拝啓、ドッペルゲンガー様
ある病院の一室。俺はベッドの前で立ち尽くしていた。この横になっているやつはいったい誰なんだ。いや誰なんだというのは間違っている。こいつが誰か知っている。おそらく世界中の誰よりもこいつのことを知っている。そいつはたくさん管でよく知らない機械に繋がれて、脇の機械は一定のリズムと音でまだ生きているということをこちらに知らせてくる。
病室は個室のようで、こいつのベッド以外は何もない。洗面台も併設されており、その鏡を覗き込む。やはりこいつと同じ顔だ。しかし、じゃあこの横になっている男はいったい誰なんだ。そこで一つの都市伝説を思い出す。
ドッペルゲンガー。
自分と瓜二つの容姿をしており、そいつを見ると近いうちに亡くなってしまうというものだ。じゃあこいつがそれってこと?でも話に聞くそれは、至って健康なものだ。ドッペルゲンガーが体調を崩すか?いやもしかして。俺は自分に立てた仮説に頭を抱える。もしや、俺が、ドッペルゲンガー・・・?
とりあえずはここから離れなくては。同じ容姿をしたやつが同じ空間にいることは見られてはいけない気がする。急いでここから出よう。
病室からひょこっと顔だけ出して辺りを見渡す。ちょうど誰もいないようだ。しかし、誰かに悟られてもいけない。こういうときはあれだ、抜き足差し足忍び足というやつだ。
数ある病室を横目にドッペルゲンガーは足音を立てないように細心の注意で廊下を進む。病室の窓から見るに4階か5階くらいだろう。エレベーターで降りなくては。
エレベーターホールに無事に着いたが、なんということだ、ナースステーションがすぐ傍にあるじゃないか。姿を見られようものならいったいどのような事態になるか分からない。物陰に隠れながら進もう。そしてエレベーターに乗ってきた人とすれ違いに乗り込めばおそらく上手くいくはずだ。そういう作戦で行こう。
タイミングを見計らって俺は体勢を低くした。ところで、すぐ後ろ金属製の食器のようなものが落ちる音で全身が震えた。急いで振り返るとおそらく患者に問診をしにきた看護師がそこに立っていた。口元を震えさせながら驚いている。
「片山くん・・・?」
俺は駆けた。
「人違いです!!!!!」
そう後ろに言葉を投げながらエレベーターホールへ。下へ向かうボタンを連打する。しかし、それは悠長な速度で1階部分を点滅させている。だめだ待ってられない。背中側から怒号のような声が届く。
「先生!片山くんが目を覚ましました!!!」
誰に向けて飛ばしているのか分からない声を無視して脇の非常階段へ飛び込む。走れ、捕まったら終わりだ。
階段を一段飛ばしで駆け下りていきながら『片山』という名前に違和感があることを悟った。片山、俺の名前か?何も分からない。
程なくして1階に到着し、ロビーを走り抜ける。途中、車椅子のおばあちゃんにぶつかりそうになりながらなんとか避ける。巡回警備員が「院内は走らないでください!!」と怒鳴ってくる。それに「ごめんなさーい!!」と言いながらも走るのを辞めない。
出入り口から勢いよく飛び出ると、気持ちのいい青空が広がっていた。思わず叫びだしたくなるぐらいの青空だ。それがなぜかずいぶん久しぶりな気がして俺はやっぱり叫んだ。
「うわあああああああああ!!!!!」
病院に向かってくるおじいさんがそれにひどく驚いている。タクシーの運転手もみんな何事かとこちらを向いている。でもそんなことはどうでもいい。俺は自由なんだ。
それから特に行く宛が無いことを知る。まぁ適当に歩いてみるか。
車賑わう片側二車線の歩道を歩きながら少し頭の中を整理してみた。整理と言っても今、主観的に分かることだけだが。
おそらく自分はドッペルゲンガーであること。これはほぼ正しいと言える。確信は無いが、直感的に閃いたのだ。俺は直感を信じる。
そしてその本体は目を覚まさずにいること。何かしらの病気や事故で入院してそのまま昏睡状態なのだろう。あの看護師の反応からしてずいぶん長い間眠ってるのかもしれない。
あとは片山、という名前。俺をそう呼んだのであれば俺は片山という名前で間違いないのだろう。名前間違いということもないだろうし。
最後に、どうやら俺には記憶が無いらしいこと。病院で臥せっている理由も分からないし、この街がどこなのかも分からない。
