番外編・アリアドネとクロード
(改めてみると、この子も年を取ったわね)
リーンフェルト侯爵家に来訪し、執務室に通された私は用意されたお茶をすすりながら書類とにらめっこしている弟、クロードに視線を送る。
四十代半ばになった彼の目尻にはシワが刻まれており、最後に見た十八歳の頃の面影はわずかなものになっていた。
だが、良い年の取り方をしているとも思える顔と雰囲気だ。
彼の纏う空気感は十八歳当時と同じ。彼の信念は二十七年経った今も変わっていない。
「人の顔をジッと見て、どうしたんですか?」
不躾な視線を向けていたからか、書類から目を離すことなくクロードに話しかけられる。
言葉に不快感はなく、ただ単純に気になったというところだろう。
「老けたわね、と思って見ていただけよ」
「今更ですか?」
「普段、貴方の顔をよく観察することなんてなかったもの。それと私にとっては弟だからあまり実感していなかったというか」
「まあ、俺もテオドールがまだ出会った頃の小さな子供だった印象を今も持っているので分かるような気がします」
こうして話していても書類を書く手が止まらないのはさすがの一言だ。
「でも姉上は年を取ったとしても見た目は変わらなかったでしょうね。ああ、生前の方です」
「そうでしょうね」
「謙遜ぐらいして下さいよ」
「顔の良さは自分が一番良く分かっているわ。そもそも弟に謙遜してどうするのよ」
「……変わらないですね」
少し呆れが含まれた物言いに私は軽く笑う。
変わらないのはクロードもだろうに。
なんということはない意味のない雑談だが、取り繕う必要のない彼との会話は心地よい。
「ところで、密輸に関してですが」
「ああ……。この間、貴方からの情報を受けて手を回しておいたわ」
「早いですね。まさかまた無茶なことをしていないでしょうね」
「失礼ね。今回の私は完全に裏方よ。指揮しているのはテオ様」
「テオドールが?」
クロードは意外だったのか書類から顔を上げた。
目には『え? あの子が?』という感情が浮かんでいる。
「テオ様は立派な大人になられたわ。詰めの甘いところはあるけれど、そこは私がフォローすればいいだけの話だもの」
「いえ……。あの子が表立って動くとは思っていなかったもので。俺を頼ると思っていたのになぁ」
「あら、落ち込んでいるのかしら?」
「ええ、少し。子供が巣立つのは嬉しいですが、寂しくもありますね。つい手助けしようと余計なことをしてしまいそうです」
大丈夫だろうかという心配もあるのだろう。
クロードは私の報告を聞いてソワソワとしている。
立派な親になったものである。
「私が付いているのだから大丈夫よ」
「姉上が付いているから不安なんですよ」
「なんですって?」
眉をピクリと動かしてクロードを睨み付けると、彼はマズいという表情を浮かべながら目を逸らした。
「どういうことかしら?」
声に怒気を含ませて問いかけると、クロードは観念したのか口を開いた。
ちなみに目は泳いでいる。
「いや……姉上は裏工作を済ませるとすぐに表に出ようとするじゃないですか。見ているこっちはヒヤヒヤしますし、ケガでもしたらどうするのかと」
「そうならないために事前にいくつも対策しているわ。側に護衛や貴方を待機させているでしょう。それに体の自由が利かないように飲み物に人体に無害な物を入れてあるもの」
「他国でのことをもうお忘れですか?」
ジトッとした目で見られ、私は首を傾げる。
どのときのことを言っているのだろうか。
「シールス王国の件ですよ」
まったく……という呆れたようなクロードに私はようやく思い出した。
「思い出したわ。私が第二王子のクーデターに助言した件ね。あれは我ながら上手くやったと思うわ」
「上手くやった……じゃないですよ! こっちは姉上が誘拐されて情報収集やらなんやらで慌てていたというのに、当の姉上は誘拐した第二王子派閥の人間と仲良くしていたなんて思わないじゃないですか!」
「だって、あまりにも計画が杜撰だったのだもの。あれでは上手く行くものもダメになると思って。やり方が甘すぎるといってアドバイスしただけじゃない」
「だからといってクーデターの策を考える人間がどこにいますか」
「ここにいるわね」
そう答えるとクロードは大きなため息を吐いて肩を落とした。
「結果的に帝国のためになったのだし良かったと思うわよ」
「そこに関しては感謝していますよ。前国王は自分のためだけにお金を使って諫めてきた者を処刑するほどの人間でしたし、戦争を起こそうと準備もしていましたしね」
