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第1幕 第5話

「——……であるから、3を代入して」


定年間近と噂されているおじいちゃん先生のゆったりとした話し声が教室に響く5時限目。科目は数学。いつもならクラスメイト同様欲望のまま午睡にあてるだろうこの時間、珍しく意識がはっきりしていた俺はかといって授業に集中するでもなく、昨日のことを思い出していた。

一度だけ伴奏をすれば、無期限無償で1LDKを借りられる。立地やら間取りやらはどうだっていい。住めれば良いとだけ思っていたのにここにきてまさかの1LDKだ。手を合わせて拝みたいレベルである。神様仏様不知火様。

あれだけ卑屈丸出しだったくせにころっと手懐けられたあたり我ながら情けなく思うけれど、まぁしかし背に腹はかえられぬってやつだ。

それに、あの瞬間。彼の言葉を聞いた瞬間に、ずっと見ないように目を逸らしてきた何かを突きつけられたような感覚があったのは、確かだから。なんとなくだけれど、何かが変わるかもしれないという予感がする。もしもそれを見つけられるというなら、もう一回くらい向き合ってみるのも、悪くないだろう。

机の中に潜ませていた携帯のロックをこっそり外して、今朝不知火さんから届いたLINEを表示する。


『今日の放課後、社長に君のこと紹介したいんだけれど、時間あるか?良かったら学校まで迎えに行くから』


なんの部活にも委員会にも入っていない俺の返事は、当然「はい」一択だった。



失念していた。

ちょっと考えれば分かるはずだったのに。

生徒玄関を出てその光景を目にした途端、胸いっぱいの後悔と申し訳なさに俺は頭を抱えた。

思い返せば初めて会った時、同性の俺でさえ「美人だなぁ」という感想を抱いたのだ。そんな人が無防備にも生徒行き交う放課後の校門前に立っていて、あろうことか自分で運転してきたのだろう車に背を預けているとくれば展開はもう読めている。その姿を一言で表すならば、「このまま雑誌の表紙飾れそう」だ。

女子生徒はもちろん男子生徒まで校門の影からこそこそと不知火さんの様子を伺っている。控えめに上がるきゃあきゃあという声に、俺の中で居た堪れさが猛加速中だ。今からあそこに行かなければならないのだと思うと死にたくなってくる。帰っていいだろうか。いやいやいや、帰るにしたってあそこを通過しなければならない訳で。でも、あんな目立つ人と知り合いだとバレた場合俺の平穏な学校生活はどうなってしまうのだろう。すげぇ嫌だ。

深く深くため息を吐いて、それから一歩踏み出そうとしてやっぱりやめる。だってクラスじゃあ結構関わりにくい地味なやつのポジションにいるのに、よりにもよってあんな光属性みたいな人に声かけるとかハードルが高い。無理だろ普通に考えて。とはいえこれ以上待たせるのも、と罪悪感を覚え始めたところで。

片手でスマホを操作していた不知火さんがふいに画面から視線を上げて、こちらを見た。瞬間、目が合って。俺がいることに気がついた不知火さんは、ふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた。

あ、嫌な予感。


「一ノ瀬君、学校お疲れ様ー」


そう言って不知火さんが俺に向かって手を振った途端、周囲の生徒達が一斉にこちらを振り返った。え、誰?あの人の知り合い?という呟きが耳に入ってきて、仕方なく俺は早足で人ごみを突破した。しんどい。

刺さるような視線を全身に感じながら、不知火さんに駆け寄って頭を下げる。お手数おかけしてすみませんと言えば、気にしなくていいよと返される。遠慮の無い視線の中に晒されるのは良い気分ではなかっただろうと思ったのだけれど、大して気にした様子もなく彼は助手席のドアを開け、俺へ座るように促した。もしかしたらそのビジュアル的に注目を浴びるのにも慣れているのかもしれない。それはそれとしてさりげなく紳士的なことするの勘弁して欲しい。校門の向こうで女子の黄色い悲鳴が上がったのがわかってしまって、本当に辛い。

できるだけ何も考えないように黙々とシートベルトを締めていると、車の正面を回り運転席に座った不知火さんが心底不思議そうに呟いた。


「なんか妙に注目されたなぁ」


そりゃあんた自分の顔面偏差値考えろよ、と喉元まで出かかったのは秘密だ。

……あれ、そういえば。


「どうして今日は"一ノ瀬君"なんですか?昨日は"柊"でしたよね、呼び方」

「ん?あぁ、あの時はつい勢いで……」

「別に良いですよ、呼びやすい方で」

「なら、今後は"柊"で。出来れば俺も名前で呼んで貰えると嬉しいな。不知火、ってあんまり呼ばれ慣れて無いから」


動き始めた車の中で、不知火さんは前を向いたまま笑って言う。俺は若干の気恥ずかしさを感じながら、外を見るフリをして彼から視線を逸らす。


「——……わかりました、"伊織さん"」


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