そんなことを適当に考えながら歩いていると、制服姿の学生とすれ違った。学校が近いのだろう。そのまま歩を進めていると正面からものすごい笑顔の男子学生がこちらに走り寄ってきた。
「おい片山!久しぶりだな!お前退院したんなら連絡よこせよな!!!」
もちろん誰なのかは分からない。俺のことを片山だと知っているということは同級生なのだろうか。
「あぁ、ご、ごめん」
俺には話を合わせることしかできない。
「まだみんな残ってると思うから教室行こうぜ!!!」
彼は俺の手を引き、奥に見えていた学校へ連れていく。彼の力が強すぎるのか、はたまた俺の筋力が無さすぎるのか、それとも何か別の気持ちがあったのか、真相は分からないが俺の手はそれを払いのけることはせず、黙って彼に連れられて行った。
辿り着いた先は2年B組と札付けられた教室。中では10数人の生徒がいた。
「おいみんな!片山連れてきたぞ!!!」
彼は教室に入るや否やそう大声で叫んだ。生徒は口々に「え!」とか「マジ!?」とか言っている。俺の姿を見るなり走り寄ってくる奴もいる。
「片山くん、退院おめでとう!言ってくれたら迎えに行ったのに!」
「連絡してたのに返さねぇし、なんなんだよおまえ!」
「やめなよ、まだ病み上がりなんだから」
俺の前に来た3人がそう言う。言わずもがな誰も知らない。
「は、ははは。ありがとう・・・」
場を白けさせるのも悪いし、俺はまた話を合わせた。
「お前の母さんからもしかしたら目覚めないかもって聞かされたときはすんげぇショックだったけどほんとよかったよな!またバスケできるじゃん!」
「ねぇいつから学校に来るの?また一緒に勉強できるね!」
「この間お前に貸した二千円、早く返せよな!」
顔も、名前も知らない彼らはこの片山という男とずいぶん仲が良かったらしい。この男の過去にも未来にも関わり、関わろうとしている。俺はなぜか無性に寂しくなって早くこの場から離れたかった。
「ごめん、そろそろ行かないと」
俺は逃げたい気持ち一心で彼らに伝える。
「そ、そうだよな。まずは家に帰りたいよな・・・」
「引き留めちゃってごめんね・・・」
みんな悲しい顔をしている。違うんだ別に悲しませたかったわけでは。
「またすぐに来るから。じゃあ、また」
「おう、またな」
彼らから背を向ける。その時、なぜかこれだけは言わないと、という気持ちが自分を支配して勝手に口から言葉が出た。
「今まで、ありがとう」
その言葉の反応を見る前に俺はその場から離れた。なぜそんな言葉が出た?そんな気持ちは無かったはずなのに。なんでだ。今までって、なんだ。
逃げるように校舎から出た俺は、また目的もなく歩き始めた。記憶は無いはずだが、どこか既視感のある景色が続く。おそらくオリジナルはこの光景を見ながら毎日過ごしていたんだろう。思い出したわけでもないのに心地よかった。
程なくして景色が少し変わった。住宅街だ。景観を大事にしているのか、色合いや建物の形状など似たような家々が続く。その中で、ある一軒の家の前で足は止まった。表札には『片山』と書かれている。
「俺の、家か?」
門は開いており、敷地内に歩を進める。脇から犬が飛び出してきて俺に吠えた。それにびっくりして尻もちをつく。飼い犬だとは思うが、姿はこの家の者だ。やはり動物は中身が違うことを分かるのだろうか。
「ちょっと、なに吠えてるの」
玄関が突然開いて中から初老の女性が出てくる。その女性は俺を見て急に泣き出した。
「えいすけ!英輔じゃないの!なんで!病院からは何も連絡がなかったのに!」
そう言いながら俺を抱きしめた。直感的に母親だと分かった。
「やっぱりやぶ医者だわ!目覚めないかもって言われたから絶対信じなかったの!でもこうして自分の足で帰って来てくれた!ちょうど今病院に行くところだったのよ!すれ違いにならなくて本当によかった!!」
母親の腕の力が一層強くなる。
「はぁ、でも病院にも連絡しておかなくちゃね、お金のこともあるし」
いや待て、今病院に連絡されると厄介だ。
「あ、ちょっと待って、その前に俺、ご飯が食べたいな」
「あぁ、そうね!ずいぶん食べていなかったものね!待ってて、すぐに作るから!」