「あそこが戦争に入ると難民が隣国である帝国に押し寄せてくるものね。輸入している品にも影響があるでしょうし」
「だから、帝国にとって都合の良い第二王子に肩入れした、というわけではありませんよね?」
「私は悪人ではなくなったけど、善人というわけでもないのよ?」
当然、帝国にうまみがあるから手を貸したのだ。
善意だけで助けるほど私は人間が出来ていない。
いつ爆発するか分からない爆弾の前国王よりも穏健派で内政に向いている第二王子を取るのは当たり前だろう。
「まあ、巻き込まれなかったら手を貸すこともしなかったでしょうし、縁ってやつなのかしらね」
「巻き込まれても手を貸すという思考に普通の令嬢はならないんですけどね」
「生前の記憶があるという時点で普通の令嬢ではないでしょう」
「確かに」
しかも中身は毒に特化した悪女として名を馳せた人間だ。
生前の頃から一般的な貴族令嬢の枠から大きくはみ出している。
「けれど、結婚したらほぼ他国に行くこともないでしょうし大丈夫でしょう」
「それはそうですが……。何かあったときに姉上が主体となって動くことがないように願ってますよ」
「そこはテオ様が矢面に立ってくれるもの。たまに私が出ることがあるかもしれないけれど、独断ではやらないわ」
「家に嫁がれるんですから、夫と義父に一から百まで報告して下さいよ」
「……報告したら矢面に立っていいのかしら?」
「ダメです」
一刀両断ぷりに思わず笑ってしまう。
私が彼らを大事に思っているように、彼らもまた私を大事に思っているということだろう。
「善処するわ。それよりも屋敷に私の部屋はもう出来ているのかしら?」
「姉上の研究室ですよね? それならもう出来ていますよ。隠し部屋も作っておいた方が良かったですか?」
「人を殺せる毒を作ることはもうないから隠し部屋はいらないわ。クロードが使っていた部屋でも良かったのだけれど、さすがに外聞が悪いかしらと思ってね。余計な手間をかけてしまったけれど新しく作ってもらって感謝しているわ」
「姉上を迎えるのですから、これくらいなんてことはありませんよ。部屋の調度品や色味が気に入らなければ姉上の好みに変えてもらって大丈夫ですから」
「特に好みはないからそのまま使わせてもらうわ。……それにしても私が結婚するとはね」
生前の性格を考えるとあり得ないことだ。
跡を継ぎたいという気持ちもあったし、相手に足を引っ張られる可能性もあったから結婚することは頭にもなかった。
誰かを好きになることもその相手と結婚することも今回が初めて。
私でも他人を好きになれるのだなと驚きもある。
誰かと添い遂げたいと思える自分を意外だと思う。
「姉上とまた家族になれるなんて嬉しいどころの話じゃありませんよ」
「貴方のことはお義父様と呼ぶべきよね」
「呼ばれる度に笑いを堪えることになりそうですね」
「髪の毛を引っこ抜くわよ」
「怖い怖い。……まあ、冗談はこのくらいにして。呼び方は一般的なもので大丈夫です。結婚と同時に俺は爵位をテオドールに譲りますし、今までの立場ではなくなりますからね」
「そういえば譲った後はどうするつもりなの?」
私の言葉にクロードは「そのことですが」と口を開いた。
「テオドールの補佐をしつつ、引き続き薬室の責任者としてやっていくことになりますね。後は陛下の相談役にと言われています」
「居場所があるようで良かったわ。テオ様もクロードが補佐してくれるなら心強いでしょうし、私も事情を知っている人が側に居てくれるのは助かるもの」
「俺も姉上と一緒に仕事を続けたかったので面倒な役職じゃなくて相談役にしてくれと頼みました」
あははと軽快に笑うクロードに私は苦笑してしまう。
そんな無茶を通せるのは皇帝と死線をくぐり抜けてきた同志だからだろう。
元々リーンフェルト侯爵家の血縁者ではないから、クロードが今後どうなるのか心配だったのだ。
「結婚に関しての懸念はこれで全て解消されたわ」
「俺の懸念はまだ残ってますけどね」
「あら? 何かしら」
「結婚式のドレスの件ですよ。テオドールとセレネ嬢と選ぶそうじゃないですか。絶対に揉めますよ?」
ああ、そのことか。
確かに大丈夫だろうかと思うが、あの二人はそれを楽しんでいる節もあるしなぁ……と思った。
「ある意味、テオ様とセレネは仲良くしていると思うわよ。お互いに言いたいことを言い合える関係なわけだし」
「姉上の目からはそう見えるんですね……」
心なしかクロードは遠い目をしている。
