22. エリザベスの日記帳
2025/9/26 修正済
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晴れやかな若葉の煌めく5月の朝──。
エリザベスが人生初の挫折を味わった時に、ロバート王子の戴冠式の日がやってきた。それは同時にマーガレットの婚約お披露目パーティーも行われる日でもあった。
エリザベスは『具合が宜しくない』といって戴冠式とお披露目パーティーを欠席した。
父母と兄もエリザベスの病は“仮病”と分かっていたが黙認した。
彼女ひとり置いて、バレンホイム侯爵家一同は、家紋付の黒塗り馬車に乗って王宮殿へ向かった。
屋敷に残ったエリザベスは寝室で泣いていた。
『本来ならわたくしこそが今日の主役だったのに……』
ベッドの枕はエリザベスの悔し涙でぐっしょりと濡れた。
唯一救いだったのは、エリザベスの傍にサマンサが介抱してくれた事だった。
サマンサの前では気張らずに悔しさも悲しさも素直にさらけだせたからだ。
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これまでエリザベスは『王国の一番の女性になりたい!』
その野心だけを目標に生きてきた。
お山の大将の如く王妃という頂点を掴むために、ロバート王子の心を何としてでも射止めたかった。
エリザベスの努力は並々ならぬものがあった。
王太子妃教育も事前に学ぼうとして、語学も王族の歴史もマナーも独学で励んだ。
また王妃ともなれば命を狙われるリスクもあるので、自己防衛に護身術と令息が習う剣術まで家令たちから習っていた。
エリザベスは元々運動神経が良く、家令からは『エリザベスお嬢様は筋が良い!』と褒めそやされた。
それも今となっては意味もない、これまでの努力が全て水の泡となった。
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ひとつ、エリザベス本人は気付いていないが、彼女は異性にときめいた事が一度もない。
“恋愛”というカテゴリーが彼女の脳内辞書には皆無であった。
今回ロバート王子に振られたショックも、彼に対する恋慕ではない。
あくまでも“王妃”というミッションを目指したステータスにエリザベスは敗れた悔しさだけだ。
余りに慟哭したのは敗れた相手が実の妹だった事だ。
幼少時から馬鹿にしてきた妹が、突然横から鳶のように飛んできて、目の前で王妃の座を掻っ攫われてしまった屈辱感も相俟ってであった──。
そんなマーガレットをエリザベスは増々嫌いになった。
なんの努力もしない妹が、王妃の地位を手に入れた事が実に恨めしい。
エリザベスの心はどす黒い嫉妬心で一杯になった。
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数日後、ルービンシュタイン公爵家からバレンホイム侯爵家にエリザベスをエドワードの婚約者にと正式な申込みが来た。
すっかり呆けていたエリザベスはあっさり婚約を了承した。
──はいはい、もうどうでもいい。王子以外なら誰だってかまわない。
半ばエリザベスは捨て鉢になっていた。
王太子妃の夢が断たれた今、結婚は親の決めた相手で十分だ。
元々貴族の結婚など政略結婚と相場が決まっている。
王太子妃になれないなら誰でもいい、と投げやりだった。
──でも、あれ?
ルービンシュタイン家のエドワード様ってどちら様でしたっけ?
エリザベスはフリフリと頭を振った。
彼女の脳裏には山ほど面前で挨拶された令息が、次から次へと思い起こされる。
ああ、思い出したわ──王子の側近で従兄弟だった御方ね。
エリザベスは机上の日記帳を持ち出して、ぱらぱらと捲った。
『──あった、この方だわ!』
といって、自分で書いた一年前の日付の頁を読み始めた。
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『エドワード・ルービンシュタイン白書』
エドワード・ルービンシュタイン。
クリソプレーズ王国の由緒ある公爵家の嫡男。
昨年、父親のジョージ公が急病で亡くなり、若干20歳の若さで爵位を継ぐ。
彼の亡き母のシルビアはもと第一王女で、メルフィーナ王妃様は叔母である。
王族特有の濃い金髪サラサラで深い碧眼の瞳。
ロバート王子とは従兄弟で幼馴染。兄弟のように仲が良い。
王妃様も幼い頃から母親代わりでエドワード様を可愛がっている。
同じ年の2人はお互いの顔立ちも体型も似通っている。
『私評──』
後姿などはロバート殿下とエドワード様は、背格好も同じで見分けがつかない。
依って万一ロバート王子に背後から抱きつく場合は、要注意しないと大変である。
エドワード様は容姿端麗。
茶会や夜会などでも貴族令嬢に大勢囲まれるザ・貴公子。
性格もツンと冷淡なロバート殿下とは違って温かくて穏やか。
エドワード様はいつもわたくしを見ると、優しく微笑んでくれるタイプの紳士。
そうだ、わたくしの崇拝者の一人といっても良い。
連れない態度など一度たりともない。
彼と目が合うと、あれほどの端正なお顔が少年のように真っ赤になっていたわ。
そう若い殿方特有の、わたくしを見つめる熱い視線をエドワード様から感じていた。
良かった、彼が夫なら御しやすいわ。
エリザベスは口角をニヤッと吊り上げて微笑した。
※ ※
これは以前、ロバート殿下攻略法の一貫としてエリザベスが記載したエドワードのプロフィールである。
当初からエリザベスはエドワードへの印象は、この程度に過ぎなかった。
ロバート殿下の側近で相棒的立ち位置。
彼を味方につけておいて損はないと知って、プロフィールを記載していた。
当時のエリザベスにとってエドワードは脇役程度の人物だった。
エリザベスは日記帳を見ながら、気持ちが少しだけ動いた。
──そうねえ、誰でもいいといっても、貧乏貴族や成り上がりの新興貴族は問題外だわ。
何よりわたくしの夫たる者、つり合いが取れてなければね。
外見も大切よ。年寄りや容姿が悪い令息は完全にパスだわ。
どうでもいい、といいながらエリザベスはしっかり細々な条件をつけていた。
そうね、ルービンシュタイン公爵家ならば僻地の領主とはいえ、家より格上だし、エドワード様なら何度かお会いして性格も十分把握してるわ。
そうそう、この方と一度だけ踊った事もあったわね。
私へのリードも風を切るみたいに上手だったわ。
エリザベスはエドワードと踊った時を思い出した。
──うん、王族の一人だし悪い縁談ではないわ。
何よりもエドワードなら、けっしてわたくしを足蹴になどしないだろう。
エリザベスはずっと意気消沈していたが、ほんの少しだけ気分を取り直した。
その後、2人の婚約会見は滞りなく行われ、とんとん拍子に結婚式の日取りまで決定した。
その頃にはエリザベスもすっかり元気になって、サマンサや母のセーラと共に結婚の準備を意気揚々と推し進めていった。
※ エリザベスは少し元気になってエドワードの許へ嫁ぐようです。