ようやく俺を離してくれた母はそう言うとすぐに家に引っ込んでいった。俺もゆっくりその後を追うようにして家に入る。
「あぁ、そうだ」
エプロンをつけながら母が部屋から顔を出す。
「おかえり」
満面の笑顔でそう言った。
「ただいま」
と返すと、なにかすごく安心したような、柔らかく温かな気持ちが俺を包んだ。知らずに涙が出るほどには。
「よかったわね」
俺のそんな姿を見て母は再度部屋に戻っていった。母を追って同じ部屋に入る。ダイニングキッチンのソファへ腰を下ろす。
「お父さん、今仕事中だから帰ったらびっくりするわね」
母はそう言いながら料理をしている。
「ごめん、突然帰ってきて」
「何言ってるのよ。あなたの家なんだから帰ってくるのは当たり前でしょ」
「そっか」
物珍しさと懐かしさと言う、ほぼ両極端な気持ちで部屋を見渡す。俺がトロフィーを持って笑っている写真が飾られていた。何かしらのスポーツで優勝したらしい。
「あなた半年も起きなかったのよ、それが急にこうして起きるんだからやっぱり世の中よく分からないものね」
「半年も!?」
「そ、そうよ。病院でなにか言われなかったの?」
「い、いや別に」
逃げてきたしな。
「懐かしいでしょ、我が家は」
「まぁ、そうだね」
いや正直言ってよく分からなかった。でも同意はした。
「はい、おまち」
キッチンから出てきた母は目の前のテーブルにチャーハンを用意してくれた。
「あなた、これ好きだったでしょ」
好きだったらしい。知らないけど。
「うん、ありがとう、いただきます」
そのチャーハンはちょっとだけしょっぱかった。それが味付けのせいなのか、知らずの内に流れ出た涙のせいなのか分からなかった。でも美味しかった。これが母親の味と言うものだろうか。
テーブルの正面に座った母はしばらくチャーハンを食べる俺を見ていた。とても幸せそうな顔をしながら。照れ臭かったが、見るなとも言えず、俺はそのまま食べた。
食べ終えたのを確認した母は急に口を開いた。
「それで、あなたは誰なの?」
「え?」
えっと、もしかして俺はこの家の人じゃない?
「あぁ、いやなんというか姿かたちはあの子そっくりなのだけど、なにか違うというか・・・」
それを母は具体的には言えないようだった。
「違う・・・?」
俺は母に問いかけた。
「あの子、ソファの座る位置は決まってるの。チャーハンはいつもしょっぱいと言って怒るし、それにそもそもあの子は左利きよ」
そういえば俺は右手でスプーンを持って食事をしていた。そんなこと全然気にも留めていなかった。なるほど、ドッペルゲンガーは鏡合わせのようになるらしい。
「あなたは、誰?」
母がもう一度問いかけてくる。そんなの俺だって、知りたい。
「・・・分からない」
「分からない?」
「気付いたら病室に立ってた。目の前にはベッドで横になってる俺がいた。どうするのがいいのか分からなくて、病院を飛び出して、気付いたらここにいた」
「そう、だったの」
母は肩を落とした。そりゃそうだ。昏睡状態に落ちたはずの息子が突然目の前に来たら起きたと思う方が自然だ。俺のこの姿は紛らわしすぎる。
「ドッペルゲンガー、というやつかも」
俺は唯一知っている自分の情報を吐いた。それに対して興味無さそうに「へぇ」とつぶやいた母は「そうだ」と言って俺に向き直った。
「あなた、そういえばそういう都市伝説調べるの好きだったわね。あぁ、ごめん、あなたじゃないのか」
「紛らわしくてごめん」
「いやいいのよ、あなただって生まれたくて生まれたわけじゃなさそうだし。部屋に行って探してみたら?何か雑誌のようなものを買い集めてた気がするけど」
「じゃあ、ちょっと、行ってみます」
少しだけ頭を下げてリビングを後にする。我が家に帰ってきたことでオリジナルの心が強くなっているのだろうか。足が自然に階段を昇って部屋の前に立つ。扉を開けるとすぐに自分の部屋だと気付いた。すごいな、やっぱり体が覚えているってやつなのかな。
部屋に踏み入ると壁際の本棚にぎっしりと本が詰まっているのが見て取れた。背表紙を眺めていくとそれがすべて都市伝説のものだと分かる。「物好きな奴だな」と思いながら指でなぞっていくと一つの本で止まった。『ドッペルゲンガーのすべて』と題された本は、しかし直感的に違うと分かった。