外から見ているとまた違った風に見えているのだろうか。
「両者とも姉上が好きすぎて取り合っているようにしか見えないんですけどね」
「私から見れば可愛いじゃれ合いにしか見えないのだけれど」
「心が広いというか、我関せずというか……。姉上らしい感じ方だなと思います。ですが、四大名家の子息令嬢なのですから程々にしておいて下さいよ」
「……まあ、最終的には私が決めて落ち着かせるわよ。なんせ着るのは私なのだから。本人が言えば黙るしかないでしょう」
「上手く手の上で転がして下さいね」
クロードの言葉に私は満面の笑みで応える。
そういったことはとても得意なのだ。
テオドールとセレネが相手というに少々罪悪感を覚えるけれど、と思っているとクロードが不意に「あ」と声を上げた。
「そういえば結婚式の招待客ですが、ご両親と兄君は参列させる予定で?」
「させるわけないでしょう。フィルベルン公爵家からはエリック兄様と奥様、セレネの出席だけで十分よ。人の結婚式で暴れられたら面倒だもの」
「それを聞いて安心しました。兄君の方が両親にせっつかれて姉上の結婚式のことを貴族に聞いて回っているらしいので」
「絶対に良い意味でのせっつきではないでしょうね」
私の言葉が正解だったのかクロードは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
「あの方達もこりないわね。それとも最後に何か言ってやろうとでも思っているのかしら。その情熱を他に注げばいいのに」
「社交界への参加も禁止されていますから、知識が今に追いついていないのでしょう。皇位継承権を持つことに執着している様子ですね」
「呆れるわね。ミハエル皇太子殿下が結婚されてお子が生まれれば継承順位は下がっていくだけなのに。それにエリック兄様にも子供がお生まれになるから意味のない地位だと思うのだけれど」
「全くですね」
クロードも私と同じ気持ちなのかため息を吐いている。
今後あの家族が表舞台に出てくることは二度とないが、中身が全く変わっていないと聞くと脱力してしまう。
アレスに関しても結婚は絶望的だ。どこの貴族も爪弾きにされている爵位もない名ばかりの準皇族に娘を嫁がせたくないだろう。
あの離宮でただただ年老いて行くだけの存在になる未来しかない。
少しでも改心して国のために民のために動いていたら待遇も変わったというのに、愚かなことだ。
結婚式までに多少の邪魔は入るかもしれないが、終わればそれまで。
セレネの結婚式で思い出すことはあっても、この先関わることはもうない。
身内と民の幸せのことだけを考えればいい。
心の中で彼らのことを遠くに追いやり、私はクロードに視線を向けた。
「さて、それじゃあそろそろ帰るわ。仕事中に悪かったわね」
「こちらこそわざわざ出向いてもらってありがとうございます」
「結婚式のことはまた今度テオ様を含めて話し合いましょう。見送りは結構よ」
椅子から立ち上がろうとしたクロードを制止し、私はドアの方に歩いて行く。
すると、ふいに彼から「姉上」と声をかけられた。
「どうしたのかしら?」
「姉上の結婚をこの目で見届けられる幸運に感謝します。おめでとうございます。どうかお幸せに」
幸せが約束されているから大丈夫だとか、結婚生活にクロードも多く関わることになるのだけれどという気持ちを私は飲み込んだ。
それだけ彼の目が真剣であったから。
きっとずっと助けられなかったことや主犯の悪女にしてしまったことを後悔していたのだろう。
運命のいたずらで再会して救われたのは私だけではなくクロードもだったのかもしれない。
「たった一人の家族だった弟に花嫁姿を見せられる機会に恵まれたことを嬉しく思うわ。同じ時代にこうして再び会えた奇跡に感謝しているのよ。色々と苦労をかけてしまったけれどまだしばらくは私にこき使われてちょうだいね」
「姉がいる弟の宿命ですね」
互いに顔を見合わせて笑い合う。
この先、クロードに孫の顔を見せる日が来るだろう。
その日が今から待ち遠しい。
ありがとう、私の弟でいてくれて。私を信じてくれていて。私の味方でいてくれて。
「これからもよろしく頼むわね」
「ええ。こき使われる覚悟はしてますよ。体が動く限りは力になります」
返答を聞いた私は微笑みを浮かべてクロードの執務室から出て行ったのだった。
これからの未来に思いを馳せながら。
これにて番外編終了となります。
拙作を読んで頂きありがとうございました!




