26. 結婚初夜(1)
※ 2025/4/28 修正済
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結婚式の夜──
王都のルービンシュタイン公爵別邸
2階の夫婦の寝室内。
赤々とセピア色のランプの灯りが煌々と灯っている。
部屋の中の天井のシャンデリアは、消されて少々暗いが、夜の落ち着いた居心地の良い空間だ。
窓際の直ぐ側にキングサイズの豪華な天蓋ベッド。
少し離れたところの鏡台に、エリザベスが腰をかけて、すぐ後ろにはメイドのサマンサが立っている。
結婚後、サマンサだけは実家から付いてきてくれた。
エリザベスは入浴後、髪を乾かした後でサマンサが香しいヘアオイルを髪に付けて、銀の髪を念入りに櫛でなじませている。
エリザベスは薄地のサーモンピンクのネグリジェ姿の上に、シルクの薄手のガウンを纏っている。
9月になっても、王都はまだまだ残暑で暑苦しい夜だった。
『ねえサマンサ、このヘアオイルの香りって独特ね、なんだか気分がエキゾチックな感じよ……』
エリザベスは自分の銀の髪の毛先を手にとり、クルりと巻いてクンクンと匂いを嗅いでいる。
『はい、実はセーラ奥様が持たせた輸入品のアロマオイルを使用しました』
『ふうん、なんていう名前のオイル?』
『えっと……イランイランと書いてありますわ』
サマンサはオイルの瓶のラベルを視る。
『もう一度見せて!』
サマンサはエリザベスにアロマオイルの瓶を渡した。
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“イランイラン”はクリソプレーズの大陸とは別にある、東南諸島の貿易商会から取り寄せた特別なオイルだ。
セーラがエリザベスにといって持たせた理由は、イランイランが濃厚な甘い香りを持ち、その芳香が性的な気分を高める為に初夜に適していると云われている。
ただ、サマンサもなぜこのオイルをセーラ奥様が『初夜に使いなさい』と渡したのかは知らされていなかった。
クリソプレーズ王国の貴婦人たちの間では、性的な話をするのはタブーとされていた。
夫婦の営みも茶会や夜会で話すのは勿論、夫にも妻から直接性交渉を話すことは表向きは恥ずべき行為と云われている。
逆に貴族男性同士の間ではまことしやかに性の話題は事欠かない。
『うちの家内はああ見えて寝屋ではとても奔放でねえ……』
『あの娼館の何々はそれはもう激しくてね、老いたワシは翌朝は歩けないくらいだったよ……』
等々、大笑いしながら平然と本妻や側室、艶めかしい愛人との情事を酒の席で名指しで、話すのだから男はえげつない生き物だ。
果たして今夜のエリザベスとの初夜を後々、エドワードも諸侯等が集うバーで、酒の肴にしてしまうのだろうか?
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『へぇ、イランイランというのね、面白い名前ね。この甘い香りを嗅いでいると、なんだか落ち着くわ……あ、ねえサマンサ?』
無邪気にもエリザベスは香水の瓶を翳して言った。
『はい、エリザベスお嬢様、あ、いえ奥様ですね』
『……どっちでもいいわよ、それよりわたくしは、この恰好で初夜を迎えていいのかしら?』
エリザベスは自分の透け透け感の薄手のネグリジェを、無造作に指でつまむ。
膝上から白い素足があらわに見えた。
『え、ええ……そうですね。今宵は特別な夜ですからね。とても艶っぽくてようございます』
サマンサはちょっと頬を赤らめる。
『わたくし艶っぽいの? なによサマンサったら顔がとっても赤いわよ、うふふ、まるであなたが初夜を迎えるみたい……』
『い、いいえ、エリザベス様、そんな……滅相もない!』
『大丈夫よ、そんな心配しないでちょうだい。妻たるもの夫婦の義務は承知してるわ、初夜のことはお母様から教えられた通りにするから安心なさいな』
『……ええ、そのお嬢様……』
『何よ──?』
『さしでがましいようですが…ベッドでは旦那様に全て任せた方がよろしいかと……』
『もう、サマンサったら大丈夫よ! お母様から散々アドバイス受けたから。まさか、わたくしからエドワード様にああしてこうして──と偉そうに指示すると思ってたの?』
『い、いいえ滅相もない、お嬢様だってさすがに淑女の恥じらいがありますし……ね』
サマンサは初夜の話は口に出すだけで、顔がカァーっと火照ってきて、額から冷汗が出てる。
『そうね……確かにこの恰好だとわたくしだって少々恥ずかしい気持ちよ』
とはいいつつ、彼女の座り方は太腿を無造作に開脚しているし、とても色気などまるでない。
子供のようにあっけらかんとしていた。
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なんとも可笑しな会話だがエリザベス自身は、初夜がどういう行為をするのか何も知らなかった。
ただ、令嬢たちがコソコソ話してた秘密の噂話を、こっそりと盗み聴きしたことはある。
なんでも男と女が一夜の共寝をすると、緑の女神の加護で運よく赤子が女の腹に宿るという。
男か女かは女神のきまぐれで決定するそうな……。
まあ、未婚のうら若き令嬢たちの噂なんて『コウノトリの赤ちゃんが運んでくる』と、どこかの国のデタラメ話と同じように可愛いものだ。
エリザベスは意外なことに、難しい歴史書や古文書ばかり読む他にも、恋愛小説も好きで良く愛読していた。
だが少女小説(ロマンチックなライト系)には、具体的な男女の肉体関係はほとんど描かれていない。
せいぜい恋人同士がハグしたり、キスしたりと軽いものばかりだった。
実は、娘たちが愛読する書物は全てメイドを通して、母のセーラが購入後、厳しくチェックしてたので、大人が顔をそむけたくなる卑猥な内容は一切なかった。
万が一、おかしな書物を見つけた場合は、新書でもすぐに暖炉の薪と同じ末路を辿った。
また、セーラは婚姻前の娘には性教育は一切教えなかった。
男勝りでじゃじゃ馬のエリザベスに、寝屋のやりかたなどを前もって教えたら、何をするかしれたものではないからだ。
──あの子のことだ、下手したら面白がって夫の背中に馬乗りすらしかねない!
そんな想像すら抱かせるあけすけな娘に、セーラは考えただけで胃が痛くなった。
勿論メイドのサマンサにも、決して何も教えてはならない、と固く口止めはした。
『いいですかエリザベス、とにかくあなたは何もせずに、エドワード様に身を任せれば良いのです……初夜というものは、妻は大人しく、夫にされるがままであれば全て上手く運びますからね』
『わかりましたわ、お母様!』
『くれぐれもあなたが、間違っても夫のエドワード様を、リードしようなどと思ってはいけませんよ!』
と固く念押しされた。
セーラが危惧していたのは、エリザベスの勝気な性格上、夫とはいえ、相手にされるがままを嫌うと案じたのだ。
なにせこればかりは、処女のエリザベスには未知の領域である。
『大丈夫ですわ、お母様。わたくしはエドワード様にこの身をまかせますわ!』
──よくわからないけど、“郷に入っては郷に従え”だわよ!
エリザベスは来るべき初夜に気合いを入れた。
※エリザベスの性格から、サマンサもセーラも不安がっています。




