番外編・姉妹の会話
冬が終わって暖かい日差しと心地よい風が吹き始めた頃、私はフィルベルン公爵領から帝都の屋敷へと移動していた。
「相変わらず帝都は騒がし……活気があるわね」
「今年は皇太子殿下とサベリウス侯爵家令嬢であるシルヴィア様との結婚式がございますからね。ですので、いつも以上に賑わっているのでしょう」
「やっとなのね。シルヴィア様が卒業されてすぐご結婚なさると思ったのに。まあ、大きな事件があったし他にも色々あったものね」
窓の外を眺めながら、私は三年ほど前の事件のことを思い出していた。
そう、ヘリング侯爵とオドラン子爵が企てたあの事件のことだ。
月日が経つのは早いもので、私は今年十九歳になろうとしている。
(前は二十歳で死んだから、あと一年なのよね)
ふとそんなことを考えていると、廊下の外から賑やかな声が聞こえてきて私は思わず軽く笑みを浮かべた。
「デビュタントを済ませたというのに、あの子は変わらないわ」
「それがセレネ様の良いところでございます」
「そうね。さあ、可愛い妹を出迎えましょうか」
ミアにお茶の準備をするように頼み、私は部屋をノックしてきた妹のセレネを出迎える。 部屋に入ってきたセレネはあどけなさはまだ残るものの、身長も伸びて立派な成人女性になっていた。
可愛らしさは出会った頃と変わらない、と思いながら私は彼女をソファに座るように促した。
「お姉様ったら、まだ準備をしていないの?」
「髪と化粧はもうしたわ。確認したいことがあったから先に済ませていたの。それが終われば準備を再開するつもりだったのよ。そういうセレネだって私の部屋に来てどうしたのかしら」
「少し時間が出来たからお姉様のドレス姿を一番に見に来たのよ。迎えに来たテオドール様に自慢するためにね……!」
「また貴女は張り合おうとして……。少しは仲良くしたらどうなの?」
「あちらが私にケンカをふっかけてくるのだもの! それに来年にはお姉様は結婚してリーンフェルト侯爵家に嫁がれてしまうし、残された時間をお姉様といっぱい過ごしたいの」
少々いじけながら上目遣いで私を見てくるセレネはそれはもう大変に可愛い。
可愛く見せる術を熟知していてやっているのならば大したものだと思うが、この子の場合は計算なしなので怖いところだ。
「テオ様と結婚したとしても姉妹の縁が切れるわけではないし、いつでも遊びに来たらいいのよ」
「もちろんそうするつもりよ。三日に一度は訪問する予定だもの」
「多いわね……」
予想していなかった言葉に私は苦笑する。
物怖じしないところも良いところではあるのだが……。まあ、フィルベルン公爵家の令嬢なら許容範囲の態度ではある。
だが。
「あまり私に会いに来ては、伯爵が良い顔をなさらないのでは」
フィルベルン公爵であり、兄エリックが決めたセレネの婚約。
相手は建国から続く由緒正しい伯爵家の当主であるベネディクト。
元々、エリックと友人で度々我が家に遊びに来ていたこともあり、セレネと親しい間柄になっていたのだ。
穏やかな人でセレネの行動力の凄さも広い心で受け止めてくれる好青年である。
けれど、さすがに自分を放って姉の婚家に入り浸るのは良い感情を抱かないだろうと思っていた。
私の心配を余所にセレネはニコニコと笑みを浮かべている。
「大丈夫よ。ベネディクト様は本当にダメだったらやんわり止める方よ。私が結婚しても三日に一度はお姉様に会いに行くわと伝えたら、ちゃんと家に帰ってくるんだよって優しく言ってくれたもの」
「……やり手ね」
随分とセレネを甘やかしているように見えるが、彼女が反発しないギリギリのところを分かっているのだろう。
年齢が多少離れているから心配もしていたが、セレネも相手のことを理解しているようだし良い夫婦になれるかもしれない。
(良い夫婦といえば、エリック兄様もそうね)
エリックは去年、皇帝派で帝国内の有力貴族の令嬢と結婚している。
未婚の令嬢である私達を本当の妹のように可愛がってくれる聡明で優しい女性であった。
今年の冬には第一子が生まれる予定になっている。
