスから取り上げた助産婦が感嘆した。
『おぎゃあぁ~!おぎゃあぁ~!』
大きな産声をあげた赤ちゃん。
『ああ、奥様!!』
『ああ、産まれた、産まれましたよ! 元気な女の子ですよ!』
助産婦とサマンサが大きな声で喜んだ!
──え、産まれたの?
エリザベスは朦朧としてしまい、目が霞んで視界がぼやけていた。
助産婦が産まれたての赤子のへその緒を切って、高らかに両手で赤ちゃんを持ち上げる。
すぐに側にいた産湯係のメイドに渡した。
メイドは赤ちゃんを、お湯が入った盥に入れて汚れを拭きとっていく。
サマンサがくしゃくしゃになった顔で、もう一度喜びの声を上げた。
『奥様、おめでとうございます、ようがんばりんやした、可愛い女の子ですよ!』
サマンサはとっさに故郷の訛り言葉が出てしまったが、全く気が付いてはいない。
『おめでとうございます、奥様』
『おめでとう、がんばりましたね!』
『とても可愛い赤ちゃんです、おめでとうございます』
助産婦や傍にいたメイドたちが口々に、赤子の誕生を祝う言葉をエリザベスに送る。
『女の子? あ、男の子じゃなかっ…………』
エリザベスは生まれたのが女の子と聞こえたものの、生も根も尽きたようでそのまま眠ってしまった。
※ ※
執事のアレクは、めったに廊下を走らない執事ではあったが、この時ばかりは恥ずかしげもなく走った!
父母の遺品のある部屋のノックを強く叩く。
『旦那様。旦那様、御子が生まれました、旦那様!』
祈っていたエドワードは、疲れてウトウトしていたのか、アレクの声で我にかった。
起きようとして、よろけながらも扉を開けた──。
『──どうした、リズは、リズは大丈夫なのか?』
『はい、産婆の話では、母子共にお健やかだとのことです。産まれたのは女の子でございます!』
『女の子か……そうか、良かった、良かった!』
エドワードの耳にも、廊下にいた数人の侍従たちの歓声と、赤ん坊の泣き声がかすか聞こえてきた。
──おお、聖なる女神よ、父上、母上、感謝申し上げます!
エドワードは涙ぐみ、ホッとしたのか、その場でへたりとしゃがみこんでしまった。
※ようやく赤ちゃんが産まれました。書いてて自分も疲れました。(~_~;)
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