探してるものがすでに分かっている気がする。理由を聞かれると分からないが、なぜか今そう感じていた。部屋を見渡すと勉強机の引き出し二段目が薄く光っているような気がした。開けると、便箋のようなものが入っていた。手紙を勝手に開けるというのも少し憚られたが、どうせ書いたのはオリジナルなんだ。別に良いだろう。その手紙はこう始まっていた。
『拝啓、ドッペルゲンガー様』
手紙を読み進めているうちにオリジナルの気持ちが分かった。俺のやるべきことも。手紙を綺麗に折りたたんでそっと引き出しに戻す。深呼吸を一度して、リビングへ戻った。
「ありがとう、見つかったよ」
ソファに座っている母にそう声をかける。
「そう、よかった」
しかし、母はこちらを向いてくれない。仕方ない。このまま話そう。
「今までありがとう」
俺は母の背中にそう声をかける。振り向く前に俺は玄関へ向かった。扉を開ける寸前に母の泣く声を聞いた。俺は気付いていないふりをしながら家を出た。
時間はすでに夜になろうとしていた。あんなによかった青空は夜空へと姿を変えていた。ぼうっと眺めていると、
「英輔・・・?英輔じゃないか!?」
とスーツ姿の男性に体を掴まれた。
「おい、どうしたんだ、母さんから連絡なんて無かったのに!」
父親だと分かった。
「ははは、ごめん」
「いやいや謝ることなんてない!どうだ、今日は久しぶりに一緒に風呂でも入るか!背中流し合いっこしようぜ!!」
「いやごめん、これからちょっと用事が」
「そ、そうかそうか。まぁそうだな、こんな年頃だったら家族よりも友達だよな!」
豪快に笑いながらもちょっと寂しそうだった。
「また、今度ね」
「おう、絶対だからな!」
「ありがとう」
「早く帰ってくるんだぞー!」
父の言葉を背に受け、俺は病院へ向かった。
もうすでに面会時間が終わったからだろうか、院内に人はおらず、闇に紛れて看護師の目を避けることで俺はなんとか病室へと戻ってきた。案の定、オリジナルは起きていた。
「あぁ、帰って来てたんだね、おかえり」
息も絶え絶えで満足に声も出せないその姿はひどく脆く見えた。
「お前の手紙、読んだぞ」
「よかった、ちゃんと届いたんだね」
「そんでちゃんとやってきた」
「そっか」
その答えを聞くとオリジナルは満足そうに眼をつむった。
「俺が出てくるの、知ってたのか」
「確証は無かった。でもやってみる価値はあると思った。ほんとに出るとは思わなかったけど」
「俺は、どうなるんだ」
「わからない。出す方法は書いてたけど消す方法は書いてなかったから」
「そうか」
「自分勝手でごめんね」
「いや・・・」
「どうだった、みんなは」
「同級生は気付かなかった。母親は気付いてたな。父親はたぶん気付いてない」
「お母さんはさすがだなぁ」
ゴホッと重い咳をするオリジナル。血が混ざったそれはひどく痛々しい。
「やっぱり俺じゃあお前の代わりにはなれないみたいだ」
「そんなことないよ」
「あるよ!お前はみんなに愛されてた!早く帰ってくることをみんな願ってた!待ち望んでた!だからお前が帰らないといけないんだ!」
「でも、もう無理だよ、この身体じゃ」
「そんなことない!気力だ!精神力だ!がんばれ!」
「君ほんとに俺のドッペルゲンガー?精神論とか俺好きじゃないんだけど」
「うるせぇ!がんばれ!」
傍に行き、手を握る。
「がんばってくれよ・・・」
神様、できるなら俺をこいつと変えてくれ、どうか、こいつを元気にさせてくれ。
「やりたかったことを代わりにしてくれてありがとう」
「おい、やめろよ・・・」
「ちゃんと伝えてくれてありがとう」
「やめろって」
「ちょっとの間だったけど、あり、が、と」
あんなにリズミカルに脈を打っていたグラフはそれを最後に一定の高音を鳴らし始めた。
「こちらこそ、ありがとう」
機械から発せられた信号で看護師と医師が部屋へ押し寄せてくる。すぐさま患者の傍に駆け寄り、心肺蘇生を試みるが、結局それが叶うことは無かった。家族が到着し、もう力が抜けてしまったその手を握る。嗚咽を伴うその泣き声を黙って聞く医師と看護師。感謝の気持ちを代わりに伝えたドッペルゲンガーの姿なんてそこにはもう微塵も無かった。