「結婚したら婚家が第一になるのだから、疎かにしてはいけないわよ」
「当然よ。フィルベルン公爵家の令嬢だからと甘えたりせずに、お姉様みたいに相手を支える女性になってみせるわ」
「ベネディクト様はそう思えるお相手なのね」
「そうなの。とっても博識で時にはユーモアも交ぜながら説明してくれるから話をしていて楽しくて。知らないことを教えてもらえるのも自分のためになるもの。それに、とても暖かい眼差しで私を見てくれるのよ。その目と声にとても安心感を覚えるの」
セレネは頬を赤らめながら柔らかく笑う。
婚約の話を聞いたときはどうなるかと思ったが、相手に対して好意を抱けているのならさほど心配する必要もなさそうだ。
「幸せになれそう?」
「なれそう、というよりも私が幸せにするのよ。自分で手に入れてみせるわ」
なんとも心強い言葉だ。
「お姉様はどう? 卒業後は家の仕事やリーンフェルト侯爵が責任者をしている薬室の仕事を手伝ったりしているでしょう? 家にいる時間が少なくてお姉様とも顔を合わせる機会が前よりも減っているじゃない。結婚したらあちらの家の仕事まで抱えることになるし、過労で倒れるんじゃないかと心配だわ」
「薬室の仕事は意見を求められるのが大半だからそう大変なものではないわ。リーンフェルト侯爵家の仕事もこちらと変わらないでしょうし。まあ、責任ある仕事をより任されることにはなるでしょうけれど、サポートもあるから無理に抱え込むことはなさそう。私よりも引き継ぎをしているテオ様の方が大変でしょうね」
「ああ、結婚したら爵位を継承するんだったわね。テオドール様ってちょっと優柔不断なところがあるから、大丈夫なのか不安になるわ」
「心配はいらないわ。あの方はああ見えて冷静だし、時に非情な決断もできる方だもの」
「そう?」
疑うように首を傾げているセレネを見て私は苦笑する。
見た目が優しそうだから想像がつかないのだろう。
だが、あれから何度か国内外の問題に関わることがあり、その度にテオドールは影ながら私の手助けをしてくれたのだ。
違法ギリギリのやり方もあって、良い意味で貴族らしい人になっている。
世間にもまれて大人になったというところだろうか。頼もしい限りだ。
「優しいだけの人ではないというのは、セレネも分かっているでしょう?」
「……ええ、そうね。お姉様のことで暇さえあればマウントを取ってくるような方だもの。顔に騙されて失念していたわ」
「あれでもセレネとの会話を楽しんでいると思うわよ」
「どこが!? これ見よがしに嫌な顔で笑ってみせるのよ? 私からお姉様を奪う人間となんて仲良くできないわ」
頬を膨らませて目をつり上げているセレネを見て、私はそういうところがテオドールにからかわれる原因なのではないかと感じた。
それとなくフォローはしているが、あまりやり過ぎないように今度言っておこう。
「でも、お姉様を任せられるのはテオドール様だけだから我慢してあげるわ」
「だから私達の婚約に反対しなかったの?」
「そうよ。お姉様を一番に考えて大事にしてくれるのはテオドール様しか考えられなかったもの。それにお姉様が婚約を望んでいるのだから、私が反対する理由もないわ」
「私のことを考えてくれていたのね。ありがとう」
言いながら、私はセレネの頭を優しく撫でた。
彼女は嬉しそうにはにかみながら身を委ねてくれている。
こういう素直なところは昔から変わらない。
「結婚式のドレス選びには絶対参加するから呼んでね」
「もちろんよ。セレネにも私のドレスを見てもらって意見を聞きたいわ」
「本当? 嬉しい!」
満面の笑みで抱きついてくるセレネを受け止めた私は、でもね……と考える。
(テオ様とセレネの好みが違うから、意見が食い違うのではないかしら?)
確実に言い合いが始まるだろうと容易に想像ができる。
そこにクロードがいればもっと泥沼になるだろう。
まあ、最終決定権は花嫁の私にあるのだから強引に推し進めればいいか。
そう思いながら私は問題を先延ばしにしたのだった。




